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五十嵐2022a「多摩ニュータウンNo.234遺跡」 [拙文自評]

五十嵐 2022a「多摩ニュータウンNo.234遺跡」『たまのよこやま』第128号:6.

所内報(東京都埋蔵文化財センター報)の連載記事「1/964」に「何か書いて下さい」と頼まれて記した短文である。
連載の趣旨が、表題の下に記されている。

「多摩ニュータウン地域では、964ヶ所もの遺跡が確認されています。その中から調査担当者の記憶に深く残る遺跡について、リレー方式で振り返っていきます。」

ということで私が選択したのは1994年に調査した「No.234」という小さな「遺跡」である。
今回の私の担当で、リレーしてきて51番目になる「長寿番組」である。
シリーズの副題には、「多摩ニュータウンの発掘調査を振り返る」と記されている。
今まで記されてきた50回にわたる文章は、おそらくそれぞれの担当者が記憶に残る「遺跡」を一つの単位として、選択した「遺跡」の内容を記したものである。
しかし私の文章はそうした個別の「遺跡」の内容もさることながら、数字が与えられた「遺跡」の存立根拠そのものを問う内容となった。いや、そうならざるを得なかった。
長い間お世話になった組織に対する私なりの現役最後の「恩返し」である。

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五十嵐2021d「「戦利品」という考え方」 [拙文自評]

五十嵐 2021d「「戦利品」という考え方 -「八紘一宇の塔」と文化財返還の意義-」『思想運動』第1067号:10.

「<もの>の価値には、美術工芸的なあるいは壮大なとか希少なといった、その<もの>自体が有する価値と共に、その<もの>がたどった経緯にまつわる価値がある。他の人には何の価値も見出せなくても、当人にとっては親の形見であるといった点に大きな意味が込められている場合がある。その入手の経緯が、敵を打ち負かして手に入れたという点に意味を有しているのが、「戦利品」というカテゴリーである。その<もの>自体の価値よりも、入手の経緯に価値を置く<もの>、それが「戦利品」である。」(10.)

6月26日の講演を聞かれた方からの寄稿依頼に応じたエッセイである。
26日に少し言い足りなかったことを記した。


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五十嵐2021c「「返す」ということ」 [拙文自評]

五十嵐2021c「「返す」ということ」『韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議年報』第10号:2-4.

2010年6月12日の公開シンポジウム「韓国・朝鮮文化財返還問題を考える」に参加したのが、最初であった。
それから11年。晋州や釜山そして平壌・開城と様々な場所で様々な人たちと出会った。

持ってきた<もの>を「返す」とは、いったいどういうことなのだろうか?
どのような意味があるのだろうか?
そのようなことを考えた。

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タグ:文化財返還
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五十嵐2021b「練馬区 比丘尼橋遺跡C地点」 [拙文自評]

五十嵐2021b「練馬区 比丘尼橋遺跡C地点」『東京都遺跡調査・研究発表会46 発表要旨』:6-9.

例年行われている東京都遺跡調査・研究発表会も、今年は口頭発表はなく紙上発表のみである。
2014年から2020年まで足掛け7年にわたって行われた調査についての発表である。
担当者のセンスなのだろうか、表紙のデザインも垢抜けていて、嬉しい限りである。
但し分布図の挿図では二色刷りが認められず、やや分かりずらいのが残念である。

「遺物の平面分布については、一定の基準で集中部区分を行ない、石器分布について基準を満たさず集中部を形成しない資料については「石器集中部外出土石器」としました。石器集中部外出土石器のうち、加工石器を区分図として提示しました。集中部を形成しない散発的な出土状況ですが、礫資料分布図と重ね合わせてみると、その多くが礫集中部と重複しています。」(6.)

これだけ読めば何のことやら専門家以外には訳が分からないだろうから、少し基本的なところから説明してみよう。

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五十嵐2021a「石核とは何か」 [拙文自評]

五十嵐 2021a「石核とは何か -砂川モデルを問う-」『東京の遺跡』第118号:3-5.

「私たちが日常的に「石核」と呼んでいる存在形態は、石器資料の中でどのような位置を占めているのだろうか? こうした問いを深めることは、石器資料論の核心である。
「石核とは何か」を問うことは、日本の旧石器時代研究における砂川モデルの方法論的意義を問うことになる。」(3.)

「石核とは何か」
何とストレートな、そしてある意味で大上段な、しかし今まで誰も発することのなかった問いなのだろう。
誰もが言及しない極めて当たり前の事柄を、筋道立てて論じることが、今、求められている。
「石核が問題の核心である」(The core is the core of the problem)とは、我ながら驚くべき結論である。

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五十嵐2020c「考古学と骨董品」 [拙文自評]

五十嵐2020c「考古学と骨董品」『南永昌遺稿集 奪われた朝鮮文化財、なぜ日本に』朝鮮大学校朝鮮問題研究センター編集・発行:309-313.

「今回、南永昌さんの「朝鮮文化財、なぜ日本に」(『朝鮮時報』1995年1月~1996年1月連載)および「奪われた朝鮮文化財、なぜ日本に」(『朝鮮新報』2015年3月~2017年5月連載)を通読する機会が与えられた。読みながら考えたことを考古学の立場から記すことで、南さんから受けた学恩に答えたい。」(309.)

南 永昌(ナム・ヨンチャン)1941年12月15日 福井県生まれ、東京朝鮮中高級学校、東洋大学社会学部卒業、1967年4月朝鮮新報社に入社、日本語新聞『朝鮮時報』の記者として活動、退社後、様々な職種に就くかたわら、略奪された朝鮮文化財研究に生涯を捧げた。2019年3月11日永眠、享年77。

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五十嵐2020b「文化財返還を拒むものは、何か?」 [拙文自評]

五十嵐 2020b「文化財返還を拒むものは、何か?」『韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議年報』第9号:9-11.

1.   勅令第263号の意味
2.   文化財返還の前提的認識
3. 「日本考古学」の最前線
4. 「日本考古学」の刻印

自らの関心ある領域あるいは専門とする主題が、ナイフ形石器であろうと連弧文土器であろうと黒曜石原産地であろうと動物考古学であろうと、なされているのが日本社会である限り、それは「日本考古学」の一部であり、「日本考古学」の成立過程には、必然的に「植民地考古学」が関わっており、日本社会で考古学という学問に関わる人は誰もが必然的に「文化財返還問題」に関わらざるを得ない。
自分は無縁であると断言できる人は、一人もいない。
たとえ本人がそうではないと思っていたとしても。

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五十嵐2020a「書評 ジョウモン・アート」 [拙文自評]

五十嵐 2020a 「書評 ジョウモン・アート」『季刊 考古学』第150号:165.

「…世界考古学会議での様々な発表(114本!)と比較して、日本ではどうも盛り上がりに欠けているように思われる。その要因として考えられるのは、「日本考古学」では依然として編年研究などの文化史復元(第1考古学)が主流を占めていて、「考古学ポテンシャルの拡張」に関わる方法論や研究手法あるいは現代社会との接点に関する問題(第2考古学)についての関心が低調なせいではないだろうか。」

276頁におよぶ最先端の意欲的な試みである。本ブログでも紹介したが、「ジョーモン・レギュラー」なる先史フォントのこと、石器の実用性とデザイン性を巡る対談、パブリック考古学との関わりなど、与えられた僅か1800字という制約の中では述べることは叶わなかった。
「日本ではどうも盛り上がりに欠けているように思われる」と記したが、実際は各地で様々なイベントが行われており(古谷 嘉章2019『縄文ルネサンス』:171-198.)、盛り上がりに欠けていたのは私の知る世界だけのようである。但しアートと考古学双方において「相互性がない」(同:192.)とする観点では共通している。

「考古学は単にアーティストに発掘現場という体験の機会を提供するだけでなく、自らの拠って立つ社会的な存在基盤を問い直さなければならない。本書は、そうした「日本考古学」の在り方そのものを問うているように思われる。」

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五十嵐2019e「ピョンヤンとケソンを訪ねて文化財返還問題を考える」 [拙文自評]

五十嵐 2019e「ピョンヤン(平壌)とケソン(開城)を訪ねて文化財返還問題を考える -「想像力」と「強さ」-」『共に歩む』第123号、障がいを負う人々・子ども達と「共に歩む」ネットワーク・会報:7-13.

あちこち(2019年5月31日:東京大学大学院総合文化研究科グローバル地域研究機構 韓国学研究センター、6月15日:韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議 総会、6月23日:由木キリスト教会 夏季交流会)で話した内容が文字となった。

「代替わりで騒々しい春の10連休に日本を脱出して、文化財返還運動の仲間たちと朝鮮民主主義人民共和国を訪ねてきました。朝鮮民主主義人民共和国、日本では一般に「北朝鮮」と呼ばれている国ですが、向こうではこうした表現は避けられています。英語表記では、Democratic People's Republic of Korea 略称は「DPRK」、日本語標記の略称は「共和国」です。「コリア」という言葉は、北では「朝鮮」、南では「韓国」と訳されています。」(7.)

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『文化財返還問題を考える』 [拙文自評]

五十嵐 2019d 『文化財返還問題を考える -負の遺産を清算するために-』岩波ブックレット No.1011

「あるものは不法に、あるものは合法的ではあるが不当に……近代以降の日本には、占領地や植民地から様々な文物が持ち込まれてきた。未だ私たちの身近に残る朝鮮半島や中国由来の「返すべきもの」について考える。」(宣伝文より)

足を踏み入れてから10年、手掛けてから1年余り、ようやく形になった。

キーワードは、「エシカル」(倫理的であること)である。
「私たちが暮らす21世紀は、単に経済的に豊かであるとか、軍事力で上回っているといったことではなく、倫理的(エシカル)な基準によって、大学も博物館も美術館もそして国家もあらゆる組織が評価されるべきです。」(45.)

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