SSブログ

近・現代遺跡と東京の考古学 [研究集会]

近・現代遺跡と東京の考古学 東京大学埋蔵文化財調査室 調査研究プロジェクト9

日時:2024年3月17日 10:00~17:00
場所:東京大学 本郷地区 国際学術総合研究棟 文学部3番大教室
主催:東京大学埋蔵文化財調査室・東京大学考古学研究室・東京考古談話会

「東京都内の埋蔵文化財調査においても、近代・現代の遺跡の調査・研究例が増加しています。近・現代遺跡を対象とした考古学研究は地域史ばかりでなく、産業史や交通史、災害史といった学際的な視点からも重要な分野であるものの、わが国の埋蔵文化財保護行政における位置付けは、「特に重要なものを対象とすることができる」(文化庁通達)というように、保護されているとはいえない状況であり、学問的にも依然として曖昧なままになっています。そこで第9回調査研究プロジェクトでは、東京考古談話会との共催により、東京都内の埋蔵文化財として、近・現代遺跡とどのように対峙し、保存・活用していくかについて考えてみたいと思います。」(案内チラシの「開催の趣旨」)

1.近・現代遺跡と東京の考古学 -主旨説明- (追川 吉生)
2.近・現代遺物の編年(黒尾 和久・梶木 理央)
3.目黒区の近代遺跡調査の取り組み(武田 浩司)
4.近・現代遺跡の調査の意義について -高輪築堤跡等の調査事例から-(斉藤 進)
5.三鷹市・調布市下原・富士見町遺跡における近・現代の調査(野口 淳・大里 重人)
6.小石川植物園旧温室遺構の保存と活用(成瀬 晃司)
7.シンポジウム 近・現代遺跡と東京の考古学

帰路につきながら第2考古学的近現代とそれ以外すなわち第1考古学的近現代との隔たりについて考えていた。

「…近現代考古学についても、より理論的な研究と編年を基盤とする先史延長的な研究の二者が認められる。
…近現代考古学は単に「新しい時代を対象とする考古学」ではなく、むしろ考古学という学問の根幹を揺るがす存在である…」(五十嵐2023「日本多摩地域における隔離病舎の調査を通じて近現代考古学の在り方を考える」:15-4.)

残念ながら本日の発表を通じて「根幹を揺るがす」ような気配を感じることはできなかった。
むしろ感じたのは、98年に示された円滑化指針の制約あるいは軛(くびき)である。
「特に重要なもの」を、誰が、いつ、どのように判断するのか?
すったもんだの末に史跡に指定されることになったあの「高輪築堤」すら、最初から「特に重要なもの」と認識されていれば、わざわざユネスコが出てくるようなことにはならなかったであろう。
「新しくなるにつれて、調査対象が限定されていく」という現状を克服するには、私たちの認識を根底から変革する必要が有る。

「ある場所を発掘するということは、一番新しい時代に残された痕跡から徐々に古い時代の痕跡へと時代を遡りながら、それぞれの時代痕跡を確かめる作業である。歴史の見方も、発掘者の足元から地面を深く掘り下げていくように、その地のたどった歴史を現在から過去へと遡る。(そうであるならば)ある場所を調査する担当者の責務は、足元の近現代について「特に重要な」場合にだけ調査対象とするという選択的な調査を行なう訳にはいかない。」(五十嵐2023:15-10.)

いわゆる「遡及歴史観」である。

「その地の歴史は、どの地の歴史であろうと私たちが生きている現在が出発点となり語られる。開発要因に基づいてなされた発掘調査では、開発行為の内容について考古誌に記されるだろう。しかしその開発行為以前の調査地が近現代において、どのような土地利用がなされていたのか、そうした記述がなされずに空白となっている場合も多い。」(同:15-12.)

例えば今回の発表を聞いて高輪築堤の構造が、開業当初の単線から複線そして3線化の変遷過程を反映していることがよく理解できた。しかしそれから以降の現在までの変遷、品川駅はJR14線・新幹線4線・京急3線と少なくとも20線ほどが使用されているが、私の中では3から20まで路線が増加していく経緯は全くの白紙である。もちろん今回の発表はそうした変遷を辿るのが目的ではないのでそうしたことに触れられないのは当然だが、例えば第8橋梁はいつ、どのようにして撤去されたのか、それはどのように処分されたのか、それを物語る記録はないのかが気になるところである。もちろんそうした事々も、今後刊行される考古誌に記載されることだろう。

「近現代考古学は、その地域にとって特に重要なものだけを調査することができるという許認可が与えられるような存在ではなく、どのような場合でもその地の歴史を語るために欠かせない存在である。時代別に調査の対象とするかしないかを判断し、新しくなればなるほど選択の幅が狭まるという考え方から、調査区に残された痕跡を手掛かりにして現在から過去に向かって一貫した歴史を復元する発想に切り替えることが求められている。」(同:15-12.)

上から下に掘る、否、掘らざるを得ない。新しい痕跡からより古い痕跡へと掘り進まなければならない。
これが考古学という学問に課せられた宿命である。
こうした宿命を負いつつ、私たちは発掘地(掘り起こされた土地)のリアリティをどのように語ることができるのか。


nice!(2)  コメント(1) 
共通テーマ:学問

nice! 2

コメント 1

五十嵐彰

その土地にとっては、その土地の痕跡こそが「特に重要」です。
by 五十嵐彰 (2024-03-24 09:42) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。