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森田1972「三宅米吉論」 [学史]

森田 俊男 1972「三宅米吉論」『教育学研究』第39巻 第1号:1-11.

「…三宅が、『記』『紀』の神話、つまり「開闢のことは通常歴史から遂いだすべし」といい、時の文部官僚伊沢修二を名ざしで批判し、国家が、民間の教科書を排除して、一定の教科書を選定・作成することをやめさせようとした、そうした意味での「在野性」からみれば、後期においては、あきらかに天皇制の教学体制への妥協といわざるをえない「転化」があると思はれる。」(2.)

ここには従来の考古学サイドから見た「三宅米吉論」(例えば木代 修一1974「学史上における三宅米吉の業績」『三宅米吉集』日本考古学選集1:1-13.)とは異なる視角から異なる事柄が述べられている。

そもそもなぜ「三宅米吉論」が『教育学研究』という雑誌に掲載されているのかという点からして、考古学界の住人たちはすぐさま理解できないだろう。

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タグ:学史 教育史
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八幡ほか1971『座談会 現代の考古学』 [全方位書評]

伊藤 信雄・大場 磐雄・鏡山 猛・斎藤 忠・杉原 荘介・八幡 一郎 1971『座談会 現代の考古学』学生社

「この座談会を通じて感じられることは、私を含めて明治大正に生れた考古学者の限界のギリギリの線が出されたという点である。われわれは万能でなく、しかも過去の殻を背負っている。出席者はすべて戦前の考古学の洗礼を受け、破局的な戦時を生抜いて、戦後斯学のために縦横の活躍をし、今日の考古学に一つ一つ礎を据えることに貢献した学者たちである。」(八幡 一郎「はしがき」2.)

今は亡き「学生社」。もはや絶版なのだろうか。
私の本棚にある古本の裏表紙には、「100円」のシールが貼られている。

戦後四半世紀を経た、今から半世紀前の「現代の考古学」が語られている。学史である。
「はしがき」の記載年月は、1971年7月である。
1969年10月25日の平安博物館での出来事以来の闘争を契機に、関東考古学連絡協議会が1971年2月から1972年6月まで『全国通信』を発行していた最中である。

「限界のギリギリの線」が、「破局的な戦時を生抜いて、戦後斯学のために縦横の活躍をし」という自画自賛であったとしたら、問う側と問われる側の対話が成り立つはずもないわけである。
誰も「万能」であるなどとは思っていない。ただ「誠実」であれと思っていたはずである。

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タグ:考闘委 学史
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太田2023「「王様」だって、自国の過去の歴史を謝罪する?」 [論文時評]

太田 昌国 2023「「王様」だって、自国の過去の歴史を謝罪する?」ウェブ・マガジン『反天ジャーナル -天皇制を知る・考える-』2023年9月号

かねてより刮目する表現者の最新作である。

「…2020年10月、オランダの人権活動家や博物館の専門家から成る委員会は、旧植民地の住民の同意のない文化財の持ち去りは「歴史的不正義」であり、原産国に無条件で返還すべきだとする勧告書を発表した。
同国の国立世界文化圏博物館所蔵品43万6000点のうち、ほぼ半数が旧植民地由来のものであり、インドネシア関連の所蔵品は17万4000点に上ることも明らかになった。勧告書を出した委員会の議長は、南米スリナム(オランダからの独立は1975年)出身の人権活動家、リリアン・ゴンサルベス=ホ・カン・ユーといい、中国系の末裔の女性だと知れる。委員の多くが旧植民地にルーツを持つオランダ人だった。旧植民地出身者が、過去の歴史を精査する委員会の要職に就けること自体が、日本の現実と比べた場合に、オランダ社会の成熟度を示している。」

「日本の現実」例えば内閣官房アイヌ総合政策室が設置する「アイヌ政策推進会議」の構成メンバーにアイヌ民族の方はどれほどおられるのだろうか。

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何が市民を虐殺に駆り立てたのか [研究集会]

「何が市民を虐殺に駆り立てたのか -関東大震災の悲劇を共有し語り継ぐために-」

関東大震災100周年記念シンポジウム
日時:2023年 9月 2日(土)13時~17時
場所:韓国中央会館別館 8階大ホール(東京都 港区 南麻布 1-7-32)
主催:在日韓人歴史資料館

開会の辞(李 成市)
人びとはなぜ虐殺に走ったのか(渡辺 延志)
震災作文が伝える横浜の関東大震災(後藤 周:代読)
映像制作からみた関東大震災(スー・ヒュー:映像参加)
総合討論:司会(李 成市)
コメンテーター(李 圭洙、戸邊 秀明、裵 姈美)

「本年、関東大震災百周年を迎えるに際して、今日では全く想像しがたい虐殺という悲劇がなぜ起こったのか、最新の研究成果と、市民によるフィールドワークによって明らかにされた諸事実に基づき、会場での議論を分かち合うことによって、未来に向けて新たな信頼のきずなが形成されることを願っています。」(案内チラシより)

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遼東先史遺跡発掘報告書刊行会2002『文家屯』 [考古誌批評]

遼東先史遺跡発掘報告書刊行会 編集 2002『文家屯 -1942年遼東先史遺跡発掘調査報告書-』京都大学人文科学研究所考古学研究室 発行

「凡例
1.本書は中華人民共和国遼寧省大連市営城子鎮に所在する文家屯・東大山積石塚・大頂山遺跡の発掘調査報告書である。
2.遺跡の発掘調査は、1942年度の日本学術振興会の科学研究費により、梅原末治を責任者として八幡一郎・島田貞彦・沢俊一・澄田正一が実施した。
3.出土遺物の整理と本書の作成は、岡村秀典が「中国沿海岸における龍山時代の地域間交流」を課題とする2000~2001年度の日本学術振興会科学研究費の交付を受けて組織した遼東先史遺跡発掘報告書刊行会(以下、本会と略称する)が行った。
4.発掘から60年の歳月が経過した。遺跡と遺構に関してはおもに八幡一郎と澄田正一の調査日誌をもとに記述し、文家屯遺跡に関しては澄田正一による概要報告[1987]を参照した。ただし、正確を期すため、八幡一郎と澄田正一の調査日誌を日付順に編集し、可能な限り忠実に再録した。
5.~8.(略)
9.本調査の記録類は、京都大学人文科学研究所で保管している。」(ii)

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