SSブログ

何が市民を虐殺に駆り立てたのか [研究集会]

「何が市民を虐殺に駆り立てたのか -関東大震災の悲劇を共有し語り継ぐために-」

関東大震災100周年記念シンポジウム
日時:2023年 9月 2日(土)13時~17時
場所:韓国中央会館別館 8階大ホール(東京都 港区 南麻布 1-7-32)
主催:在日韓人歴史資料館

開会の辞(李 成市)
人びとはなぜ虐殺に走ったのか(渡辺 延志)
震災作文が伝える横浜の関東大震災(後藤 周:代読)
映像制作からみた関東大震災(スー・ヒュー:映像参加)
総合討論:司会(李 成市)
コメンテーター(李 圭洙、戸邊 秀明、裵 姈美)

「本年、関東大震災百周年を迎えるに際して、今日では全く想像しがたい虐殺という悲劇がなぜ起こったのか、最新の研究成果と、市民によるフィールドワークによって明らかにされた諸事実に基づき、会場での議論を分かち合うことによって、未来に向けて新たな信頼のきずなが形成されることを願っています。」(案内チラシより)

「▽関東大震災は日本国内では例を見ない「孤立した虐殺」
他に例がないから、日本人には信じられない。「そんなことを日本人がするはずがない」との思いがわいてくるのは、ごく自然なこと。2022年の東日本大震災でも、日本人は整然と行動をしたという自負もある。
▽視点を朝鮮半島や大陸にまで広げると、いくつも類例が見えてくる。日本人が忘れてしまった、そうした歴史的な事実をつなげて、大きな歴史の中での出来事として関東大震災の虐殺を見つめなければいけないのではないか。弱い立場の兵士は戦場での体験を語ることを禁じられていた。」(渡辺氏配布資料より)

もちろん朝鮮半島や中国大陸では「万人抗」として知られる数多くの大量虐殺がなされていた。
また国内でも関東大震災のような非常時におけるオープンな場での虐殺は「孤立」していたが、コメントで裵氏が紹介した「信濃川逃亡労働者殺害事件」のような山間部でのクローズドな「タコ部屋」での虐殺は頻発していた。

自民族優越感に基づく隣国民族の蔑視、そして奴隷的扱いと人命の軽視は、ほぼ社会的に共有化されていたのではないか。

「横浜・寿小学校・高等科1年
朝鮮人が交番にしばられているから、見にいかないか。君江さんと行く。朝鮮人は電信柱にいはいつけられて真っ青な顔をしていました。よその人は「こいつ、にくらしいやつだ」といって竹棒で頭をぶったので、朝鮮人はぐったりと下へ頭を下げてしまいました。わきにいた人は、「ぶってばかりいてはいけない。ちゃんとわけを聞いてからでなければいけない」と言っていました。朝鮮人は、頭を上げながら、書くものをくれと手まねしていました。」

高等科1年
「寿けいさつの前を通りこそうと思ふと、門内から、うむうむとうめき声が聞へて来た。私は物好きにも、昨夜の事なぞはけろりとわすれて、門の内へはいった。うむうむとうなってゐるのは、五、六人の人が木にゆはかれ、顔なぞはめちゃめちゃで目も口もなく、ただ胸のあたりがびくびくと動いてゐるだけであった。」

報告者は、当日コロナ感染のため出席がかなわず、渡辺氏が代わりに報告された。
事件から数カ月後には学校が再開されて、児童たちは震災に関する文章を書いた。その一部は、公刊されているが、関係者らによってある方向性に沿って、収録される文章内容の取捨選択がなされている可能性が高い。
今回報告された「震災作文」は、横浜市立中央図書館および横浜開港資料館が所蔵する子どもたちの手書きによる一次資料である。

「朝鮮人暴動はなかった。流言は根拠のない虚報でした。しかし、震災の半年後に書かれたにもかかわらず、朝鮮人への迫害・虐殺への反省や謝罪の言葉はありません。流言は根拠のないデマであり、朝鮮人虐殺がデマを信じて行われた民族的な迫害であったという自覚や反省は見当たらないのです。それを伝えるのはだれでしょうか。まずは身近な大人たち、学校の教師たちだったはずですが、そのおとなたち、先生たちにもそのような自覚や反省はなかったのでしょう。」(後藤氏配布資料より)

神奈川で長年にわたり中学校の教員をされた報告者の痛切な思いが伝わってくる。

「政府内で事実関係を確認できる記録が見当たらない。」(関東大震災時の朝鮮人虐殺について問われた際の松野博一官房長官の答弁)

歴史には、顕彰されるようなプラスの事柄と目を背けたくなるようなマイナスの事柄がそれぞれ織り成している。
輝かしい事柄だけに目を向ける。
今ではそのこと自体が「マイナスの事柄」となっている。
ある立場からする「輝かしいプラスの出来事」は、逆の立場からすれば「悲惨なマイナスの出来事」でしかない、ということは、今の時代において共通認識となっているからだ。
そして「ある立場」とは異なる「逆の立場」の人びとの思いをどれだけ汲み取ることができるかが、今の時代における「ある立場」の人たちに求められていることである。

政府内で記録が確認できなければ、なかったことになるのか?
しかし小学生は、しっかりと目撃し書き記していた。

官房長官の答弁は、「収蔵時点で不法、不正な点がないことを確認しています。したがって(そのような(収奪した:引用者))文化財は存在しないものと認識しています」という小倉コレクションに関する東京国立博物館のコメントとも共通する。

物事の価値を判断する際の射程、歴史認識の深浅が問われている。


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。