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藤森1965-68「考古学への想い」 [論文時評]

藤森 栄一 1965-68「考古学への想い」『信濃考古』(詳細な原典情報不明『藤森栄一全集 第15巻 考古学・考古学者』所収:17-30.)

晩年に記した10箇条の遺言である。
その10箇条とは、1.書いてみたいこと、2.掘ってみること、3.感じてみること、4.観察してみること、5.歩いてみること、6.遊んでみること、7.ケンカをしてみること、8.地味をみること、9.覗いてみること、10. 一度つけた灯を消さないこと、である。
いづれも「身に染みる」。

「とても、慎重に、いつまでも資料を眺め、あっためている人がいる。もちろん、それはそれでまことに学問的で結構である。しかし、資料は単独でおかれた場合、なんの役にも立たぬものである。いくつも、小さなつまらないような資料が、共通の場に提出され、組立てられるのでなければ価値を生じないのである。」(書いてみたいこと:17.)

私の身近にも、こうした人が居る。アイデアも感性も素晴らしい、材料も揃っている。しかし「あっためている」のである。

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タグ:研究姿勢
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溝口2022『社会考古学講義』 [全方位書評]

溝口 孝司 2022『社会考古学講義 -コミュニケーションを分析最小基本単位とする考古学の再編-』同成社

「考古学的研究の対象としての人間の思考と行動の「痕跡」がなぜそのようになったのか? そこに見出される「パターン」はなぜ産み出され、維持され、変化したのか? 私たちは、なぜそれらに私たちがやっているようなやり方で意味づけをし、説明し、理解するのか? そうすることは、私たちが生きてゆくことに対してどのような意味を持つのか?」(i.)

こうした問いに対して、筆者は「社会考古学」という名前を与えているが、正に私の「第2考古学」と見事に重なり合っている。
違うのは、力点の置き方が研究対象である彼ら/彼女らという「過去」にあるのか、それとも研究者である私たちという「現在」にあるのかというぐらいである。

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東村2021『近現代北海道とアイヌ民族ー和人関係の諸相』 [全方位書評]

東村 岳史2021『近現代北海道とアイヌ民族ー和人関係の諸相』三元社

「アイヌ民族の存在を否定する論者は、ほぼ全員といっていいほど「民族」の客観的定義は存在しない、アイヌを勝手に自称する人間がいるだけだと主張する。そこには自分の民族帰属の問題がきれいさっぱりと欠落し、民族呼称の問題が名付ける側と名乗る側の関係によることが顧みられていない。民族の存在を否定することは、当然権利の否定でもある。」(231.)

「アイヌ民族の存在を否定する論者」は、必然的に「日本民族の存在も否定」しなければならなくなる。
「混血によって純粋なアイヌ民族が減少している」とする論者は、必然的に「混血によって純粋な日本民族が減少している」としなければならなくなる。
当たり前である。
「アイヌ問題」は、必然的に「日本人(和人)問題」である。
筆者に一貫しているのは、こうした自省的な「和人の当事者性」意識である。

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