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寒中見舞 23-24 [雑]

タレント事務所の性被害、女性歌劇団のいじめ、大学体育会の薬物汚染、軍隊内の悪ふざけと称した性的嫌がらせ、新興宗教による家庭崩壊と政治との癒着、政権与党の不正な政治資金問題など、いずれもマスコミを含めて一部の人たちには知られていた事柄でした。しかしそのことが世の中に広く知られることはありませんでした。問題が明るみになったためになされた記者会見や取材者に対する応対などを通じて、それぞれの組織の体質がより一層示されました。
 こうした事を行えば問題になるということぐらい良識ある大人であれば誰もが分かっているはずなのに、問題が尽きることはありません。なぜでしょうか。まさかばれるとは思っていなかった? それもあるでしょうが、むしろこうした一般的には「悪」とみなされる事柄に対する魅力・誘惑に抗うことができなかったということなのでしょう。そうした悪に対する抑止策や予防のために、さまざまな規則や法律が制定されているのですが、一定の抑止効果はあっても本質的な解決には程遠いようです。むしろ様々な種類・分野でのいじめ、差別、ハラスメントは、量的にも質的にも深まっているようです。

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伊藤2003「<紹介>『文家屯』 [考古誌批評]

伊藤 淳史 2003「<紹介>遼東先史遺跡発掘報告書刊行会編『文家屯 一九四二年遼東先史遺跡発掘調査報告書』」『史林』第86巻 第1号:130-131.

2002年に京都大学人文科学研究所考古学研究室で発行された書誌に対して、京都大学大学院文学研究科内に置かれている史学研究会の定期刊行物に掲載された書評文である。

「調査後に資料は京大文学部に運ばれたものの、敗戦の混乱や氏(澄田正一氏:引用者)の異動と逝去により整理作業の中断や流転を重ねた経緯を知るとき、散逸させることなく資料を守り、刊行に向けた作業も進めていた氏とその門下の研究者の方々には、おおいに敬意を表したい。
若き発掘者のすぐれた問題意識と記録は、その熱意により世代を越えて継承され、いま高水準の報告書として結実した。報告書の作成は、発掘に携わる者の義務であり、今後も対象とする時代や地域にかかわらず同種の作業は実施されていくであろうが、その点でも、参考とすべき点が多い。」(131.)

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寺沢2014「様式論と編年の理論的前提」 [全方位書評]

寺沢 薫 2014「様式論と編年の理論的前提」『弥生時代の年代と交流 -弥生時代政治史研究-』吉川弘文館:100-120.

「「形式」「型式」「様式」の関係やその大別、細別の状況をもう少し具体的にみてみるために、この国のJRの車輛を例にとって説明してみよう。図19は年次を追ったJRの電車とディーゼル動車の変遷を示したものである(久保田 博1979『新しい日本の鉄道』保育社)。横軸には昭和の年号が、縦軸にはそれぞれの車輛の用途が書かれている。(中略) 次にそれぞれの形式を年次を追ってたどっていくと、数字や記号が羅列されているだろう。これが型式に相当すると考えればよい。たとえば、電車という形式の通勤形式の直流形では、昭和31年までには72型電車が使われていたが、32年には101型電車にチェンジされ、昭和37年には新たに103型電車が製造されだしたといった具合だ。そのそれぞれを型式と考えれば、横方向に延びる型式組列と、その分岐・融合のありさまをみることができよう。」(107-109.)

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ボダルト=ベイリー2015『犬将軍』 [全方位書評]

ベアトリス・M・ボダルト=ベイリー(早川 朝子 訳)2015『犬将軍 -綱吉は名君か暴君か-』柏書房(Beatrice M. Bodart-Bailey 2006 THE DOG SHOGUN The Personality and Policies of Tokugawa Tsunayoshi. Univ. of Hawaii Press.)

地表から4m弱の堀の底に立つと、目の前に法面仰角35°、法面長5.7mのローム面が迫って来る。西側法面の真ん中には、千川上水から水を引き入れた導水溝がぽっかりと口を開けている。
閑静な住宅街の地下に眠る周囲1.8kmに及ぶ巨大な御殿堀。水を湛え、要所には櫓が聳える。今では想像もつかない。1698年に構築されて、1713年には埋め戻された。僅か15年ほどの光景であった。

「綱吉の政策が武士にとっては苦痛を与えるものであったことを考慮するならば、史料を読む際には、その性格や書かれた目的についての慎重な考察がなされなくてはならない。このことは十分に厳格な姿勢でもって常に行われてきたとは言えず、そのことに筆者は、綱吉の人格と統治を分析する上で、さらに別の盲点があることを認めている。史料の大半は武士が武士のために書いたもので占められていて、それらは武士の考え方を擁護し反映するものであり、全体主義的な政府の政治的都合により、選択的に保管され編纂されてきたのである。(中略)
武士である筆記者により、「国全体」を苦境に陥れたとして批判された数々の政策は、人口のはるかに多くの部分を占めた庶民にとってはしばしば有益だったのである。」(17.)

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