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石棒研究の現状あるいは考古学的解釈の妥当性について [考古記録]

「石棒の出土範囲からは敷石が認められないこと、石棒の下面半部が埋まっていることから、住居として使用した後に、当該部分の敷石を剥いで浅い掘り込みを設けた後に石棒を設置したことが推測されている。」(清水 周2015「大形石棒の出土状況 -東京都緑川東遺跡の事例-」『考古学ジャーナル』第678号、特集 縄文時代の大形石棒:19. *【2015-05-27】で引用した「緑川東遺跡と四本の大型石棒」『多摩考古』第45号:20.とほぼ同じ文章である。というより、論文全体がほぼそのままの引き写しである。)

「当該部分(石棒の出土範囲)の敷石を剥い」だ、という解釈の根拠として、「石棒の出土範囲からは敷石が認められないこと」、「石棒の下面半部が埋まっていること」の2点が挙げられている。
しかし石棒が出土した範囲(石棒の出土範囲)は、当然のことながら石棒が出土しており、敷石は存在し得ない。当たり前である。敷石は、石棒が存在していない範囲に存在している。
そして石棒の下面半部が埋まっている(敷石面から浅い掘り込みを設けた)という事象が、どのような論証を経れば「当該部分の敷石を剥い」だということになるのか、理解不能である。

「清水周の報告する東京都緑川東遺跡の事例は、深い掘り込みをもつ敷石遺構の中央部の敷石を抜き取り、大形石棒4本を向きを揃えて並列して埋設したものである。」(谷口 康浩2015「総論 大形石棒の残され方 -放棄時の状況と行為のパターン-」『考古学ジャーナル』第678号、特集 縄文時代の大形石棒:7.)

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ある新たなミドルレンジ研究 [考古記録]

「現在から過去へという面と、静態から動態へという面で、検出された考古学的記録(archaeological record)のパターンを、当時の人間行動という脈絡に変換していく方法論が必要になるとされ、そのための方法論体系をミドルレンジセオリーと名づけた。」(阿子島 香1999「ミドルレンジセオリー」『用語解説 現代考古学の方法と理論Ⅰ』:179.)
「ミドルレンジセオリーは、考古学的記録と文化システムの動態との間の関係をめぐる理論なので、それゆえに、その両者をともに観察できる現場において、論を組み立てていくという立場をとる。そのような条件を満たす3分野が存在し、それらは、民族考古学、実験考古学、そして歴史考古学であるという。」(同:180.)

私もこうした理解に基づき、実験痕跡研究を位置づけた(五十嵐2001「実験痕跡研究の枠組み」)。ところが最近、新たな「ミドルレンジ研究」に関する定義が提出されていることを知った。

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神軍(かみいくさ) [考古記録]

「「續日本後紀」卷八、仁明天皇承和六年(西暦839)の條に、次の如き記述がある。これが我に於ける、最も早い信憑すべき石器時代遺物に関する記述である。

乙丑出羽國言、去八月廿九日、管田川郡司解稱、此郡西濱達府之程五十餘里、本自無石、而從今月三日霖雨無止、雷電闘聲、經十餘日乃見晴天、時向海畔自然隕石其數不少、或似鏃或似鋒、或白或黒或青或赤、凡厥状體鋭皆向西、莖則向東、詢于故老所未曾見、國司商量、此濱沙地、而徑寸之石自古無有、仍上言者 其所進上兵象之石數十枚、收之外記局、勅曰、陸奧出羽并大宰府等、若有機變隨宜行之、且以上言 克制權變令禦不虞、又轉禍爲福、佛神是先宜修法奉幣

即ちこの年、出羽國田川郡西濱の地に、雷雨の後鏃に似たる石を降らす、故老に尋ねても知らざる異変であつた。依て之を朝に献じたが、朝廷に於ても亦國司の狼狽を伝へて、國境不慮の変あらん事を惶れて土地の神佛に幣を奉つたと云ふのである。」(中谷 治宇二郎1935『日本先史学序史』:43-44.)

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タグ:学史 捏造
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21世紀の「原位置論」 [考古記録]

「原位置論」といえば、麻生1969「「原位置」論序説」『上代文化』第38号と同1975「「原位置」論の現代的意義」『物質文化』第24号。
最近の若い方々は、どれほどご存知だろうか?

「原位置は出土状態そのものである。その道具が使用されていたあるがままの出土状態、そのものが使用されて機能を果たしていたであろうと思われるあるがままの状態でなければ、本来の原位置の意味とはならない。
さらに原位置の意味は、考古学的出土状態から直接判断することは非常に難かしく、ましてや考古学的出土遺物からも、そくざに判断しにくい。原位置の意味、それは、あるがままの状態、本来の機能を果たしている状態であったか、二次堆積の状態であったか、現在の考古学研究では、考古学的出土状態から直ぐさま認定することは困難である。その道具が本来使用されていた状態のままで出てくれば、大変好都合で、“原位置”としては、本来の狭い意味での使用法となるのである。」(麻生1975:1.)

として縷々述べられているのだが、結局は3次元分布図(ドットマップ)を作成し、そこから解析をなすという言わば、今では当たり前?(当時は先駆的)なことであり、あるいは「包含地、包含層の意味を解明するために、ひとつひとつの土器片の出土状態を細かく記録した。土器面を上にしているか、下にしているか、横にしているかに注意をはらった。」(麻生1969:5.)といったある意味で密着思考的な袋小路に入ってしまったが故に、「原位置論」自体が発展せずに、現在は忘却されているのではないか。
しかし、ここには、まだ救い出しうる、というより、新たな光を当てる、いやむしろ開拓しなければならない領域が残されているようである。

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イヌクシュク [考古記録]

新しい時代の墓標をどのように扱うのか、これは難問である。なぜなら、私たち(少なくとも私)の墓知識は、せいぜい土壙墓や配石墓、木棺墓、方形周溝墓、墳丘墓、横穴墓ぐらいで、地上に構築された石製あるいは木製の墓標の取り扱いに関して、確たる方策を有していないからである。
地下構造物と対応関係を有する地上構造物、対応関係を有さない単独の地上構造物。
複数の構成要素で構築された墓標、単独の墓標、自然物を利用した墓標。
裏庭に穴を掘り、愛犬の遺骸を埋めて、目じるしとして小さな石と牛乳瓶にタンポポの花を挿しただけの小さな「墓」にしても、当事者にとっては大きな意味を持つだろう。しかし数年も経てば、その痕跡は、特に第三者にとっては確認が困難なものとなるだろう。

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タグ:構成要素
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Cultural Website Quality Principles [考古記録]

過日、考古学情報のデジタル化に関心を持つ何人かと意見を交換する機会を得た。その場において、考古学(向こうでは文化遺産)に関わるホームページ(ウェブサイト)はどうあるべきかといったことが話題になった。そこで「ミネルヴァ」というグループが提示している10箇条の原則を参考に示した。

 

ミネルヴァ(MINERVA)とは、MInisterial NEtwoRk for Valorising Activities in Digitisation(デジタル化促進活動のための行政的ネットワーク)という文化・科学情報・学術領域のヨーロッパ地域の組織である。詳しいことはよく判らないが、日本でいえば『デジタルアーカイブ白書』を出していたデジタルアーカイブ推進協議会(JDAA)の更にアジア地域に拡大したようなものだろうか。しかし日本ではそのJDAAすら2005年で解散してしまった。

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岩波『日本考古学』誤植問題(顛末) [考古記録]

【2005-11-28】において指摘した小野山 節1985「資料論」『岩波講座 日本考古学1 研究の方法』岩波書店:17-41頁における2点の疑問点(26頁:「遺物の定義のなかに、そのものが本来の機能を担っているという条件を入れると、寺院で現在使用中の古い梵鐘は考古資料のなかに含めることができなくなるが、これはいかにも不自然である。」および29頁:「泥岩層遺跡」)について、本日電話にて岩波書店編集部より返答があった。

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「本来の位置」再考 [考古記録]

本来の位置がある構造物には、本来の位置を保つもの(残存物)と本来の位置を失ったもの(分離物)がある。
そして、様々な部材は、それが構造物のどこに位置するかによって、残存の仕方、すなわち本来の位置を保ちやすいか、それとも失いやすいかが定まってくる。
地上部分、それも地表から上空に向かって離れれば離れるほど、本来の位置を保ち続けるのは、困難になる。それは、重力という物理法則に逆らう営みだからである。だから屋根材である瓦などは、屋根に敷かれた「本来の位置」を保ちながら機能を失うこと、言い換えれば「本来の位置」を保ったまま地中から見出されることは殆どなく、多くが「分離物」として見出されることになる。
地下部分、それも地表から地中に向かって離れれば離れるほど、本来の位置を保ち続けるのは、容易になる。それは、地上における改変行為の影響を受ける確率が低下するからである。だから埋設物である土管や鉄管などは、埋設された位置を留めたまま、言い換えれば「本来の位置」を保ったまま地中から見出されることが多く、「残存物」として見出される。

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「本来の位置」考 [考古記録]

「本来の位置」があるものとないもの。
これが、構造物と道具という、考古学的には「遺構」と「遺物」という考え方の一つの視点になるような気がしてきた。

そして、「本来の位置」という空間的スケールの取り方によって、そのニュアンスというのは微妙に変化してくるように思われる。

例えば、人間が空間を移動するための道具を考えてみよう。

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「原位置」論本説 [考古記録]

『汐留Ⅳ』の批評に対して寄せられた福田さんのコメントに触発されて、歩きながら考えたことを少し記してみよう。キーワードは、「本来の位置」である。

かつて「出土状態そのもの」を重視して、「遺物の出土状態をよく記録する」ことが「原位置」として論じられたことがあった。しかし、今やここに改めて本来の「原位置」、かつて論じられた「原位置」とは位相を異にする「原位置」を論じる必要性が提起されるに至った。すなわち、構造物を構成している品々(部材)が、「本来の位置」を維持しているかどうかによって、考古資料の脈絡、私たちの認識が問われる事態であることが明らかにされつつある、という認識である。

「人は生活の中でさまざまなものを作り使い、あるは置き忘れ、しまいこみ、また棄てる。またいろいろな構造物を地上や地中に作り、それを使い、修繕し、毀し、またそのままに放置するか片付ける。ものは構造物たとえば住居の床に置かれ、炉にかけられ、ごみ穴に放りこまれ、道ばたに放置される。構造物にものがつめこまれたり、空になったり、ものとものが組合って構造物の一部となったり、ものを据えるために構造物の一部がこわされたりする。」
近藤義郎1981「発掘の話」『歴史評論』第373号:33)

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