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イヌクシュク [考古記録]

新しい時代の墓標をどのように扱うのか、これは難問である。なぜなら、私たち(少なくとも私)の墓知識は、せいぜい土壙墓や配石墓、木棺墓、方形周溝墓、墳丘墓、横穴墓ぐらいで、地上に構築された石製あるいは木製の墓標の取り扱いに関して、確たる方策を有していないからである。
地下構造物と対応関係を有する地上構造物、対応関係を有さない単独の地上構造物。
複数の構成要素で構築された墓標、単独の墓標、自然物を利用した墓標。
裏庭に穴を掘り、愛犬の遺骸を埋めて、目じるしとして小さな石と牛乳瓶にタンポポの花を挿しただけの小さな「墓」にしても、当事者にとっては大きな意味を持つだろう。しかし数年も経てば、その痕跡は、特に第三者にとっては確認が困難なものとなるだろう。

例えば「蔵骨器」というカテゴリーは、何によって規定されているのだろうか。 字義通りに取れば、「遺骨を納める容器」ということになるのだろうが、それでは遺骨が納められていれば何でも(花瓶でも水差しでも)「蔵骨器」なのか、それとも「蔵骨器」という限定的な範疇(常滑焼、銅製合子、長胴甕、青銅製有蓋筒形、火消壷など)があるのだろうか。
考えるに「蔵骨器」なるカテゴリーは、ある一定の発見状況下、すなわち地上墓標と有意な関連をもって、例えば五輪塔の直下から見出されるある複数の特定型式に収斂する(その特定型式は、時代と地域による多様な変異をみせる)容器であり、往々にしてその内部に人骨を有することから、火葬後の焼骨を収納するために用いられたと考えられているのである。ポイントは、ある特定の発見状況である。仮にある資料が、既知の「蔵骨器」タイプに該当しなくても、あるいは内部から人骨が検出されなくても、地上墓標の直下から有意な状況で見出されたならば、それは「蔵骨器」として認知されるのではないのか。しかしそのように「蔵骨器」として認知された資料と全く同じ資格を有するものでも、そうした位置価を有さない場合、すなわち常滑焼の破片が「廃棄遺構」から検出されたとしたならば、それは「蔵骨器」としては認知されないだろう。

同じようなことは、中世城郭の「堀」と呼ばれる遺構と、「廃棄遺構」と呼ばれる遺物のある特定の分布状態についても言いうるだろう。地面を一定の企画に従って掘削することによってある機能を遂行するべく穿たれた土地痕跡とそうした窪みを不用となった廃棄物の処理のために利用すべく用いた廃棄痕跡。「堀」という本来の製作・使用意図から見れば、あくまでも「再利用」でしかない廃棄の結果としての痕跡。「堀」とか「土坑」とか地面を掘り窪めた一定の限定的空間に分布するが故に「廃棄遺構」として認知可能であるが、それが広大な平面に散布するだけなら単なる「包含層」と区別しようがなくなってしまう存在状況。

製作時に付与された(使用時にも意識されたであろう)内包的属性(常滑焼・城郭の堀)と特定空間に据え置くといった(蔵骨器)あるいは廃棄のため不用となった空間を利用するといった(廃棄遺構)状況的属性の混同。

そしてここから更に別種の問題が派生してくるのが、内包的属性に人為性が全く認められない事例、すなわち自然物を組み合わせて構成される人為的構造物に関する認知問題である。

「70年万博のテーマ館をまかされた岡本太郎は、世界中の仮面や神像を集める計画を立てて、第一線の人類学者たちに収集を依頼した。そのなかにカナダの北極圏に住むイヌイットたちのあいだに伝わる「イヌクシュク」という石像があった。ある日カナダから現物が届き、岡本たちは倉庫で荷解きをして、そこに思いもしなかったものを発見する。中から出てきたのは、何の変哲もない、ただの石ころだった。どの石も角張って、まるで加工などされていない、自然の状態のままのように見えたが、包みに同封されていた指示書のとおり、順番に組み上げてみると、こつぜんと人間の像が現われたのだった。」(港 千尋2000「夜明けの石 Eolith」『InterCommunication』No.31:154.同『自然 まだ見ぬ記憶へ』NTT出版:204.に再録)

「イヌクシュクは石がただ積んであるだけ。全然接着していないというところにわたしは暗示を受ける。いわゆる『作品』としての恒久性、そのものとして永続するなどということは期待していないのだ。一突き、ぐんと押せば、ガラガラと崩れる。すると像は忽然と消えてしまう。そこらに転がっているのとまったく見分けがつかない、ただの石くず、二度ともとの形になることのない瓦礫に還元されてしまうのである。」(岡本 太郎1971『美の呪力』、港2000より重引)

ただの石くず。これはお手上げである。指示書がなければ。完成時の写真でもなければ。

考古学が手の出せない世界がある。自然物を組み合わせた造形物。加工のない自然のものを組み上げて構築される人工物の世界である(自然の樹木を利用して構築された「ツリーハウス」)。
現状を保っていれば、そのように認識することも出来よう。しかし、一度その形を失えば、そこにあるのはただの石ころ、ただの自然木に過ぎない。
幼児が積み上げた積み木のお城も、あるいは愛知県犬山市在住のチンパンジー「アユム」が積み上げる積み木も、その姿を現しているのは、一瞬といえば一瞬に過ぎない。マンモスの頭蓋骨と牙で組み上げられた住居も、それが形を留めずに崩壊してしまえば、ただの骨の集積に過ぎない。

構成要素(組み上げられるもの)と構造物(組み上げられたもの)の相互関係。
構成要素の製作時に付与される属性に起因する特性と、そうした構成要素を用いた構造物の製作時の特性との差異、特に相互の時間差、構成要素が再利用される場合の私たちの認知構造のズレ。
構成要素が組み上げられた状態でのみ構成要素として認定可能なもの、すなわち自然素材の構成要素(部材)と構造物が形を留めない状態においても構成要素(部材)自体の形状によって構成要素として認定可能なもの、すなわち特定形状に加工された部材との違い。


タグ:構成要素
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アヨアン・イゴカー

今回のブログを拝見して感じたことを書かせて頂きます。
人間は自分達が経験したことのないものを、追体験できない。これは事実であると思います。そして、遺構にしろ遺物にしろ、発見されたとしても、その本来の目的、用途、歴史的意味、考古学的意味は、特定するのが難しい。なんとなれば、同時代的に価値を共有することが、時間的に離れているが故に不可能だからです。
南伸坊というイラストレーターが『ハリガミ考現学』なる本を書きました。この本は、その提示している発想法の偉大さに比べ、遥かに内容が乏しいと思いました。しかし、発想法は実に本質的だと思います。考古学が発展するためには、現在進行しつつある現象を見なければならない、そして、それを遺構なり発掘品の意味を考える際に、最大限活用しなければならない、と思います。現在は未開人と呼ばれる人々がいなくなってしまったために、人間がどのような発想を持ちうるのか、と言うことを事実によって検証するのが難しくなっています。
五十嵐先生が引用されているイヌクシュクなども、一般の人にとってみれば只の石の集まりにすぎないのですが、意味を知った人間がいると、それは立派な形を持ち、石像として認識されることになる訳です。つまり、考古学がより現実の証拠によってその意義が確立されるためには、種々雑多な未開人の文化が、現在も続いている必要があります。世界各地にある民族的な、固有の文化を保護することが、考古学の発展には不可欠なのではないかと思われます。
by アヨアン・イゴカー (2008-03-18 01:02) 

五十嵐彰(伊皿木蟻化)

最近「逆照」というちょっと見慣れない言葉に引っ掛かっています。常に歴史学という方向性に収斂していく、いかざるを得ない第1考古学に対して、それこそ人類学・社会学・言語学・経済学から土壌学・生物学・哲学・数学果ては法医学・道具学・足跡学に至るまでの諸学を動員して第1考古学の存立基盤を問い直す第2考古学は、「古きを温める」のではなく、逆に新しき知恵を総動員して「古きの温め方」をその妥当性を「逆に照らし返す」のです。そしてそこから今度はその知識をもって「新しきを知り」、さらに再び・・・というように際限のない知の反復運動がなされなければならない、一方向に固定化してはならないと思っています。
ちなみにイヌクシュク(inukshuk)は、2010年冬季オリンピック(バンクーバー)のロゴマークに採用されたとのことですから、これから私たちがその可憐な姿を目にする機会もあることでしょう。
by 五十嵐彰(伊皿木蟻化) (2008-03-18 21:15) 

思邪無

お久しぶりです。なかなかゆっくり考える時間がとれず、コメントが遅くなってしまいました。
おぼろげながら「遺構-遺物」の齟齬の実態がが明らかになりつつあります。従来の地縁があるかないかでは表現できていなかったもの、これが入れ子状の構造とでも言うべき「構成要素-構造物」の関係を一緒くたに絡みとっていたということなんでしょうか。確かに堀(これは一般的に遺構と呼ばれる)は何らの関係性から解放された場合、表面採集されるナイフ形石器(遺物)と同質のものと捉えうるでしょう。ただし性質上、地縁を有しているものですから、「館を廻る」堀なり構成要素としての部分も多分に考慮されます。
イヌクシュクのような自然遺物、炭化したどんぐりを実測しないのと同様、部材としての自然石は認識できません。地縁をはらんではじめて実体化します。これは伊皿木さんのコメントの冒頭の地上の墓標と関係しますね。
簡略ですが、悪しからず。
by 思邪無 (2008-03-21 07:43) 

あかねだ

中国へ初めて行ったとき、荒れ野にしゃれこうべがいくつも落ちていました。
後に有名になった大規模な墳墓群が横で調査中でしたので、人骨の扱いはどうなっているんだろう、と思いつつ野の主のお顔を拝見していると、それは最近のものだから、と先方の研究者。

彼の話によると、今でも人が亡くなると小さな塚を築き、そこに埋葬した後30cm程の自然石を墓の標として置くのだそうです。時が過ぎ、風でその石が落ちるとそこは墓ではなくなり、死者も天に帰るので墓前でのお祭りもしないし、骨が露出してももうわからない・・・。

通訳の方を通じてのまた聞きですので、本当にそうなのか、私の理解が正しかったのかは少し不安ですが、そんな例もあったということで。

・・・ただ、そこから先に進まないのが、お恥ずかしい限りではあります。
by あかねだ (2008-04-04 05:54) 

五十嵐彰(伊皿木蟻化)

中国大陸における人骨といえば、70年前に「白骨を踏み越へ」た先達を想起せざるを得ません(【2007-03-19】参照)。
by 五十嵐彰(伊皿木蟻化) (2008-04-04 20:40) 

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