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#19:20080312 [セミナー]

「再び遺構/遺物の二項対立図式を脱構築する見通しを考える」 

まずは、現状の確認から。
「竪穴建物や倉庫、井戸や溝、窯や鍛冶炉、竪穴石槨や横穴式石室、大極殿や朱雀門、金堂や築地塀など、土地から切り離すといちじるしく価値を損なってしまう、いわば不動産的価値をもったのが遺構。石斧や木鍬、須恵器や瓦器、鉄滓や石器未製品、鏡や銅鐸、木簡や墓誌、糞石や植物・動物遺体など、遺跡から遊離させても価値はさほど変わらない動産的価値をもったのが遺物。」(広瀬 和雄2007「考古学の現在」『考古学の基礎知識』角川選書:17.)
これが現在の「日本考古学」の基礎知識である「遺構-遺物」概念に関する最新の記述である。
不動に思える「不動産-動産」規定。
しかし縄紋や弥生の「遺構・遺物」が歴史的な産物であるのと同様に、私たちが用いている「遺構/遺物」という考古学概念も歴史的な産物である。歴史的経緯から「先史」という枠組みに規制されて構築された「遺構/遺物」という考古学的二項対立システムを近現代という視野から読み直すことが必要である。

【06-11-21】の記事をきっかけに、【06-11-27】、【06-12-05】、【06-12-16】などで遺構/遺物あるいは「残存物」「分離物」といったことを考えた。部材について言えば、「本来の位置」が地表面を境界として、地上にある場合(例えば瓦)と地下にある場合(例えば埋設管)とで、空間的残存形態が大きく異なり、そのことが私たちの部材認識に大きな影響を与えていることを指摘した。 

遺構とは何か、遺物とは何かといった定義問題、この資料はどちらに属するのかといった線引き問題に頭を悩ますことは余り生産的ではないだろう。全く意味がないとは言わないが。
遺構・遺物といった二者にあらゆる<もの>資料を区分することの意味をこそ問わなければならない。

「私たちは、二項対立のもつ固定的で永続的な性格を拒否し、性差の条件を真に歴史化し脱構築する必要がある。私たちは、自分たちの分析用の語彙と自分たちが分析しようとする材料との識別に、もっと自覚的であらねばならない。たえず自分たちのカテゴリーを批判の対象とし、自分たちの分析を自己批判しつづける道を(たとえどれほど不完全であっても)見つけ出さなければならない。脱構築についてのジャック・デリダの定義を用いるとすれば、こうした批判とは、どのような二項対立であれ文脈にそくしてそれがどう作動するのかを分析すること、それを現実だとか、自明だとか、あるいはものごとの自然であると受け入れるのではなく、そのヒエラルヒーをなす構築を逆転させ、ずらしてみることを意味している。」(ジョーン・W.スコット(荻野美穂訳)1992『ジェンダーと歴史学』:72.)

二項対立構図は、先史資料において典型であるがゆえに、境界問題あるいは二項対立そのものが抱える問題性が顕在化することはなかった。しかし近現代資料に直面することによって、否応なく境界問題を考えざるを得なくなった。代表的な先史資料である土器・石器・竪穴・土坑という単純で典型的な組成、全体における有機質資料の僅少性といった「先史的<もの>性」が、複雑で多様な素材、不朽性資料の増大(合成樹脂、コンクリートなど)といった「近現代的<もの>性」に置き換わったとき、先史的な二項対立図式の不備がたちまち明らかになる。先史資料に基づいて構築されてきた従来の考古学的概念の歪みが照らし出される。私たちを取り巻く多様な<もの>世界を不動産-動産という単純なカテゴリーに区分しうると考えるナイーブさが明らかになる。

近現代考古学の最大の役割は、従来の先史考古学的前提・用語・概念・常識などを近現代的な視点から批判的に捉え直すことによって、ある意味で片寄った先史的諸概念を<もの>世界に相応しい体系へと変換することである。これこそ第2考古学の大きな役割となるだろう。

「フェミニズムとはいわば、この性差別や性暴力に満ちた世界という壁に刻まれた亀裂である。それが壁全体を崩壊させ、向こう側にある何かまったく別のものを明るみに出すことができたなら、そのとき亀裂としてのフェミニズムそのものも終わる。それは何の痕跡も残さず、むしろ痕跡の可能性そのものを残さないようなやり方で、旧い壁=世界とともに消え去るはずなのである。そうだとすればフェミニズムへの裏切りとは、思いがけず拡がっていく亀裂の運動を見て、慌ててそれを適当なところでとどめようとするたぐいの小心さであり、また反対に、亀裂の延長をあきらめて旧い壁のそばにもうひとつ別の壁をでっちあげてしまうような傲慢さであるだろう。しかもそれら二つの態度は見かけほど離れているわけではない。マルクス主義の歴史をみればそのことは明らかだが、おそらくそれは対抗運動としての「イズム」一般の特性であって、それゆえフェミニズムも例外ではありえない。だからこそ何度でも繰り返すべきだろう。フェミニズムの夢は、いつかフェミニズムを終わらせることである。そしていまもなおフェミニズムが必要であるのだとすれば―それは確かにいまもなお必要なのだ―、僕らはいまも「敵は勝ち続けている」と言うほかにないだろう。そして僕の夢は、フェミニズムのために書くことを通じて、フェミニズムなどもはや必要ではない世界を喚び起こすことに、たとえわずかでも貢献することである。」(加藤秀一1996『性現象論』:iii-iv.)

今回も新たな出会いがあった。ここからどのような展開をみせるのか、誰にも予想がつかない。

亀裂としての第2考古学。
旧い壁である第1考古学とともに消え去るべき第2考古学。
第2考古学などもはや必要ではない世界をイメージすること。

「当分は良くならない。それでも動き続けなければならない。」(ガヤトリ・スピヴァック1993)


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思邪無

 先日はお世話になりました。
 議論中のこととはとはいえ、初対面ながらの失礼の段、お詫びいたします。またそれを許して下ったこと、有難く思っています。

 五十嵐さんが考古学のことを心から思い、そして真摯に向き合っていることに共感いたしました。きっと、この志は果てしない忍耐の上になりたつのでしょう。しかしながらこうも感じました。私がそうであったように、直接の対話と議論によって、必ずや理解してもらえる日が来るであろうことを。

 あなたと出会えた仕合せは、きっと私の財産になると思います。微力ながら、共に考え、行動していきたいと考えています。

 我々は、我々の(フーコーにいう)ディスクールを問い直し、それを俯瞰しなければならないのでしょう。今世紀のこの動きに日本考古学が対応できなければ、学としての存在はありえなくなってしまうであろうとも危惧しています。

ところで、先日お話を聞いていて思い浮かんだ似たような例があったので、ご意見をお聞かせ願いたいと思います。
中世の五輪塔、これはまず地上に立っているものですから、現存しているものは遺構なのか遺跡なのかという問題が出てきます。また、文化財の可能性もあります。土中に埋まってしまっているものは(法的には文化財の資格はありませんが)、多くの場合、五十嵐さんの言う部材として出土します。五輪塔は、上から空風輪・火輪・水輪・地輪の各部材で構成されていますが、地輪が往時の面に基礎を保っていて、その上の水輪が転げ落ちていて少し離れた場所(数メートル程度)で見つかった場合、前者は遺構で、後者は遺物扱いされてしまうのかという問題にぶつかりますね。恐らく、発掘担当者は両者をえっこら持ち帰って、実測するのでしょうが・・・地輪の下から常滑焼の蔵骨器なんか出てきたら、また大変です。それは遺構であり、遺物なのですから。
 さらに4つの部材が辿る運命は続きます。城郭の破壊・破却を示す儀式である城破り(しろわり)の際に、城内の石塔類(これは旧領主にゆかりのあるもの)がバラバラにされたり、ときには一括で堀底に捨てられたりする例があります。これは、部材の集積でありますが、一般的には廃棄“遺構”とされてますね。全く同じものが、経年することで遺構になったり遺物になったり、その立ち位置を変えていきます。そういった意味で、部材という言葉は敷衍性をもった言葉だとは思います。同時に、「部材」と認識することで「蔵骨器」や「廃棄遺構」という言葉の存在する意味が損なわれてしまう(なくなってしまう)ことも、また問題であるのではと思います。

by 思邪無 (2008-03-14 01:56) 

五十嵐彰(伊皿木蟻化)

ようこそ、思邪無さん。そして、先日は有意義なひと時を共有することができ、感謝でした。ブログなどのネット環境は、悪意ある揶揄や揚げ足取りといった応接に消耗を強いられる側面があると同時に、こうして同じ思いの仲間と知り合い、互いに刺激し励まされるという効果があるからこそ、私などもこうして細々と続けることができるのだと改めて感じました。
ご質問の件につきましては、考古資料の特性を考えるにあたって極めて重要な論点でもあり、やや応答が長くなりそうなので、改めて新たな記事としてご提出したく考えております。ただし簡略な見通しのみを記すならば、「蔵骨器」と「常滑焼」あるいは「廃棄遺構」と「堀底」というのは、それぞれ考古学的な階層(レベル)を異にする概念なのではないかと。そうした相互関係を丹念に整序することこそが、理論的な分析作業として私たちに求められていることなのではないか、とも。とり急ぎ。
by 五十嵐彰(伊皿木蟻化) (2008-03-14 21:40) 

アヨアン・イゴカー

素人が思いつきで勝手ながら、感想を申し上げます。

思邪無さんのコメントがあり、遺構と遺跡の違いが漠然と分かった気がしました。そして思い出したのは、アフガニスタンで破壊された石窟仏像でした。考え方が二つあり、一つは破壊された仏像の破片をそのままにしておく、蛮行の証拠としてその無残な姿を残す。もう一つは復元する。そして本来の姿にする。後者は復元すると言う事実によって、蛮行の記録が映像や写真でしか見ることができなくなります。カロッサの『美しき惑いの年』の冒頭にある問題が、常に私を悩ませます。人生はあれかこれかしか選択できない故に。「全世界のりんごの木がのこらず枯れてしまって、今は、もう、たった一粒の、あまり見ばえのしないレネット種のたねしかこの世に残っていないとしたら、人々はそれをどう取り扱うであろう。その一粒を分解し、顕微鏡検査をほどこし、その精密な記述を後世につたえるであろうか。それとも運を天にまかせて、新しい樹木に育つ見込みは薄いにせよ、それを地にまき、とにかく結果を見ることnするであろうか。」
by アヨアン・イゴカー (2008-03-15 12:30) 

思邪無

こんばんは。
伊皿木さん
 ご回答ありがとうございます。概念の階層化の整理は、よく話し合っていかなくてはなりませんね。確かにこれまでの日本考古学は自明の理として、これら概念を検討する機会が少なかったように思われます。斎藤 忠氏は、遺物と遺構ではなく、遺跡と遺物の二項対立を示され、この観点から様々な概念階層化整理をされています(斉藤1997「考古学の意味するもの」『考古学の基本』雄山閣出版44-57頁)。また「遺跡」という言葉も厄介ですね(笑)

P.S五輪塔の話の続きですが、現存のものに関して、法的には建造物扱いになるそうです。

アヲアン・イゴガーさん
 カロッサの問題はすごく人文的で難しいですね。“今”を生きる我々には選択する権利があり、それはどの時代の、どんな人にも左右されません。歴史とはただ望んだ、そのようなことの繰り返しに思われます。
by 思邪無 (2008-03-15 23:37) 

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