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緑川東の最終問題 [痕跡研究]

「五十嵐さんから、廃棄時説の根拠として、石棒の出土範囲に敷石が認められない、石棒は想定される床面下にめり込む状態である、大きめの土器片や破損した扁平礫が石棒上に存在した、石棒直下の土器片と覆土下部の土器片が接合した、という四つを挙げて頂いたのですが、私たちの理解としては、この四つをわけて考えているわけではなくて、基本的にこの四つの状況証拠を合わせるかたち、特に三点目ですけれども、状況証拠の合わせ技で一本、という立ち位置にあると思います。(中略)
一方で敷石の除去に関しては、遺物の出土状況からは確証が得られない。まあ、接合ですよね。一部の敷石に剥がされた石なんかが周辺からくっ付けば、かっこいいのですが、それはなかった。しかし、接合礫02・04・10・12などの床面レベルと壁ぎわ上部での接合が認められる点、遺物分布図(資料集p.20, 報告書第82図)に示しましたが、そういう接合事実が弱いけれども状況証拠としてある。さらには石棒上に投入されていた大形の接合礫09・53は、除去された敷石の可能性を有するのではないか、といった状況証拠もあります。」(黒尾 和久2017「自由討論記録」『東京考古』第35号:3.)

「かっこいい」とか「かっこわるい」といった問題ではないと思うが、それはさておき「特に三点目…」と強調された「石棒上の扁平礫」について考古誌の記載を見てみよう。

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先行デザイン宣言 [痕跡研究]

未来は見えない
けれど
過去は見える

デザインとは この歴史の非対称性を引き受けることだ

線はすでに引かれている
差しもどせ デザインを
振りだせ 物を

わけ知り顔にたたずむ 物たち
無言の 先住民たち
今 君たちを見つけだす
何万年もだまされ続けてきたけれど

物を生み出したのは 物だ
先行するのは 物 その形態
すべての理由(わけ)は形態が知っている

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遺物論 [痕跡研究]

「発掘という行為が意識的になされるようになって以来、いったいどれだけの種類の遺構が検出されてきただろうか。個別の遺構に関する議論は、確かに数多くなされてきた。あるいは遺物概念と対比させた遺構に関する概論的な記述も散見される。しかし、その狭間になされなければならない議論、例えばある時代にはどのような種類の遺構があり、それらはどのような性格を有するのか、あるいは私達が遺構として認識している痕跡は、時代を通じてどのような共通した性格を有しているのか、といった点については、殆ど議論が及んでいない。」(五十嵐2006「遺構論、そして考古時間論」:64.)

ということで、「遺構論」と題して「遺構」とは何かについて論じる機会があった。
ならば、当然「遺物」とは何かを論じる「遺物論」についても、考えを巡らせる必要があるだろう。

「個別の遺物に関する議論は、確かに数多くなされてきた。しかし、その狭間になされなければならない議論」があるのではないか、ということ。
「私たちが遺物として認識しているものは、どのような性格を有しているのか」ということ。

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タグ:もの 遺物
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ヘイヴァーストック=ヒルのネジ [痕跡研究]

“Nor should the purview of the archaeologist be more limited in time. The Loose nut that dropped off my car on Haverstock Hill this morning,・・・”(Childe 1956 Piecing Together the Past. p3)
「考古学者の視界は時間で制限されてはいけない。ヘイヴァーストック=ヒルで今朝私の車からゆるんではずれ落ちたネジ、・・・」(チャイルド(近藤訳)1981『考古学の方法<改訂新版>』:13.)

考古学者の視界は時間で制限されてはいけない。もちろん、言うまでもないことである。しかししばしばそのことが忘却されているがゆえに繰り返し言わなければならない。
そして、そのことと全ての考古学概念があらゆる時代の考古資料に等しく適用されうるかどうかは、また別問題である。

すなわち、車のネジ、いわしの空罐と月桂樹葉状石槍とを等しく論じることができるか、両者の間に考慮すべき差異はないのか、という点である。

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ものの差延 [痕跡研究]

いつも行っていた馴染みの床屋さんが突然閉まって困っているという話しを、ある人がしてくれた。そう言えば、私の好きな中華料理屋さんも最近いつ行っても閉まっていて心配である。
私たちにとっては、「お店が閉まっている」→「利用できない・使えない」という具合になるが、お店という機能が停止した「やめちゃった」と構造物自体が消失する「なくなっちゃった」との間には、時間差がある場合が多い。営業停止と同時に取り壊しという場合もあるが。

どういうことかといえば、例えば『考古学ハンドブック』(小林達雄編2007、新書館)という本で、「遺物総論」(93-100.)と「道具総論」(194-195.)という文章が、100頁余りを隔てて記述されているが、こうした分離主義を乗り越え、両者を統一的な視点で捉える必要があるのではないか、ということである。

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タグ:考古時間
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シアン化合物 [痕跡研究]

シアン化合物は、遺物か?

伊藤ハム東京工場(千葉県柏市)から300mの場所に旧日本軍の施設が存在していた(新聞報道による)。
もしシアン化合物といった薬物をも遺物に含めるならば、そうした薬物に汚染された範囲(汚染土壌地域)も近現代<遺跡>と言いうるだろう。遺物が包含されている場所が、「遺物包含層」と呼ばれて<遺跡>とされるように。

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穴問題(3) [痕跡研究]

光の欠如としての「影」と物体の欠如としての「穴」は、どこがどのように同じで、どこがどのように違うのか。
まず「移動可能性」、すなわち動くということについて考えてみよう。
影は動く。当たり前である。だから「日時計」というものが存在するのだ。
そしてこれも当たり前のことだが、影が動くということは、影を発生させている光源が動くということである。日時計は、太陽の周期運動(実は地球の自転)なしには有り得ない。

地面の光が当たる部分<陽>と当たらない部分<陰>が、時間の経過と共に変化する。

そして「影が動く」という事象についても、二種類の場合を区別しなければならないということに気がつく。
一つは、光源が動くことによって、「影が動く」場合。
もう一つは、光源は動かず、影を作る遮蔽物が動くことによって、「影が動く」場合。
影について考えるとは、影を形作る「光源」と「遮蔽物」の相互関係を考えるということに他ならない。

それでは、問題。
「月の満ち欠け」は?

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タグ:穴と影
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穴問題(2) [痕跡研究]

5:依存的非物質体(dependent immaterial body) [Casati & Varzi 1999]
「穴とは、物体の補空間(complement)のうち、その物体に外的に連結している(externally connected)充填可能な(fillable)部分である。」(76.)
「非物質」的であると同時に「体」という空間的延長性と全体的持続性を備えた実体的な形。
それは、「補空間」という否定的・欠如的性質、すなわち存在論的依存性を有し、さらに「外的連結」という外縁部としての物体(表面)の重要性、最後に「充填可能」という「場所」としての性格をもって規定されるものである。

まさに
「穴とは「存在」と「無」の境界に位置すると同時に、「もの」と「こと」の狭間にも位置している存在者だと言えるだろう。」(75.)

至言である。

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穴問題(1) [痕跡研究]

いったい「穴」とは、どのような存在なのだろうか?
私たちは、地面に掘られた様々な「穴」を「遺構」と称して、日々その形を確認し、堆積した層の重なりを観察し、埋められた土を堀り上げ、写真を撮って、図面を作って報告することを生業としている。
ならば「穴」とは、どのような存在なのかということについて考えなければならないのは、誰よりも考古学者なのではないか。 しかし・・・

「穴は回転するか」という疑問を起点に、そもそも「穴とはいかなる対象なのか」という定義をめぐって、いくつもの仮説が提示されていく。

1:穴周り(hole-lining) [Lewis & Lewis 1970]
空白を形作っている物体の部分を「穴周り」として、穴を物体の一種と考える。
私も最初は、「遺構」とくに地面を掘り窪めた「マイナス遺構」は、地面を掘り窪める「マイナス面」で構成されると単純に考えていた。しかし事は、そう単純ではないことが徐々に明らかにされる。
「穴周り説の諸問題の多くは、その定義が穴の全体を捉えておらず、まさに穴の周りという、穴のいわば「外縁部」のみにしか関わっていないことに由来すると考えられる。」(53.)

2:サイト(Site) [Grenon & Smith 2004]
サイトとは、この場合は「遺跡」の意味ではなく、移動可能な実体的対象としての「場所」を意味する。そして穴を境界と媒質の複合体と考えて穴の全体性を捉える。しかし、サイト説も穴周り説と同様に、一種の物理主義、還元主義であることが難点とされる。
「穴周り説、サイト説という、物体の一種として穴を規定しようとする物理主義的立場が見落としてしまう穴の本質的側面とは、穴が一種の無であり、欠如だということである。つまり、そこに何もないということが穴を穴たらしめる重要な要素である。」(58.)

そして・・・

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タグ:欠如体
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切り合い論 [痕跡研究]

今、「切り合い」という考古事象について、考えている。
普通「切り合い」というとチャンバラなんかを想像するが、考古学の世界では、刃物による「切り合い」とは別個の「切り合い」について日々考えている。
「この土坑は、そっちの溝に切られているね。」
「これじゃ、どっちが切っているのか判らないじゃないか」
ところが、この「切り合い」なる事象、考古資料論的には、まともに正面から論じられたことがないようだ。
それは、ある遺構を別の遺構が壊しているという余りにも当たり前の事柄だから、取り立てて、改めて論じるには値しないと考えられているのだろうか。

一方で、「切り合い」が正面から論じられてきた考古資料がある。
そう、石器の剥離面である。日本の石器研究の緻密さが論じられる時、実測図の正確さが述べられる時、その独創性が誇らしげに語られる時、常に取り上げられるのが、石器剥離面の「切り合い」に関する観察とその研究である。

一方で日常の発掘調査の場面で当たり前のように直面しつつ論じられることのない「切り合い」、他方で石器の剥離面というある意味で特殊な領域における場面で常に称揚され続けてきた「切り合い」。
このアンバランスな状況には、何か考古資料論的な意味が隠されている。
そう睨んでいる。その辺を、徐々に解きほぐしていこう。

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