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ヘイヴァーストック=ヒルのネジ [痕跡研究]

“Nor should the purview of the archaeologist be more limited in time. The Loose nut that dropped off my car on Haverstock Hill this morning,・・・”(Childe 1956 Piecing Together the Past. p3)
「考古学者の視界は時間で制限されてはいけない。ヘイヴァーストック=ヒルで今朝私の車からゆるんではずれ落ちたネジ、・・・」(チャイルド(近藤訳)1981『考古学の方法<改訂新版>』:13.)

考古学者の視界は時間で制限されてはいけない。もちろん、言うまでもないことである。しかししばしばそのことが忘却されているがゆえに繰り返し言わなければならない。
そして、そのことと全ての考古学概念があらゆる時代の考古資料に等しく適用されうるかどうかは、また別問題である。

すなわち、車のネジ、いわしの空罐と月桂樹葉状石槍とを等しく論じることができるか、両者の間に考慮すべき差異はないのか、という点である。

個別のネジ一個一個を問題にするのではなく、「六角形で5/8インチ・・・・・・のネジ」という型式としての抽象概念であるということ。
それも「遊離したネジ」などではなく「特別の層に埋もれて発見された」「他のものと共に・の中に・を含んでといった関係で発見される「型式」に属している」からこそ意味があるのだということ。

こうした文脈、すなわち「抽象的型式と個性的作品」といった脈絡で用いる限りは、ネジと石槍は全く同様に論じることができよう。
しかし、「社会と標準型式」といった脈絡ではどうだろうか。

「ヘイヴァーストック=ヒルのネジ」すなわち「商品」の場合には、既に「一定の社会に認められ・採用され・具体化された個々人の創造物」(19.)といった場合の「一定」の意味、「個々人が貢献してつくり上げた伝統を共にする人々」といった場合の意味合い、「単一の社会の行動型から生じたもの」といった場合の「単一」という言葉が示す意味などが、資本主義社会以前のそれとは決定的に異なっているのではないだろうか?
「もの」と「社会」の関係は、社会体制の変遷や多様性に応じて、一律に割り切るわけにはいかない。

製作者(生産者)と使用者(消費者)の空間的社会的分離、その度合い。
手作りの道具が示す多様性・連続性と機械が産み出す画一性・規格性の違い。
製作者や使用者が有する型式認識の共有性(例えばカタログに掲載される型式記号)。

製作者や使用者が型式を認識しているイーミック(emic)な分節が明らかな物品は、研究者が遣り繰りしてエティック(etic)な分節を設定せざるを得ない物品とは、自ずと異なるものとならざるを得ない。

ネジ、空罐、そして、煉瓦、汽車土瓶、ガラス瓶、飯茶碗、火鉢、土管・・・

「資本主義的生産様式が支配的に行なわれている社会の富は、一つの「巨大な商品の集まり」として現われ、一つ一つの商品は、その富の基本形態として現われる。それゆえ、われわれの研究は商品の分析から始まる。」 マルクス(岡崎訳1972)『資本論』第1巻 第1部 第1篇 第1章 第1節

追記:
「コーダ1 ヘイヴァーストック・ヒルにある自分のフラットから、合理‐理性主義者マルクスは、肉体の下に隠れる骨を用いて、社会主義を打ち立てることを望んだ。[そのために] マルクスは、都市的テロスを要請した。」(ガヤトリ・スピヴァク 2004 「理論に残されたもの/理論の左とは? ヘイヴァーストック・ヒルのフラットからアメリカ合衆国のクラス・ルームへ」『現代思想』第32巻 第5号:77.)


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