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郷原2024「広がる美術品返還」 [研究集会]

日比谷カレッジ 略奪文化財のいまを考える①「広がる美術品返還 -「不当な収奪」と「正当な収集」を分けるもの-」

日時:2024年1月18日(木)19:00~20:30
場所:日比谷図書文化館 地下1階 日比谷コンベンションホール(千代田区 日比谷公園1-4)
主催:千代田区立 日比谷図書文化館
講師:郷原 信之(日本経済新聞社)

欧米の美術館や博物館を中心に相次ぐ、過去に略奪や違法取引があったと判明した文化財を返還する動きについて解説します。返還はすんなり進んでいるわけではなく、現在の所有者と元の持ち主との間で新たな対立の火種となる事態も起きています。そもそも私たちは「不当な収奪」と「正当な収集」をどう区別すればいいのでしょうか。近現代の世界史が積み残した戦争や植民地支配の清算という根底的な課題を踏まえつつ、法律や政治外交といった専門の枠を超えた包括的な解決への道筋を探ります。(配布チラシの案内文)

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クーン2012『アナキスト サッカー マニュアル』 [全方位書評]

ガブリエル・クーン(甘糟 智子 訳)2012『アナキスト サッカー マニュアル -スタジアムに歓声を、革命にサッカーを-』現代企画室(Gabriel Kuhn 2011 Soccer vs. the State: Tackling Football and Radical Politics. PM Press, Oakland )

目指すところは、ベスト8などではなく、「第2考古学的フットボール」であり、かつ「フットボール的第2考古学」である。
そしてキーワードは、「失われない柔軟性」(148.)であり、「オープン・マインド」(274.)である。

「南米ではサッカーの美しさという側面がもっとも重視された。南米の人々はイタリアの「カテナチオ」や英国の「キック アンド ラン」、ドイツの「カンプフガイスト(闘志)」といったヨーロッパのサッカーとは、身体的に異なるプレースタイルを大きな誇りとするようになった。世間から見ると、ヨーロッパ人はピッチに「仕事」に出かけるが、ラテンアメリカ人は「遊び」に出かけているようにも映る。あるライターは「一般的なイメージでは、ラテンアメリカのサッカーと同義語は、感動やエクスタシー、ファンタジー、自発性や直感、リズムや予測不可能性だ」と書いた。ブラジルの「フッチボール・アルテ(芸術的フットボール)」という考え方にこれが集約されていることは有名だ。左派もまた、そうした特徴の上にサッカーを理解している。アルゼンチンの有名な監督セサル・ルイス・メノッティは、「右派的サッカー」と「左派的サッカー」を区別した。彼によると「右派のサッカー」とは、「結果だけが物を言い、プレーヤーは勝利をもぎ取るためだけに給料をもらう傭兵へと堕落する」もので、「左派のサッカー」は「知性と創造性」を称え「ゲームが祭典であることを欲する。」」(56.)

一般には「南米 vs ヨーロッパ」という構図で捉えがちであるが、実は「ライト vs レフト」あるいは「国家主義 vs 民衆主義」という隠れた対立構図が示唆される。

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型式論再考 [総論]

「もちろん、人間の手工品であるかぎりどれをとっても二つが完全に一致することはまずない。一貫した流れ作業で規格部品を組み立ててつくられる自動車の場合でさえ、その買手は買おうとする最新式の車の性能に、一台一台面くらうような差があることに気づくだろう。」(V.G. チャイルド(近藤 義郎・木村 祀子 訳)1969『考古学とは何か』岩波新書703:8.)

何の問題もない第1文に引き続いて記される第2文について、問題はないだろうか。
「一貫した流れ作業で規格部品を組み立ててつくられる自動車」を「手工品」と同様に評価することができるだろうか。
たとえ1950年代のイギリスの「最新式の車の性能に、一台一台面くらうような差がある」としても、その車を組み立てている「規格部品」について「面くらうような差がある」とは思えないのだが。

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