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鈴木1967と大井1988 [論文時評]

20年(two decades)の時を隔てたエールの交換

・鈴木 公雄 1967「大井晴男著 野外考古学」『史学』第39巻 第4号:131-138.

「いかなる学問にあつても、その学問がどの様な資料に立脚し、いかなる研究の目的と方法を持つものであるかと云う、学問としての体系、理論がある。(中略)戦後の日本考古学は各分野に躍進を重ね、その成果は戦前のそれをはるかに凌駕し、質量共に誇るべき研究業績がつみ重ねられてはいるものの、考古学研究の基礎を形成すべき研究法、概論については、かならずしも活発な著作活動が行われていない現状にある。」(131.)

こうした現状分析が述べられたのは、今から55年前のことである。
半世紀以上の時を経ながら、こうした文言に修正を加える必要性を余り感じない点に「日本考古学」の深刻な病状が表れている。

何よりも驚くのは、こうした書評を記した評者は当時若干29才!、書評対象となった著者は33才!であり、書評対象となった概説書を刊行したのは32才の時であったことである。

2022年の「日本考古学」において20台の評者が4才年上の著者を批評するといったことが想定できるだろうか。
何よりも30前後(アラサー)の研究者がこうして丁々発止のやり取りを行なうということ自体に当時の学的活力を感じずにはいられない。
自らの30前後に何をしていたのかという悔恨と共に。

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五十嵐2022g「文化財返還問題について」 [拙文自評]

五十嵐 2022g「文化財返還問題について」『朝鮮大学校学報』第32号、朝鮮大学校朝鮮問題研究センター編集(kucks@korea-u.ac.jp):121-130.

2021年 6月26日に朝鮮大学校で開催された『南永昌遺稿集 奪われた朝鮮文化財、なぜ日本に』出版記念講演会「今こそ問う 朝鮮文化財の返還問題」での発表内容である。

かつて「考古学研究における植民地主義の心性が今なお濃厚に残存している」(2006「歴史共同研究の趣旨説明」『朝鮮大学校学報』第7号:38.)と指摘されて大きな衝撃を受け、文化財返還に踏み込む契機となった冊子に私なりの応答を示すことができた。
しかし16年前に指摘された事柄については、この間の経緯を鑑みても総体的な状況に大きな変化は見いだせず現在もそのまま首肯せざるを得ない点を遺憾とする。

「私が考えている「文化財返還問題」は、占領地や植民地で不当に取得された文化財を本来あるべき場所に戻す運動です。はじめに返還に関わるいくつかの事例を紹介して、こうした文化財返還に関わって私たちが踏まえるべき原理と原則、そしてそれらが提起する<ひと>と<もの>そして<場>を巡る相互関係について考えます。」(1.)

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鶴田2022「考古学における史料批判」 [論文時評]

鶴田 典昭 2022「考古学における史料批判」『研究紀要』第28号:9-15. 長野県立歴史館

「歴史研究における史料批判は文献史料にかかわる方法論である印象が強い。2000年に発覚した旧石器時代遺跡捏造事件を契機に、考古学における史料批判の重要性が見直されているが、普遍的な方法論として定着していない。私の知る限り、考古学の概説書にも史料批判の項目は認められない。考古学の研究対象の多くは埋蔵文化財であり、発掘された遺構・遺物に嘘はない、ということが根底にあるように思う。考古学では、発掘調査により遺跡は消滅してしまうため、発掘調査報告書、出土遺物、記録類を手掛かりに研究をおこなうが、発掘調査及びその発掘調査報告書に対して史料批判は必要である。そこが抜け落ちていたために、旧石器時代遺跡の捏造が長年発覚しなかった原因でもある。旧石器遺跡事件は、検証発掘を経て決着を見たが(日本考古学協会2003)、考古学の論考に史料批判が定着したとは言えない。遺構・遺物から歴史事象を読み解くのであれば、それらがどういうものでなにを示すものであるのか、ということを検証しなくては、歴史記述の素材である史料とはならない。考古資料における史料批判について考えてみたい。」(9.)

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梅原1947「近年我が學者の行ふた支那の考古學調査に就いて」 [論文時評]

梅原 末治1947「近年我が學者の行ふた支那の考古學調査に就いて」『東亜考古學概論』星野書店:109-121.

「以上南京に於ける調査に較べて事変以後行はれ出した積極的で且つ規模の大きい考古學的工作は、蓋し山西省雲岡石窟寺の徹底的な調査と保存の事業であらう。雲岡の石窟が支那北魏時代佛教藝術の清華として洛陽龍門の窟佛寺と並称せられるものである事は餘りにも有名であり、その一斑も既に伊東(忠太)博士・故シャバンヌ教授等の著書に依つて廣く世に知られてゐる。處が十数年前からこの有名な窟佛の佛頭が心なき人々に依つてうちかゝれて北京の古美術市場に現はれ出し、為に中華民國要路の人々が同國の古美術を保存する見地からこれが防止に関心する様になつたが、種々の事情でなほ思はしい効果を挙げ得ない憾が多かつた。支那事変の発生後日本の軍当局は早く同じ見地から特に軍隊を派遣して、これが防止に萬全の策を講ずると共に、進んで學者側の窟佛全般に亙る徹底的な調査計画に援助を與へたので、この事業は着手された昭和十三年から年を重ねて段々と規模を大きくして、昭和十九年の夏に及び、全部の半ばに近い調査を遂行する事が出来たのは特筆大書すべきである。本調査は我が外務省對支文化事業や現地の蒙彊自治政府後援の下に、京都東方文化研究所の附帯事業として水野清一君の指揮監督の下に行はれつゝあるものである。」(111-112.)

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春成2003「考古資料の偽造と誤断」 [論文時評]

春成 秀爾 2003「考古資料の偽造と誤断」『国立歴史民俗博物館研究報告』第108集:219-242.

「2000年11月、日本考古学は「前・中期旧石器遺跡」捏造事件の発覚という、未曽有の学問的・精神的打撃をうけた。事件発覚前に一部の研究者から疑いがかけられていたにもかかわらず、奏功せず、新聞社が隠し撮った映像によって初めて捏造を認めなければならなかった。日本考古学には偽造を見抜く鑑識眼、つまり資料批判の精神とそれを議論する諸条件が十分に発達していなかったと認めるほかない。」(219.)

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