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グレーバー&ウェングロウ2023『万物の黎明』 [全方位書評]

デヴィッド・グレーバー、デヴィッド・ウェングロウ(酒井 隆史 訳)2023『万物の黎明 -人類史を根本からくつがえす-』光文社(David Graeber and David Wengrow 2021 The Dawn of Everything. A New History of Humanity, Allen Lane.)

著者の一人グレーバーについては『アナーキスト人類学のための断章』と『グローバル正義のための考古学者たち』を紹介した。訳者の酒井氏については「未開と野蛮の民主主義」を紹介した。
成るべくしてなる、ある意味で最強のタッグである。

「私たちの祖先は、自由で平等な無邪気な存在(ルソー)か、凶暴で戦争好きな存在(ホッブズ)として扱われてきた。そして文明とは、本来の自由を犠牲にする(ルソー)か、あるいは人間の卑しい本能を手なずける(ホッブズ)ことによってのみ達成されると教えられてきた。実はこのような言説は、18世紀、アメリカ大陸の先住民の観察者や知識人たちによる、ヨーロッパ社会への強力な批判に対するバックラッシュとして初めて登場したものなのである。」(腰帯宣伝文より)

確かに私たちもルソーの『不平等起源論』やホッブズの『リヴァイアサン』を読みもせずただ教わり、何となく「そうなのかな」と考えていた。その矛盾する内容の意味については、深く考えることもせずに。
しかし、どうやらそれらは、西洋社会によって周到に考えられてきた「知的な簒奪」のようである。
これは、たしかに「人類史を根本からくつがえす」ことになろう。
西洋(ヨーロッパ社会)におけるルソーとホッブズの占める位置は、日本で考えるよりもはるかに大きなものがあるだろう。だからそれを転倒させるというのは、確かに「革命的」である。

デヴィッド・グレーバーはロンドン・スクール・オブ・エコノミクス人類学教授(2020年逝去)、デヴィッド・ウェングロウはロンドン大学考古学研究所比較考古学教授である。共に、かのチャイルドに関連する職である。

「むかしむかし、わたしたちが狩猟採集民だった頃。人類は大人になっても子どものように無邪気な心をもち、小さな集団で生活していました。この小集団は、平等でした。なぜなら、まさにその集団がとても小規模だったからです。この幸福なありさまに終止符が打たれたのは、「農耕革命」が起き、都市が出現したあとのことでした。これが「文明」と「国家」の先触れでした。「文明」や「国家」のもとで、文字による文献、科学、哲学があらわれました。と同時に、人間の生活におけるほとんどすべての悪があらわれました。つまり、家父長制、常備軍、大量殺戮、人生の大半を書類の作成に捧げるよう命じるいとわしい官僚たちなどなどです。」(3.)

こうした考え方の何が問題なのだろうか?

「1.端的に真実ではない。
 2.不吉なる政治的含意をもっている。
 3.過去を必要以上に退屈なものにしている。」(5.)

そして膨大な論証が綴られることになる。
ソフトカバーで700頁、参考文献だけで50頁、片手で持ちながら読んでいるとすぐ疲れてしまう。

「かつて1936年に、先史学者のV・ゴードン・チャイルドが『人間が人間をつくった』Man Makes Himselfという本を書いた。性差別的な表現を除けば、著者たちのねがいは、この精神を呼び起こすことにある。わたしたちは、集団的自己創造のプロジェクトである。人類史にそのような切り口からアプローチしたらどうなるだろうか? 人間を、その発端から、想像力に富み、知的で、遊び心のある生き物として扱ってみたらどうだろうか? そのような生き物として理解するに値すると考えてみたらどうだろう? 人類が平等な牧歌的状態からいかにして転落したかを語るのではなく、なぜみずからを再創造する可能性を想像することさえできないほど、がんじがらめに思考の束縛に囚われてしまったのか? このように、問いを立ててみたらどうだろうか。」(10.)

訳者によれば「いわば本書は、チャイルドのバラダイムをチャイルドの精神でもって転覆するというプロジェクトでもある」(609.)ということである。
すごい! 今までこんなことを考えた考古学者がいただろうか?

訳者が紹介するアイルランドの若きアナキストの感想。
「本当に希望に満ちた本です。わたしたちはなにごとも変わらない。このままネオリベラリズム、国家資本主義が永遠に続くだけだ、という心理につい陥りがちです。でも、この本には「いや、わたしたちは変われる」という記述がたくさんある。人類は存在しはじめてから、ずっとそうしてきたのですから。」(639.)

訳者が「責任編集」となった『グレーバー+ウェングロウ『万物の黎明』を読む -人類史と文明の新たなヴィジョン-』は、4月30日出版予定とのこと、早速読まなければ。
同じ『読む』を書名とする書評本でも『土偶を読むを読む』とはベクトルが異なるポジティブな『読む』であろう(『読むを読む』も極めてポジティブなのだが)。

「訳者は実は、将来は法律家になるか考古学者になるかのどちらかだと考え、大学の受験先を選んでいた。人生とはそういうものだが、さまざまな偶然の介入によって、結局どちらにもならなかった。しかし、本書の翻訳作業は、かつてなぜじぶんが考古学者になりたかったのか、そこに本当にじぶんがなにをもとめていたのかを、深く気づかせてくれたようにおもう。」(643.)

もし訳者が考古学者になっていたら…
日本の考古学も様相を異にしていたような気がする。


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