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酒井2020「未開と野蛮の民主主義」 [総論]

酒井 隆史 2020「未開と野蛮の民主主義」『世界』第937号:207-216.

以下の3冊の書籍を紹介する書評である。
ピエール・クラストル(原 穀彦 訳)2020『政治人類学研究』水声社
ジェームズ・スコット(並木 勝 訳)2019『反穀物の人類史』みすず書房
デヴィッド・グレーバー(片岡 大右 訳)2020『民主主義の非西洋起源について』以文社

「この三つの著作は、対象こそ異なっているが、そのテーマとパースペクティヴにおいて共鳴しあっている。それも当然というべきか、かれらは、人類学、あるいは人類学をひとつの領域としながら、かつ「アナキズム」になんらかのかたちでコミットしている点を共有している。
そもそも人類学は必然的にアナキズムと親和性を有していると指摘するのはグレーバーである。というのも「人類学者たちはつまるところ、現存する国家なき社会についての知識を有している唯一の学者集団」であって、「その多くが、国家が機能停止するか、あるいは少なくも一時的に撤退し人々が自分たちのことがらを自立的に管理している地域に、実際に住んだ経験をもっている。少なくともかれらは、国家の非在において起こることについてのもっとも平凡な想定(「人々は殺し合う」)が真実でないことを十分に知っている」。つまりかれらは、みずからの対象が、いわゆるアナーキーな社会であること、そしてその機能の実態に接することによって、「ホッブス的論理」が実際に虚偽であることを認識できる位置にあるということになる。」(208-9.)

自らの研究対象が「アナーキーな社会であること」すなわち「国家の必然性」を導く「ホッブス的論理」を否定するポテンシャルを有していることを、日本の先史考古学者はどれほど認識しているだろうか?

「日本語圏では、冷戦崩壊とネオリベラル思考(TINA:there is no aternative)の浸透以降、根源的オルタナティヴを連想させる問題圏にふれることへの(「恐怖感」に裏打ちされた)忌避が深く根づいてしまい、それにふれるような知的・実践的対象を自覚的・無自覚的に「厄払い」しながら「歪めて」しまう傾向がいまだにある。」(209.)

「日本考古学」に関わる根源的問題の提起(緑川・砂川・文化財返還・<遺跡>問題)に対する「四面楚歌」状態もまた故あることなのである。

「ホッブスにあっては、戦争状態はカオスにほかならず、そのカオスを克服するために、ひとは超越的権力、つまり国家を必要とする。戦争は、国家の求心性によって乗り越えるべきものなのである。他方、クラストルの報告するインディアン社会にあって戦争とは、むしろ国家を寄せつけないために必要なものである。戦争はつねに社会に分裂を導入し、それによって超越的権力への糾合を阻止するものである。そしてそれによって、多元性を維持している。その意味で、クラストルの戦争状態はカオスでも自然状態ではない。それは国家を祓い除けるために、さまざまなコードによって統御される人工状態なのである。」(211.)

国家が存在するなんてことは当たり前じゃないか。国家も国旗も国歌もなければ、… オリンピックに参加できないじゃないか。
自らを近代・文明に位置づけるためには、非近代・非文明すなわち野蛮・未開である他者を必要とする。半裸で自由気ままで規律のない彼ら/彼女らに、教育を、規則正しい生活を教え導く義務が私たちにある。

「スコットによれば、野蛮人の黄金時代とは、この初期国家の時代から17世紀にいたるまでをいう。つまり、17世紀の「国民国家」の勃興の時代まで、世界は国家の民で埋め尽くされていたわけではなかった。それどころか、つい最近まで、国家への統合をあの手この手で拒む「野蛮」と名指された人々が、世界には跳梁跋扈していたのである。」(214.)

先に住んでいた人たち、すなわち先住民を、後から来た人たち、すなわち私たちは、ある時はだまくらかし、ある時は圧倒的な武力を背景に制圧してきたのであった。まつろわぬ者たちの反乱として。

「そもそも、文字資料の残された文明は国家の存在を前提とするものであった。グレーバーもいうように、だからこそ古代ギリシアにせよ古代ローマにせよ、文字から聞こえてくる声(エリートたちの声)はつねに「民主主義」 -すなわち「暴徒支配」-を非難してきたのである。しかし、スコットの推測するように、「暗黒時代」とは、多数の人間にとっては「幸福、福利、平等」の促進された時代でもあったかもしれないとしたらどうだろう。文字もモニュメントも不在であるという意味での「暗黒時代」においてこそ、民主主義がいっそう生き生きと息づいていたといえないだろうか。」(216.)

文字による歴史とは異なる<もの>による歴史を標榜する考古学が、モニュメント(記念物)といった目立つ存在に誘引されているとしたら(観光考古学)、見落としている「暗黒時代」は数多く深く広がっていることになるだろう。ヒストリー(history)とは異なるハーストリー(herstory)を見落としていたのと同様に。

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