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「りやく奪財産関係件名一覧」 [学史]

文部省大臣官房総務課 1950年3月「りやく奪財産関係件名一覧」『終戰教育事務処理提要』第四集:386-391.

冒頭の「まえがき」に「りやく奪財産関係のものも紙数の関係上連合國の指令の件名のみを掲げることにした」と記されている。また「この関係の指令、通達措置等については別に今後まとめて編集する予定である」ともあるが、結局「まとめて編集する予定」は実現しなかったようである。

掲載対象期間は1946年9月1日から1949年3月31日までの2年半である。
なぜ「略奪」の「略」が平仮名なのか理由はよく分からない。
全部で107件の件名が掲げられている。
その内訳は、以下の通り。

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森田1972「三宅米吉論」 [学史]

森田 俊男 1972「三宅米吉論」『教育学研究』第39巻 第1号:1-11.

「…三宅が、『記』『紀』の神話、つまり「開闢のことは通常歴史から遂いだすべし」といい、時の文部官僚伊沢修二を名ざしで批判し、国家が、民間の教科書を排除して、一定の教科書を選定・作成することをやめさせようとした、そうした意味での「在野性」からみれば、後期においては、あきらかに天皇制の教学体制への妥協といわざるをえない「転化」があると思はれる。」(2.)

ここには従来の考古学サイドから見た「三宅米吉論」(例えば木代 修一1974「学史上における三宅米吉の業績」『三宅米吉集』日本考古学選集1:1-13.)とは異なる視角から異なる事柄が述べられている。

そもそもなぜ「三宅米吉論」が『教育学研究』という雑誌に掲載されているのかという点からして、考古学界の住人たちはすぐさま理解できないだろう。

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タグ:学史 教育史
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勅令第263号(補) [学史]

教職員適格審査施行規則に関する件
(昭和二十一年八月七日発適第一七号適格審査室長ヨリ官公私立大学長学校集団長地方長官宛)
右の件につき左記の通り別表第一第六項の解釈が決定しましたから御承知下さい。
                記
昭和三年一月一日以降に於て日本軍によつて占領された聯合國の領土内で日本軍の庇護の下に学術上の探検或は発掘事業を指揮し又はこれに参加した者」の解釈は大体次の通りである。
一、旧満州國、中華民國、南方諸地域等で軍の庇護の下に純粋に軍事上の目的のため学術上の探検或は発掘事業を指揮し又はこれに参加した場合一應該当するのであるが世界文化の進展に寄与するが如き純粋に学術上の研究が主である場合は該当しない。
ニ、資源或は貴重なる物件を奪取する目的で考古学等に関する学術上の探検又は発掘事業を指揮し又はこれに参加した場合は該当するがそれらの物件を発掘したとしても科学的に分類整理して世界の学術に研究に役立て公共の利用に供し得るように取扱つたものであつて之を私の利益のための私蔵したものでなければ右に該当しないのである。
(文部大臣官房文書課 1949年3月 『終戰教育事務処理提要』第三集:369-370.)

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1919年 「宣言書」 [学史]

「私たちは、私たちの国である朝鮮国が独立国であること、また朝鮮人が自由な民であることを宣言する。
このことを世界の人びとに伝え、人類が平等であるということの大切さを明らかにし、後々までこのことを教え、民族が自分たちで自分のことを決めていくという当たり前の権利を持ち続けようとする。
5000年の歴史を持つ私たちは、このことを宣言し、2000万人の一人ひとりがこころを一つにして、これから永遠に続いていくであろう、私たち民族の自由な発展のために、そのことを訴える。
そのことは、いま世界の人びとが、正しいと考えていることに向けて世の中を変えようとしている動きのなかで、一緒にそれを進めるための訴えでもある。

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赤松と和島 [学史]

「考協が反動の支柱になることは、当初の会員資格でわかっているので、和島氏とかなり論争したが、彼は内部変革ができると考え、私はとうていダメだ、というわけで、わかれた。戦前も、和島氏の東大入学、専門研究者化に反対したが、そこで意見がわかれたが、結局、和島氏には和島氏の道、私には私の道ということで、彼に迷惑が及ばないよう、唯物論全書「考古学」も彼との共著を単独に切替えた。その結果は周知の通りである。」(赤松 啓介1974「戦う若い諸君へ!」『プロレタリア考古』第9号:2.)

なぜ考闘委(全国考古学闘争委員会)と文全協(文化財保存全国協議会)が、あそこまで反目・対立しなければならなかったのか、当時を知らない世代には、ピンとこないのだが、つまるところ、ここで述べられていることに帰着するのではないかというのが最近の結論である。

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考古学者の公職追放 [学史]

公職追放令(1946年1月4日)
公務員罷免指令覚書
日本政府に対し好ましからざる人員の公務よりの解任罷免を命じたる指令覚書全文左の通り
第一項 ポツダム宣言に左の宣言条項があり、われらは無責任なる軍国主義が世界より駆逐されるまでは平和保障は正義の新秩序を齎すことは不可能なりと主張し、よつて日本人を欺瞞誤導して世界戦争へ駆り立てたものの権力と勢力とを永久に根絶せざるべからず
第ニ項 ポツダム宣言の本条項を実行するため、ここに日本政府に対して以下に列挙せる一切の人間を公務および官吏の職より罷免すべきことを命令する

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考古学者の教職追放(勅令第263号 別表第一 第六項) [学史]

「公職追放」とは、公共的な職務に特定の人物が従事することを禁止することをいう。特に教員や教育関係者として不適当な者を教職から排除した措置については「教職追放」と呼ぶ。財閥解体や農地改革と共に、戦後の民主化政策としてなされた。「公職追放」は、1945年10月に出されたGHQの指令に基づき、議員・公務員その他政界・財界・言論界の指導的地位から軍国主義者・国家主義者などを追放することで、軍国主義的・超国家的傾向を排除して民主主義的傾向を強化することを目的とした。「精神的な武装解除」ともされる。1952年4月の対日講和条約発効とともに自然消滅した。

考古学に関連する「教職追放」は、1946年5月6日に「勅令第263号」として公布され、翌7日『官報』第5790号に告示された。詳細は「閣令・文部省令・農林省令・運輸省令第1号」として「教職不適格者として指定を受けるべきものの範囲」が示された。「別表第一」には、適格審査委員会の判定に従う者として「一-1.侵略主義あるひは好戦的国家主義を鼓吹し、又はその宣伝に積極的に協力した者及び学説を以て大亜細亜政策、東亜新秩序その他これに類似した政策や、満洲事変、支那事変又は今次の大戦に理念的基礎を与へた者 一-2. 独裁主義又はナチ的あるひはファシスト的全体主義を鼓吹した者 一-3. 人種的理由によつて、他人は迫害し、又は排斥した者 一-4. 民族的優越感を鼓吹する目的で、神道思想を宣伝した者」などが示されている。
「日本考古学」として重要なのは、最後の第六項である。

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駒井 和愛(1905-1971) [学史]

「…いまやわが国が東亜考古学界にあって指導的立場にあることはとうていこれを否定することはできない。まことにわが国の東亜考古学界はきわめて順調な歩みを続けて来たものと言うべきであろう。」(駒井 和愛1938「寥たる原理的研究」『帝大新聞』、1977『中国都城・渤海研究』雄山閣:283-285所収)

「忌憚なく言えば、今までの日本は余りにも文化ということ、なかんずく学術について無関心でありすぎた。大げさに言えば世界の文化国のうちでわが国ほど、為政者も一般人も学問を尊重すべきことを知らないところは少ないと言ってよい。」(駒井 和愛1946「東亜考古学の将来」『ロゴス』第1巻 第1号、1977『中国都城・渤海研究』雄山閣:285-287. 殆ど同文が1948『日本古代と大陸文化』野村書店の「緒説」に流用されている)

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三宅・鈴木1977「関東軍は満州で何を発掘したか」 [学史]

三宅 俊成・鈴木 武樹 1977 「「満州」における戦前史学の実態」『日本古代史の展開 鈴木武樹対談集成甲書房 東アジア叢書2:241-283.(2000「関東軍は満州で何を発掘したか」『激論! 日本古代史』:241-283.と改題して再刊)

刺激的な表題の対談記録である。
同じ頃、同じような地域で活躍された同姓の方がいて紛らわしい。
満洲国立博物館奉天館長をされた三宅 宗悦氏は、角田 文衛編1994『考古学京都学派』:169-172.に紹介文がある。
こちらは、満洲国古蹟古物名勝天然記念物保存協会主事をされた三宅 俊成氏である。

「いちばん困ったのは軍部の連中が盗掘をやったことですね。たとえば、牡丹江省東京城の近くの軍司令部の将校が東京城の盗掘をして、遺物をこっそり日本に持って帰ったりするんですね。特に林東地区の満州国軍の日本人司令官は遼代の墓を発掘させて、ひそかに遼の陶器を集めていました。部下の兵士も上官の意を迎えるために盗掘をしていましたね。当時でも遼の陶器は骨董的価値が高かったから、それに目をつけてやったのでしょう。その報告を受けて抗議に行き激論したこともあります。

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90年前の「緑川東問題」 [学史]

「考古學の研究法に、心理學的方法を避け様としてゐると云ふ事は、一應説明されなければならない。厳密な意味に於ける心理學が、今日如何なるものであるかは私には明かではない、然し従来考古學に許容されてゐた、所謂心理學的方法とは、それは観察者の推理を意味してゐた。この器物はこうして使用されたのであらう、石棒の形は生殖器に似てゐるから、當時男根崇拝が行はれたであらう。動物土偶があるからアニミズムがあつたであらう、等々である。その専門の人からはこれはどう見えるか知らない、然し考古學本来の立場からは、こゝまで行けばたゞ自分はこう思ふと云ふだけの問題に留つてゐる、斯の如き内容が學として存し得るかどうか。何れにしても學は究極に於て主観的な問題となる、然し自分はこう考へるから當時の人もこう考へたであらうでは、そこに何等反省の餘地を残さない問題となる、心理學まで入りたくない。これは私の好みの問題だと考へられるか知れないが、自分には自分だけの理由は存する心算である。」(中谷 治宇二郎1929『日本石器時代提要』岡書院:73-74. 1943『校訂 日本石器時代提要』養徳社:64.)

タグ:緑川東問題
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