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駒井 和愛(1905-1971) [学史]

「…いまやわが国が東亜考古学界にあって指導的立場にあることはとうていこれを否定することはできない。まことにわが国の東亜考古学界はきわめて順調な歩みを続けて来たものと言うべきであろう。」(駒井 和愛1938「寥たる原理的研究」『帝大新聞』、1977『中国都城・渤海研究』雄山閣:283-285所収)

「忌憚なく言えば、今までの日本は余りにも文化ということ、なかんずく学術について無関心でありすぎた。大げさに言えば世界の文化国のうちでわが国ほど、為政者も一般人も学問を尊重すべきことを知らないところは少ないと言ってよい。」(駒井 和愛1946「東亜考古学の将来」『ロゴス』第1巻 第1号、1977『中国都城・渤海研究』雄山閣:285-287. 殆ど同文が1948『日本古代と大陸文化』野村書店の「緒説」に流用されている)

わずか8年を隔てる二つの文章である。没後に刊行された著作集では、隣り合わせのページに掲載されている文章である。しかし、そこには大きな落差がある。
もちろん落差を生むに至った経緯もよく分かるのであるが、それにしてももう少し言いようがあるのではないかとの思いも抑え難い。
こうした際に、発言者の人間性といったものが表出するのだと思う。

当時は自らを「指導的立場」にあり「順調な歩みを続けてきた」と誇示していたにも関わらず、一転して実は周りは自分たちに「無関心」であり「尊重されてなかった」と悲嘆しているのである。

これでは、「戦争責任」などという思いが生ずるはずもない訳である。
以前に「戦後意識」と題して、同じようなことを記したことがあった。

こうしたことは、彼方此方(アチコチ)にあるだろう。
もちろん2000年11月5日の前後にも。

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伊皿木蟻化(五十嵐彰)

何度読み直しても駒井1946の引用第2文は、変な日本語です。「学問を尊重すべきことを知らないところは多い(知らない人が多かった)」というのならいざ知らず、「少ない(多くない)」というのですから…
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2019-01-31 19:36) 

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