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考古学者の公職追放 [学史]

公職追放令(1946年1月4日)
公務員罷免指令覚書
日本政府に対し好ましからざる人員の公務よりの解任罷免を命じたる指令覚書全文左の通り
第一項 ポツダム宣言に左の宣言条項があり、われらは無責任なる軍国主義が世界より駆逐されるまでは平和保障は正義の新秩序を齎すことは不可能なりと主張し、よつて日本人を欺瞞誤導して世界戦争へ駆り立てたものの権力と勢力とを永久に根絶せざるべからず
第ニ項 ポツダム宣言の本条項を実行するため、ここに日本政府に対して以下に列挙せる一切の人間を公務および官吏の職より罷免すべきことを命令する
大政翼賛会、翼賛政治会または大日本政治会の活動において有力なる地位にあつたもの
「附記」右に使用する字義は付属書Aに定示してある
(A)軍国主義的国家主義および侵略の積極的推進者
(B)極端な国家主義威嚇的ないし愛国秘密結社それらの代理機関ないし協力機関の有力会員たりしもの

「付属書(A)」では「罷免および就任拒否の範疇」としてA項からG項までの7種が挙げられている。

【A】戦争犯罪者、戦争犯罪容疑者として逮捕され釈放または無罪とならないもの
【B】本職の陸海軍人、特別警察官および陸海軍省の官憲
【C】極端な国家主義、テロまたは秘密愛国結社の有力会員
【D】大政翼賛会、翼賛政治会および大日本政治会の活動において有力なりし人物
【E】日本の対外拡張に含まれた金融および開発機関の職員
【F】占領地総督および長官

重要なのは、最後のG項である。
【G】その他追加さるべき軍国主義者および極端な国家主義者として左の各項に該当する人物
 (1)軍国主義政権反対者を弾劾し、または捕縛を援助せるもの
 (2)軍国主義政権の反対者に対する暴行を教唆し、または暴行を加えたもの、日本の侵略計画において政府当局者として活発かつ有力な役割を演じたもの、或は言論または行動によつて軍国主義的国家主義および侵略の積極的推進者たることを示したもの

現代法制資料編纂会1984『戦後・占領下法令集』国書刊行会の「公職追放者の顔触れ」と題する箇所では、A項からG項に至る簡略な解説と共に主たる該当者の名前が記されている。
以下はそのG項の箇所。

「[G項該当者]
報道関係では発行部数一万以上の新聞・雑誌社の社長から編集長に至る役職を公職とし、村山長挙(朝日)、高石真五郎(毎日)、小汀利得(日経)、仁藤繁雄(家の光)、松林恒(中央公論)、渕田忠良(講談社)など及び菊池寛(大映)、城戸四郎(松竹)、秦豊吉(東宝)など併せて五四九名が指定された。
文筆家では、赤松克麿、浅野晃、平泉澄、林房雄、北村小松、加藤完治、亀井勝一郎、室伏高信、鹿子木員信、難波田春夫、蟻川新、*中村考也、中河与一、大谷光瑞、斉藤忠、谷口雅春、平貞蔵、高橋亀吉、津久井竜雄、安井郁、山中峰太郎、沢田謙、火野葦平、*岩田豊雄、*石川達三、尾崎士郎、自柳秀湖、勝田貞次、*丹羽文雄、*山岡荘八ら三三一名が指定された(*は指定後、異議申立てにより解除)。以上言論関係の追放者は合計八七五名に上った。」(同:912.)

【追記】
同時代に同姓同名の方がおられたとの指摘を受けました(以下コメント欄参照)。
当初の文章を修正します。ご指摘に感謝します。


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まるか

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
斎藤 忠(さいとう ちゅう、1902年(明治35年)12月29日 - 1994年(平成6年)1月12日)は日本の国際政治評論家、軍事評論家、ジャーナリスト。大日本言論報国会常務理事、『ジャパンタイムズ』論説主幹等を歴任した。尾浜惣一の筆名で翻訳も行っている。
考古学者の斎藤忠(さいとう ただし)は同姓同名の別人である。
1937年(昭和12年)から1947年(昭和22年)まで読売新聞論説客員[4]。日本評論家協会常任委員・軍事外交部会長、海軍省外交懇談会委員、内閣委員、日本放送協会対外放送委員、海洋文化協会理事などを歴任する[7][1][5][2]。1942年(昭和17年)の大日本言論報国会設立に際して理事に就任、津久井龍雄が退任した後を受けて常務理事(総務局長)に就任[2]。このため、戦後公職追放となる[注釈 1]。

by まるか (2019-10-10 22:30) 

五十嵐

有難うございます。調べが足りませんでした。
by 五十嵐 (2019-10-11 16:32) 

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