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「団結-批判-団結」1973-74 [論文時評]

「「団結-批判-団結」の作風を確立し、『プロ考』を基軸に全戦線を鍛え築きあげよう!」1973-74『プロレタリア考古(全国考古学闘争委員会連合機関紙)』第3号(その1)、第4号(その2)、第5号(その3)、第10号(その4)『プロレタリア考古』編集局発行(本文章についても、筆者(文責)が記されていないのを遺憾とする)

「現代考古学の根底的矛盾は一体何であり、それがどのように具体的に現れてくるのか? 敵が何であり、どんな政策を打ちだしてくるのか? 味方がどのように存在しているのか? 現在、全国各地の考古学の創造と歴史遺産の継承発展の大衆的な運動が、どのような性格をもち、このような問題をどのように考え、そして、その運動の究極的目標が、当面の具体的目標が何んであるのか?」(その2)

こうした「問い」は、自分の専門が土器であろうが石器であろうが、あるいは古墳であろうが江戸であろうが、少なくとも「考古学」という営みに何らかのかたちで関わっている限り、問い続けなければならないだろう。
「そんな面倒なことは、忙しくて考えているヒマはないよ」などと「我関せず」と開き直っている人のやっていることは、実は「考古学」ではなく、「古物学」なのではないか。

半世紀近く前の文章である。
そもそも「作風」などは死語だし、「戦線」もそれに近いだろう。
しかし問い掛けている内容は、決して古びていないし、むしろ今だからこそ、改めて吟味する必要があるのではないだろうか?

「…「開発」に加担してまで「研究」することを否定し、「何故保存するのか?」-「歴史学とは、考古学とは何か?」という問いかけを内に、外に迫り、こうした主体によって担われる「考古学」をそれを一つの媒介に「現代社会」の矛盾を対象化し、かつ止揚する矛盾をもつものと規定する。そして、この「考古学」にとって「遺跡」のもつ意味を、帝国主義的再編政策としてある「開発」との現実的な”接点”があるとし、また、研究主体にとっても階級制をもつものとする。したがって、「遺跡」を我々の手に「奪還」してゆくことを実践的契機として「開発」を突き壊す力としての攻撃的考古学の形成を主張する。」(その4)

こうした文全協に代表される「国民の共有財産論」を批判してきた自らに対して、さらに「左翼反対派的性格の克服」として「考古学ー文化財への物神性批判」が自己批判としてなされるに至る。

「まず問題となったのは、「国民の共有財産論」が、「科学的な歴史学=考古学の基礎である。」が故に「遺跡を守るべき対象」として捉えるように、「奪還論」もまた「考古学を媒介に現代社会の矛盾を対象化し、止揚する」が故に「遺跡を奪還すべき対象」と捉えていたことである。すなわち、それは、「考古学」への信仰、あるべき考古学への観念、そしてそれから導かれる「遺跡」の意義を、現実の存在構造のなかで、徹底して批判しぬくということであった。」(その4)

いずれもキーワードは、「遺跡」である。
私たちは、「遺跡」をどのように認識しているのか? そして認識すべきなのか?
こうした問いかけから発したのが、2006年の「遺跡は存在するか?」と題した『WAC中間会議大阪大会』での口頭発表、そしてその内容を文字化した2007年の「<遺跡>問題」『近世・近現代考古学入門』であった。
もう10年以上も前のことである(本ブログ・タグクラウド<遺跡>も参照のこと)。

本来区切れない相手を区切らざるを得ない矛盾、そしてジレンマ。
隣接するが、重ならない<遺跡>。なぜ?
しかし反応は殆どなかった。今に至るまでも。

この「団結ー批判ー団結」論考も、(その4)に全体の構成が予告として提示されているが、とうとう結論に相当するⅤ章・Ⅵ章の部分は日の目を見ることがなかった。
考古学という学問が抱える根源的で未解決な、だから誰も正面から論じようとしない、しかしだからこそ、この問題を論じなければならないのではないか。
<遺跡>という概念、「遺跡」という言葉なしの考古学が考えられないのであれば。
学問の中心に位置する概念を論じないで、どうやって「学問をやっています」と言えるのだろうか?

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