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郷原2024「広がる美術品返還」 [研究集会]

日比谷カレッジ 略奪文化財のいまを考える①「広がる美術品返還 -「不当な収奪」と「正当な収集」を分けるもの-」

日時:2024年1月18日(木)19:00~20:30
場所:日比谷図書文化館 地下1階 日比谷コンベンションホール(千代田区 日比谷公園1-4)
主催:千代田区立 日比谷図書文化館
講師:郷原 信之(日本経済新聞社)

欧米の美術館や博物館を中心に相次ぐ、過去に略奪や違法取引があったと判明した文化財を返還する動きについて解説します。返還はすんなり進んでいるわけではなく、現在の所有者と元の持ち主との間で新たな対立の火種となる事態も起きています。そもそも私たちは「不当な収奪」と「正当な収集」をどう区別すればいいのでしょうか。近現代の世界史が積み残した戦争や植民地支配の清算という根底的な課題を踏まえつつ、法律や政治外交といった専門の枠を超えた包括的な解決への道筋を探ります。(配布チラシの案内文)

講師は、昨年6月の連載記事を担当したキャップである。
平日の夜間にも関わらず定員100名に近い人々が参集されていた。
適切な問題意識に基づく、適切な講演であった。

 以下は、会場での配布資料の小見出し
・文化財の「適切な居場所」
・不法行為を通じて取得した(とされる)文化財の返還
・来歴(由来, provenance)精査がリスク回避の最大要点
・植民地主義(コロニアリズム, Colonialism)と文化財返還
・それでもゴールポストは動く -植民地主義清算の潮流と文化財-
・日本が抱える文化財返還問題
・日本から海外「流出」した文化財
・遺骨返還と植民地主義清算

不法とか合法といったある意味で黒・白はっきりとしているものは、話しは簡単である。
問題は、黒と白の間にある不当な経緯でもたらされた外国由来の文化財の扱いである。
こうした事柄がヨーロッパを中心にして、近年大きな潮流となっている背景には、「近代の捉え返し」ということがあるだろう。
すなわち植民地支配は正しかったのか、それとも間違っていたのか。
侵略戦争は正しかったのか、それとも間違っていたのか。
ことは、これだけに留まらない。人種差別、奴隷制度、性差別、LGBTQ、優生思想など、近代において当たり前の事柄として封印されてきた諸問題が噴出しているのである。
声を出そうにも出すことができなかった被抑圧者たちが、ようやく自らの当然なされるべき歴史の見直しを要求しているのである。
植民地支配は間違っていなかったとするMAGA勢力とのせめぎあいである。

1年前のナショナル・ジオグラフィックの特集記事あるいはNHK・BSでの文化財返還番組の批評でも少し述べたが、本講演でも「パンドラの箱」というのが、一つのキーワードとなっていた。
しかし「パンドラの箱」の肝心な部分に関する言及はなかった。
すなわち一たび開けた「パンドラの箱」からは邪悪なさまざまな事柄が留めようもなく溢れ出したが、その最後に残ったものを覗き込むとそこには「希望」があった、という部分である。
私は、ここが一番肝心な点だと思う。
ただ「パンドラの箱に手を付けてしまった」で終わったならば、それは負の連鎖というマイナス・イメージしか残らないだろう。
イギリス博物館など所蔵品の大部分を失い、存亡の危機となるであろうといった後ろ向きの対応しか導かないだろう。
しかし「返すべき<もの>を返した」後に初めて、かつての奪った<ひと>たちと奪われた<ひと>たちの新たな、そしてあるべき関係が築かれるという、より大きな「希望」があるのではないか。

ちなみに本講演でも「大英博物館」といった言葉が用いられていたが、私はこれはある種の差別語だと考えている。なぜBritish Museumの単純な訳語である「イギリス博物館」が使用されずに、Greatなる修飾語「大」が付されているのだろうか?
もちろん各社には各社のルールがあるのだろうが、意識あるメディアこそ率先して誤った言葉を正していく責務があるのではないだろうか。
誰もBrtish Airwaysを「大英航空」などとは言わないのに。

閑話休題、近代の捉え返しと同時に大切なのは、「奪った<もの>を持っているのは、恥ずかしい」という真っ当な倫理感覚を取り戻すことである。
「間違ったことをして、申し訳なかった」という過去の不正義に対する謝罪と共に、過去の不正義が現在にまで引き続いて継続している証左としての収奪文化財の所有という自らの現実に対して「恥ずべき事柄」として認識することが欠かせない。

ところが現実は逆に「面倒なことは先送り」といったことや、さらには「過去に獲得した誇るべき逸品」などという倒錯した意識が表明されることも散見される。

文化財、特に「海外由来の文化財」については、由来の正当性が担保されて初めてその文化財の本当の評価がなされるということを強調しておきたい。
文化財の単なる外面的な評価、素晴らしい技巧だとか、類まれな逸品といった表層的な評価だけではない、その<もの>がそこにあることの経緯を踏まえた「総合的な文化財評価」がなされなければならない。


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