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寺沢2014「様式論と編年の理論的前提」 [全方位書評]

寺沢 薫 2014「様式論と編年の理論的前提」『弥生時代の年代と交流 -弥生時代政治史研究-』吉川弘文館:100-120.

「「形式」「型式」「様式」の関係やその大別、細別の状況をもう少し具体的にみてみるために、この国のJRの車輛を例にとって説明してみよう。図19は年次を追ったJRの電車とディーゼル動車の変遷を示したものである(久保田 博1979『新しい日本の鉄道』保育社)。横軸には昭和の年号が、縦軸にはそれぞれの車輛の用途が書かれている。(中略) 次にそれぞれの形式を年次を追ってたどっていくと、数字や記号が羅列されているだろう。これが型式に相当すると考えればよい。たとえば、電車という形式の通勤形式の直流形では、昭和31年までには72型電車が使われていたが、32年には101型電車にチェンジされ、昭和37年には新たに103型電車が製造されだしたといった具合だ。そのそれぞれを型式と考えれば、横方向に延びる型式組列と、その分岐・融合のありさまをみることができよう。」(107-109.)

弥生を専門とする学友に教わった論考である。

考古型式について、近現代型式になぞらえて説明する、私たちにには馴染みある論述である。モンテリウスの鉄道客車以来、その題材は「フィアット乗用車」であったり(佐原 眞1974「遺物変遷の順を追う -型式学的方法の原理-」『大陸文化と青銅器』:134.)様々である。
「こうした理解の方法は何も鉄道に限ったことではなく、身の回りのあらゆる器物や道具に適用することができる」(109.)とされているが、先史型式に対して近現代型式を無条件に適用できるのだろうか。
先史型式と近現代型式に違いは、ないのだろうか。
こうした吟味は、はたしてどれほどなされているのだろうか。

私が考えるに、先史型式と近現代型式の決定的な違いは、前者の型式概念が考古学者によって区分されるのに対して、後者の型式概念は製作者によってなされるということである。ある意味で、前者はエティック(外部)、後者はエミック(内部)に相当するとも言えよう。
型式区分について言えば、先史型式は考古学者が対象となる資料群の前後(時間軸)左右(空間軸)の異同を考慮しながら線引きをするのに対して、近現代型式は前左右のみ、すなわち将来どのような型式が当該型式に継続するかについては、知りようがないのである。

だから「大和地域の弥生土器第五様式」あるいは「古式土師器」の細別については議論の余地があるのに対して、JR電車の通勤形の直流方式の「72型」と「101型」の区別には議論の余地がない訳である。

「スクラップ工場にある1960年代製作の車はつい最近まで1980年代製作の車とともに使用されていたのであろうし、もう少し動的にいえば、各製作年代、各型式の車を瞬時に交差点でみることはむしろ普遍的な出来事であろう。
しかし土器であれば、その耐久年数から勘案して変化と共存の期間は極端に小さくなるであろうし、細別一様式がせいぜい一世代と考えられている当該期(引用者:弥生時代)においては、製作の同時性と廃棄の同時性はほとんど捨象されることが多いはずである。」(115.)

鈴木 公雄1969「土器型式における時間の問題」『上代文化』第38号に言及しながら(114.)記された文章であるが、釈然としないものが残る。

地質学や古生物学におけるタイム・スケールはもとより、かつての土器型式時間幅が数百年というオーダーであればまだしも、近年の「せいぜい一世代」あるいは「たかだか数十年」といったレベルに至った現在は、「製作の同時性と廃棄の同時性はほとんど捨象される」どころか、むしろより重大視されなければならないのではないか。

こうした議論に関わる要素として1:型式時間幅、2:<もの>としての製作‐廃棄の時間幅、3:<場>としての層(遺構)形成時間幅がある。
製作-廃棄時間幅については、当時の製作・使用時であろうと現在であろうと大きな違いは生じないだろう。
層あるいは遺構の廃棄に伴う覆土の形成時間についても、当時と今でさほど大きな違いはないだろう。
それに対して、ここ100年でそのタイム・スケールが大きく変わったのが、<もの>の型式時間幅である。これは「究極まで押し進むべき」というテーゼに従って現在示されるような「究極」を呈するに至っている。
こうした時代状況の変化に応じて考慮しなければならないのが、製作時間と廃棄時間の識別であり、遺物時間と遺構時間の識別であり、考古累重論の吟味である。
そのため「…「様式」論は製作の同時性なり廃棄の同時性を超越して成り立つ上位概念であることに大過はない」(115.)といった断言に対しては、いささか異を唱えざるを得ない。

<もの>の新旧を判断する集合体(型式・様式)の時間幅が、<もの>の製作‐廃棄時間幅に接近すればするほど、どちらがどちらに「超越」するといった優劣関係ではなく、両者の相互関係をより精彩に吟味する必要があるのではないか。

関連して以下で論じているので、興味のある方はご覧頂きたい。

五十嵐2011「遺構時間と遺物時間の相互関係」『日本考古学』第31号:39-53.
五十嵐2012「型式組列原理再考」『縄文研究の新地平(続々)』223-234.
五十嵐2018「考古累重論」『日本考古学協会 第84回総会 研究発表要旨』72-73.


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