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三宅・鈴木1977「関東軍は満州で何を発掘したか」 [学史]

三宅 俊成・鈴木 武樹 1977 「「満州」における戦前史学の実態」『日本古代史の展開 鈴木武樹対談集成甲書房 東アジア叢書2:241-283.(2000「関東軍は満州で何を発掘したか」『激論! 日本古代史』:241-283.と改題して再刊)

刺激的な表題の対談記録である。
同じ頃、同じような地域で活躍された同姓の方がいて紛らわしい。
満洲国立博物館奉天館長をされた三宅 宗悦氏は、角田 文衛編1994『考古学京都学派』:169-172.に紹介文がある。
こちらは、満洲国古蹟古物名勝天然記念物保存協会主事をされた三宅 俊成氏である。

「いちばん困ったのは軍部の連中が盗掘をやったことですね。たとえば、牡丹江省東京城の近くの軍司令部の将校が東京城の盗掘をして、遺物をこっそり日本に持って帰ったりするんですね。特に林東地区の満州国軍の日本人司令官は遼代の墓を発掘させて、ひそかに遼の陶器を集めていました。部下の兵士も上官の意を迎えるために盗掘をしていましたね。当時でも遼の陶器は骨董的価値が高かったから、それに目をつけてやったのでしょう。その報告を受けて抗議に行き激論したこともあります。
また、琿春駐屯の日本軍軍司令官が考古学に興味を持っていた部下にそそのかされて、渤海の遺跡、半拉城の発掘を琿春県の公費でやったこともあります。このことがたまたま琿春に出張した役人からの報告でわかり、文教部の保存行政の不徹底が問題にされてたいへん困りましたね。その半拉城の遺跡は京城大学の鳥山、藤田教授が縄張りとしていてすでに若干試掘していたところです。それをこっそりS軍曹が兵隊をつれていって、発掘しちゃったんですよ。困っちゃってね。そのS軍曹は考古学に非常に興味を持っていて、日本にいたとき梅原さんの発掘に参加したことがあると言ってましたがね、自分が他の部隊に移動することになったので、その前に自分で発掘したかったんですね。
その発掘の時期も、二月という酷寒期にやったんです。そのころはまだ土地は凍っているんですよ。そこを考古学的発掘の経験のまったくない大勢の兵隊を指揮して、掘って掘りまくったのですからずいぶん乱暴な話なんですよ。その後われわれが後始末をしたんですが、そのときは東大から駒井さんや和島さんなどに来てもらって一ヵ月くらいかかって城址の全貌を明らかにしました。軍人ってすこぶる単純で、しかも権力を持っていましたから、鬼に金棒です。始末におえなかったですね。」(267-8.)

「半拉城発掘 三月間島省琿春県主催にて駐屯部隊の斉藤甚兵衛軍曹により、渤海の遺蹟半拉城の寺址、宮殿址を発掘して頗る優秀な仏像等を発見して多大なる成果を挙げた。(中略)斎藤氏は公務の関係上速急に行つた為め十分ならざる處があつたので民生部では七月十日から約一ヶ月間再調査を行ひ、宮殿址、廻廊址、門址等を発見し意外な成果を収めた。調査団員は東大駒井和愛、東方文化学院研究員島田正郎、民生部小竹一郎、国立博物館李文信の諸氏並に筆者である。また斉藤甚平衛氏も来観且つ援助された。」(三宅 俊成1944『満洲考古學概説』満洲事情案内所:193-4.)

「多大なる成果」が、33年後に「始末におえなかった」に変容した訳である。

「三宅:こういうこともあったんですよ。満州国に建国神廟をつくって天照皇大神を祀った祭政一致の国家をつくろうとしたのです。各官公署には神棚をおいて拝礼させておりました。
鈴木:朝鮮神宮の「満州」版ですね。…ところで、戦前の日本史学を見ると、学者はおおまじめで『日本書紀』そのままのことを書いていますでしょう。三宅先生などは、ああいうのをどうごらんになっていましたか、国史学者の書くものを?
三宅:わたしなんかは本気にしなかったですね。不逞な思想を持っていましたから……。
鈴木:ああいう学者たちは、あの種のことをほんとうに信じていたのか、それとも建て前として信じたふりをしながら書いたのか、どちらでしょう?
三宅:建て前だったかもしれませんね。」(269-270.)

「先日も遼陽の古墳出土遺物や、漢代壁画古墳の話をした處が「そんなものは何の利益があらうか」との言に、一時呆然たるものがあつた。彼は果して雄渾なる大東亜宣言の文化の昂揚に對して認識があるのであろうか。
世は超非常時ではあり敵米英の野望を撃砕し大東亜の建設の為めには、実際飛行機、船舶鉄石炭米等々の増産の要大なること今日程切実に感ずることは少なくないのである。
併しこれが為めに文化資源の重要さを忘れることがあつては、高遠なる理想を持つて、大東亜を指導する地位に立たんとする者の眞の姿としては、何となく淋しさを感ずることは、私一人のみであらうか。」(三宅1944:210.)

三宅1944については、以下のように紹介されている。

「そこにおいて説かれている事柄について、現在の認識からみるとき必ずしも十全ではありえないが、前掲の保存協会の主事として、また、調査委員として尽瘁していた三宅にとって全力を傾注した著作であった、と言えるであろう。『満洲考古学概説』は、その出版の後、四五年をへた平成元年(1989)五月に吉林省博物館の李蓮によって『中国東北地区考古学概説』と改題した中国語訳が東北亜細亜古文化研究所(千葉県船橋市丸山4-23-14、三宅の自宅に設置されている)から刊行された。」(坂詰 秀一1997『太平洋戦争と考古学』吉川弘文館、歴史文化ライブラリー11:124-5.)

「全力を傾注した」ことは確かであっても、現在からの評価が「必ずしも十全ではありえない」だけでいいのだろうか? 
そして1989年に刊行されたという中国語版でもここで引用した箇所などが、そのまま訳されているのだろうか?

「併し一般から古蹟古物は単なる骨董的価値を以て見られ甚しきは前に述べたやうに無用の長物に考へられてゐるのである。従つてかゝる文化資源の保存や顕彰は非常時局に於ける総力戦に翼賛する資格がないものゝ如く取扱はれてゐることは果して妥当であらうか。
私は未だ砲声の聞える時、日本軍の手により大同の石仏や聖地五台山が保護され、且つ巨費を投じて修理や研究調査をなしたことが、やがて其の地方民の安定に役立つた事実を知り、古蹟古物等の保護顕彰も亦時局に翼賛する資格があることを堅く信ずるものである。熱河の喇嘛寺の復興の如きも、蒙古人の寂しさを慰め、彼等に安住の境地を与へ、信頼の度を高め大東亜共栄共存の信念を喚起するに役立つことは疑ひないことであらう。然るに古蹟古物の保存顕彰も確かに必要であるが、満洲建國前のものは其の必要がないといふ者が、有識階級にも相当居ることは如何したものであらう。
我等の生活は勿論、國家も亦歴史を離れて存在するものではなからう。我が満洲國は歴史を離れて世に忽然現はれたものであらうか。満洲國建國の意義は決して過去の歴史を無視して解釈することが出来ない。満洲國の建國は過去の歴史の必然性によるものである。従つて過去の歴史を知ることは必要である。而して過去の歴史を吾人に教ゆるものは単なる文献のみでなく、其れ以上に古蹟古物の如きものが、我々の生活環境に於て生きたる実物として、強く且つ自然に心に刻み銘じさせるものである。殊に民族協和を政治の指導原理の一としてゐる満洲國に於ては、過去の民族闘争の愚を知らせる上に於ても建國前の古蹟古物を保護顕彰することは決して無意義ではない。」(三宅1944:211-2.)

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伊皿木

「報告書の原図のほとんどは、調査室の三宅俊成氏が作図したものだが、その版下は私が作成した。」(曾野 寿彦1964『発掘』中公新書38:179.)
by 伊皿木 (2018-02-19 17:50) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

あまりにもあからさまで、あまりにもあきらかだったので、自らの意見はできるだけ控えていたのですが、ある人から「意見を書いたほうがよい」というアドバイスも頂いたので、少しだけ記します。
「満州国の建国は過去の歴史の必然性によるものである」と書いた人間は、その理由を明らかにする責任があります。何年経とうと。それを自分は当時「不逞な思想」を持っていたとか、信じていたふりをしていたといった言葉でごまかすことは文章を記した者の責任として許されないと思います。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2018-02-22 08:19) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

三宅氏が1977年に「すこぶる単純で(中略)始末におえなかった」とされた「S軍曹」は、それから5年後の1982年には福井考古学会会長に選出され、10年後の1987年『福井考古学会誌』第5号は「斉藤優先生喜寿記念号」として発行されていました。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2018-03-09 08:45) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

「まぁそういうわけで、とにかく戦後27年の戦後民主主義てのは、守るほうばかりできたんです。憲法を守れ守れと。僕は憲法は改正してですね、第一条を廃止するということですね。日本民主主義共和国をつくるということを。憲法を改正(する)ということを打ち出さないで、憲法を守る守るで、いつも守る立場は中日ドラゴンズみたいに弱いですよ。やはりですね、勝つには攻めていかないといけない、一つの手(は)天皇陵古墳をあけようというのは、確実に攻めなんですね。これからは攻めましょう。そして攻めて攻めてですね、突き崩していって、やはり僕は日本に社会民主主義共和国をつくるという最終の目標にいきたいと思うんです。」(鈴木 武樹1972「古代史を貫く今日的「皇国史観」」『全国通信』第6号、”明日香ー高松塚”幻想と皇国史観、全国考古学闘争委員会連合
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2019-09-04 12:20) 

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