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ものの差延 [痕跡研究]

いつも行っていた馴染みの床屋さんが突然閉まって困っているという話しを、ある人がしてくれた。そう言えば、私の好きな中華料理屋さんも最近いつ行っても閉まっていて心配である。
私たちにとっては、「お店が閉まっている」→「利用できない・使えない」という具合になるが、お店という機能が停止した「やめちゃった」と構造物自体が消失する「なくなっちゃった」との間には、時間差がある場合が多い。営業停止と同時に取り壊しという場合もあるが。

どういうことかといえば、例えば『考古学ハンドブック』(小林達雄編2007、新書館)という本で、「遺物総論」(93-100.)と「道具総論」(194-195.)という文章が、100頁余りを隔てて記述されているが、こうした分離主義を乗り越え、両者を統一的な視点で捉える必要があるのではないか、ということである。

ものは、作られ、使われ、捨てられる。M-U-Dの3次元である。しかし、より接近して考えてみれば、ものが作られ終わってから使われるまでに、ある程度の間隙、時間経過が想定される。ものが作られてから実際に使われる間、すなわち製作場(工場など)から消費地に運ばれる輸送期間、倉庫などに一時的に集積される保管期間、商店に展示されて実際に顧客が購買するまでの展示期間、消費者が購買してから実際に使用するまでの保管期間などなど。
あるいは、構造物(住居)が建築されてから実際に居住されるまでの期間などなど。

考古学が主に対象としてきた先史社会では、こうした3次元の「次元間時間」は「ほとんどない」という想定のもとに話しが組み立てられてきた。作られたらすぐに使われる。使い終わったらすぐに捨てられる。
しかしこと近現代社会になると、そうした「先史的単純想定」では対処できないのではないだろうか。

使い終わってからも、捨てられることなく、保管される品々。
無人の廃墟となってから、朽ち果てるまでの期間。
一度も使われることなく捨てられる道具。
賞味期間が過ぎたため、開封されることなく、そのまま廃棄される食品群。
建築途中で倒産したため、工事が中断している高層マンション。

考古学的に対象となる構造物や道具としての使用、すなわち実際にその<もの>が使われたかどうかは、その<もの>に使用痕跡が残されているか否かが判定基準となる。それに対して、考古学的な遺物や遺構の製作や廃棄は、製作痕跡や廃棄痕跡などによって判定されることになる。
そこに、時間差、差延が生じることになる。
最後に残された製作痕跡と最初に残された使用痕跡との時間差。
最後に残された使用痕跡と最初に残された廃棄痕跡との時間差。

そして道具は、それぞれ時間差を有する複数のパーツが組み合わされて使用されることが常である。
石鏃という矢の道具の先端に取り付けられるパーツの製作が完了していても、他のパーツ(矢柄、矢筈、矢羽、矢筒、そして弓)が完成しなければ、弓矢という道具は完成しないし、矢を放つ(使用する)こともできない。

複数の遺物が組み合わされて一つの道具となり、複数の道具が組み合わされてある役割を果たすとき、それぞれの道具と遺物、構造物と遺構には、微妙にズレながら重なり合う時間差の集積、差延が至るところに顔を覗かせている。


タグ:考古時間
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コメント 5

廣田吉三郎

かつてこんな事があった。
石鏃の先端が丸く摩滅し、横向きの擦痕があった。このまま手でつまんで(あるいは着柄のまま)錐として使用したかもしれない。しかし型式学的には石鏃であり、使用痕が錐を想定させる。私は抵抗したが担当者が印刷屋に指示して上下反転させ、錐として分類してしまった。とすれば私がベニヤに穴を穿つために使った錆びたペティナイフは「錐」になるのか?どう思います?  → 新潟県『青田遺跡』
器種分類の基準は「型式学」ではなかったか?
by 廣田吉三郎 (2008-11-27 23:11) 

廣田吉三郎

追記
製作意図(基本イメージと初期調整)と使用の実際(再加工もしくは転用)、製作時と使用時の時間的差異、製作者と使用者の相違などを考慮しつつ、どう報告していくのか?議論すべき問題は山積みのように思います。
 かつて建築史の先生(故 渡辺保忠先生:早大建築史)から頂いたアドバイスに、「基本計画と施工誤差に留意せよ」そして「基本計画の理念を見よ」というのがあった。その上で様々な撹乱要素(計画変更もしくは追加や転用)を見なければ遺構を理解出来ないと言われた事を思い出す。壁画の観察でも常に留意すべきは、まず最初にリペイントの有無であった。
 遺物の観察にも同様の観点は必要なのではと常々思っています。例えば石器の場合、ガジリの有無から始まって、可能な限りパティナの発達具合の相違を識別(加工時間差の有無)し、その上で製作工程の分析(刃部再生などの再調整や器種変更のための調整など)、そして製作意図へといった流れになるのでしょうか。そして別要素として使用痕に基づく使用実際の理解になるのかもしれません。
by 廣田吉三郎 (2008-11-28 12:02) 

五十嵐彰(伊皿木蟻化)

ちょうど1年ほど前に、瓦を転用した「砥石」を目の前にして考え込んでしまいました。これは構造物の部材である瓦の項目で報告すべきか、それとも石製品である砥石の項目で報告すべきか。ある種の研磨具である「砥石」というカテゴリー名称自体に既に材質である「石」がご丁寧に2回も使われているのです。このことから明らかなように、「砥石」という分類項目に括られる資料は、石製品であることが前提となっています。そのような時に、非石製品それも本来の用途を逸脱した転用品をどのように扱えばいいのでしょうか。結局、悩みながらも石製品である「砥石」の項目に入れて「瓦転用品」という註をつけた記憶が。今でも「しこり」となって残っています。土製品や石製品といった材質別「先史的分類コード」の大前提が破綻している事例だと思います。
by 五十嵐彰(伊皿木蟻化) (2008-11-28 20:20) 

廣田吉三郎

なるほどそういうケースもありますね。私も時々切れなくなった包丁を磁器湯のみの底で研いだりしますし,庭で手近な無整形の石を拾って鉈の刃を研いだりします、ごく当たり前の事として。また京都の料亭では,雨の日に下っ端総出で砥石を持って外に出,道路でぞうきんがけのように砥石を研ぐという事もあります。こうなると道路も研磨具?でしょうか。(笑)
「これは何だ」という目録的分類ではなく,何がどう使われたかという視点が大事になるのでしょうか。本来我々が知りたいのはそういう事なのではないかと感じています。
ではどう報告すればいいのか,分類とは?それが問題です。
by 廣田吉三郎 (2008-11-29 11:40) 

五十嵐彰(伊皿木蟻化)

「転用」とは、本来(製作時)の用途と逸脱(最終使用時)の用途に傾斜がある、主・従という関係にあると思うのですが、そうではない、形態的にはイーブンな関係、使用痕跡によってはじめて用途が判別する、といった「もの関係」もあると思います。例えば、「かわらけ」と呼ばれる土師質の小皿。全く同形の皿が、一方は縁辺部に煤が付着していることによって「灯明皿」という灯火具グループに、他方は食具にと相分かれていきます。しかしこうした「最終使用痕跡に基づくグルーピング」というのは、他の多くの品々を律する「形態を主とする分類体系」においては例外事例であり、それ故に分類体系における「破調」とも言いうるわけです。こうした部分に注目することによって、私たちの暗黙の前提を問い直す突破口があるのではと考えています。
by 五十嵐彰(伊皿木蟻化) (2008-11-29 16:45) 

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