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切り合い論 [痕跡研究]

今、「切り合い」という考古事象について、考えている。
普通「切り合い」というとチャンバラなんかを想像するが、考古学の世界では、刃物による「切り合い」とは別個の「切り合い」について日々考えている。
「この土坑は、そっちの溝に切られているね。」
「これじゃ、どっちが切っているのか判らないじゃないか」
ところが、この「切り合い」なる事象、考古資料論的には、まともに正面から論じられたことがないようだ。
それは、ある遺構を別の遺構が壊しているという余りにも当たり前の事柄だから、取り立てて、改めて論じるには値しないと考えられているのだろうか。

一方で、「切り合い」が正面から論じられてきた考古資料がある。
そう、石器の剥離面である。日本の石器研究の緻密さが論じられる時、実測図の正確さが述べられる時、その独創性が誇らしげに語られる時、常に取り上げられるのが、石器剥離面の「切り合い」に関する観察とその研究である。

一方で日常の発掘調査の場面で当たり前のように直面しつつ論じられることのない「切り合い」、他方で石器の剥離面というある意味で特殊な領域における場面で常に称揚され続けてきた「切り合い」。
このアンバランスな状況には、何か考古資料論的な意味が隠されている。
そう睨んでいる。その辺を、徐々に解きほぐしていこう。

冒頭の「今」というのは、実は、ほぼ1年前の「今」である。
ブログのシステムにあまり詳しくない人に少し説明すると(といっても、私もそんなに詳しいわけではなく、現在使用しているプロバイダーのシステムしか知らないのだが)、文章は大きく「下書き」と「公開」とに区分されている。まず「下書き」として書いた文章がストックされて、「公開」ボタンを選択するとブログ上にアップされるわけである。
だから、思いついたことは取り敢えず何でも「下書き」として登録しておく。特に連日記事を「公開」している時などは、常に最低でも7~8件は「公開」に至らない準備中の「下書き」原稿がストックされていないと不安で落ち着いて寝ていられない。

ところが、全ての「下書き」原稿が目出度く「公開」されて日の目を見るわけではなく、意に満たない原稿は「下書き」のまま「塩漬け」にされて、そのまま「お蔵入り」ということになる。「管理ページ」というところに、「記事一覧」という箇所があり、「下書き記事」が5件、「公開記事」が10件、最新保存日時ごとに表示されるようになっている。だから、新しい「下書き記事」が5件以上常に更新されている状態が続くと、それより古い過去の「下書き記事」は、「海面下」に潜ってしまい、普段はそんな記事を書いたことも忘れてしまう、ということになる。

ところが、下書き記事のストックが5件未満になると、かつての古い下書き記事が、亡霊のように浮かび上がってくるという次第である。そして最近になって、下書き記事を常時ストックしなくなり浮かび上がってきた「亡霊記事」の一つが、本日の「切り合い論」なのである。

そもそも「切り合い論」を構想していたのは、もうかれこれ2年以上も前になるが、去年の今頃は、図版も作成して、あとは原稿を書くだけという状態になっていた。ところが、ある事情から、「切り合い論」の前に、「時間論」を論じることになり、「時間論」の前に「遺構論」を論じざるを得なくなり、といった調子で、未だに「公開」するに至っていなかったわけである。そうした中途半端な構想は、往々にして、未熟な部分があるもので、今、振り返ってみても、「遺構論」と「時間論」を経過しなければ、「切り合い論」は成立しないだろうと思い至っている。なので、そろそろ改めて考え直そうかという次第なのである。

そうした「凍結記事」が、あと幾つかある。胚胎したままということになるかも知れないが、幾つかは芽吹くかもしれない。


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