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シアン化合物 [痕跡研究]

シアン化合物は、遺物か?

伊藤ハム東京工場(千葉県柏市)から300mの場所に旧日本軍の施設が存在していた(新聞報道による)。
もしシアン化合物といった薬物をも遺物に含めるならば、そうした薬物に汚染された範囲(汚染土壌地域)も近現代<遺跡>と言いうるだろう。遺物が包含されている場所が、「遺物包含層」と呼ばれて<遺跡>とされるように。

そもそも何らかの液体が単独で、すなわち何か容器に入れられてとか何かに付着してあるいは塗布されてといった状態ではなしに、液体そのものが考古資料、考古学という学問の対象となる、といったことは、今まで殆どなかったのではないだろうか。

「人間の行為から生ずる物質界のあらゆる変化、簡潔にいえば人間行動の一切の痕跡を包括する」(チャイルド1969:1.)あるいは「人間の活動の痕跡は、文字を除いてすべてを取り扱う」(小野山1985:18.)といいつつ、列挙されるのは「石・骨・ガラス・金属・土器などの単なる残片、空鑵、ドアからはずれた蝶番、枠のなくなった窓ガラスの破片、柄のとれた斧、柱のない柱穴等々」(チャイルド1969:2.)あるいは「素焼の容器、石の斧、骨の釣針、鹿角の加工品、貝、魚骨、青銅の鏡、鉄の剣、鉄の斧など」(小野山1985:23.)という陳腐な「ものたち」ばかりになってしまうのだから。

こうしたリストから漏れた「ものたち」の有り様、行く末を考えなければならない。

アスファルト、朱、水銀、アルコール飲料(酒)、漆、塗料(ペンキ)、そして化学薬品
こうした「ものたち」は、従来の「遺物論」の視野には入っていない、度外視されてきたと言えよう。
なぜなら、遺物の遺物たる最大の構成要件である「かたち」を有さないから。
「かたち」のない「ものたち」には、考古学が得意とする「型式論」が適用できないではないか。
「かたち」がなければ、考古学が得意とする「実測図」が描けないではないか。

かたちのない粘土は、焼かれて土器になって、はじめて考古学の対象となる。
かたちのない二酸化珪素は、高温融解後に急冷されてガラスとなり、ガラス容器あるいは窓ガラス、さらには光ファイバー、液晶ディスプレイとなって、はじめて考古学の対象とすることができる。

液体という「もの」は、厄介である。考古学的操作対象として取り扱うのは。
それは第1に、液体という「捉えどころがない」一定の形を示さないという物性そのものに起因する。
そして第2に、その多くが最終的な目的とした産物ではなく、それに至る「原材料」であることが多いという性格から。

液体には、明確な痕跡が残ることがない。跡を引く「航跡」や次第に広がる「波紋」といった一時的なその場限りの痕跡は、考古学的な対象になりようがない。
ドロドロしたクリームに傷を付けようがない。しかし固形化したバターなら、名前を書くことも可能である。
ケチャップ自体に、痕跡を記すことはできない。むしろケチャップが衣服に付着して痕跡となるのだ。

シアン化合物も、伊藤ハム東京工場周辺の地下水を通じて近隣地域に残された「近現代痕跡」なのである。


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コメント 5

さとう

以前、私の「ぺヤングソース」痕跡論(痕跡自体が痕跡を残すような、動態の痕跡)に対し、伊皿木さんに「そんな痕跡は考古学的には困る」とさらっと言われてしょぼーんとなりましたが、伊皿木さんもこうしたかたちで動態痕跡論を考古学的に論じる可能性について考えておられるようで、楽しみです。
by さとう (2008-11-12 22:19) 

五十嵐彰(伊皿木蟻化)

以前、瓦などを題材に遺構と遺物の狭間に落ち込んだ「ものたち」の境遇を考えたことがありましたが、実はそれ以前に考古資料の中で遺構-遺物とされる「ものたち」からはじかれた「ものたち」があることに今更ながら気が付きました。こうしたかたちでさとうさんの動態痕跡論と遭遇することになるとは。無謀とも思える「リキッド・アーキオロジー」は、従来の「ソリッド・アーキオロジー」の立ち位置を相対化させる効果があると思います。
by 五十嵐彰(伊皿木蟻化) (2008-11-13 12:35) 

アヨアン・イゴカー

liquid archaeologyと言うのは興味深い主題です。しかしながら、液体であるがゆえに、個体を介在させなければ遺跡にはならないと思います。
この理屈でゆくと、fluid archaeologyも可能になります。爆風によって破壊されたものの後に、土砂が堆積したり、火山灰が降り積もったりすると、爆風の結果が遺跡として保存されます。
by アヨアン・イゴカー (2008-11-15 13:49) 

アマチュア

なるほど。興味深い指摘です。
ちょっと異なるかもしれませんが、縄文時代の墓壙の底から黒い層(私の現場では遺体層と呼んでいました)が検出されているのをよく見かけました。
遺体が腐食し、体液がしみだしてできたと説明された記憶があります。
当時は墓である証拠として図面に残し、写真を撮ったら他の覆土とともに廃棄していたのですが、今思うとあの処理方法は良かったのかな?と思うことはあります。
科学分析技術の進歩が目覚ましい現在、遺体層の土壌成分からDNAの一部が復元できる時代が来たときに、保存した方がよかったのかな?などなど。
でも現場は時間に追われて忙しく、そうしたことを考える暇もなかったです。
言い訳にしかすぎませんが。
by アマチュア (2016-12-03 18:24) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

最近、英語の話法に引き付けて、「可算・不可算」ということを考えました。ワインや水のような液体はもとより、マヨネーズや粘土といった流動体は不可算、考古学的に最も悩ましいのは、チーズや石鹸、消しゴムのように分けられる<もの>、分割しても機能を維持する<もの>の扱いでした。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2016-12-05 08:25) 

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