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オープン・ラボ [総論]

学園祭のシーズンである。近くの大学で行なわれている学園祭に出かけた。
子供(小学生)にとって、模擬店や各サークルの様々な展示やパフォーマンスなどもそうだが、一番の楽しみは「体験!化学実験」という理系の校舎で行われている催し物である。学生が主体となった実行委員会が企画立案し、それぞれの研究室が全面的にバックアップしているようである。今年からは、国立青少年教育振興機構による「子どもゆめ基金」という助成を受けているとのこと。

実験教室の前で受付を済ませると、100ページ余りの立派なパンフレット(化学の基礎知識から、各実験がどのような原理を背景にしているか、どのような経緯でそうした実験が用意されたか、応用例と今後の発展の可能性などが記されている)、それぞれの実験結果を書き込むことができるノート、アンケート用紙などのセットが渡され、各自が白衣に着替えて防護ゴーグルを身に付ける。小学1・2年生ぐらいの子供たちも白衣を着て一人前の科学者になったような気がするのか、何となく得意げである。

今年用意された実験テーマは、酸化と還元の原理から「燃料電池を作ろう」、電解質の固定化から「色素増感型太陽電池を作ろう」、高分子ダイナミクスから「消しゴムを作ろう」、ロトカ・ヴォルテッラ機構とFKNメカニズムから「振動反応を観察しよう」、ビタミンCの定量法から「飲料水を調査しよう」などである。各テーブルに担当の学生たちが待機して、来会者の親子や小学生らに丁寧に説明している。教員らしいスタッフが巡回して、写真を撮ったり、案内をしている。子供たちが集中しててんてこ舞いのテーブルもあれば、手持ち無沙汰で閑散としているテーブルもある。

こうした試みが、考古学でもできないものだろうか(私が知らないだけかもしれないが)。

1.「接合してみよう」
 複数種類の接合キットを用意して、実際に接合作業を体験してもらう。事前に剥片剥離原理(五十嵐2004e)の講義を行い、基礎知識を習得する。石器単位と石器要素の違い、接合の種別(1類接合・2類接合)、接合式(五十嵐2002b)の書き方なども含まれる。
 入門編:単純な連続的剥片剥離を行なった石器群(剥片5枚・石核1点)を用意する。
 中級編:複数の剥片剥離石器群を3セット用意する。そしてそれぞれの剥片を1点ないし2点抜き取る。
 上級編:折れ面接合、打面調整剥片、異階層剥離(調整加工)などを取り入れた複数類似母岩を用意する。
 それぞれ、完成までのタイムを競う。もちろん、土器や礫などでも可能。

2.「分けてみよう」
 複数の類似した母岩を用意して、ミックスする。ある制限時間内で、どこまで正確に分類することができるか。正答率と何らかの手段で指標化した母岩ごとの類似度の相関性(石材ごとに)を分析する。果たして、黒曜岩の正答率やいかに。
 これは、従来から懸案となっていた「母岩識別」(個体別分類)の有効性を測る「ブラインド・テスト」である。もちろん小学生だけでなく、プロ(石器研究者)にもトライしてもらいたい。サンプル数が3桁になれば、十分論文執筆に耐えうるだろう。
 合わせて、接合と同一の相互関係(関係類型)などについても習得し、接合指数と同一指数の両者によって、石器資料をどのように表現できるかを学ぶ。

3.「これは何?」
 出土土器片から縄紋原体を当てる。LRかRLか、原体は、施紋方向は?
 それぞれが実験した上で、実際の土器片を観察して同定する。その際に、実験痕跡研究の枠組みについての説明が必要である。すなわち、製作痕跡・使用痕跡・廃棄痕跡の相互関係(五十嵐2001)あるいは実験行動から実験痕跡、考古痕跡との比較、考古行動へと至る道筋(五十嵐2003a)について。
 初級編:単節斜縄紋のRとLおよび施紋方向を判定する。
 上級編:直前段多条、直前段反撚、直前段合撚など、多様な縄紋原体の奥義を極める。

 その他、土器底部の糸切り痕跡から回転方向(右回転か左回転か、あるいは静止か)を推測する。これは、必要に迫られて昨年の現場で作業員の皆さんと実際にやってみたのだが、結果は散々であった。はたして実際はどうなのだろうか。未だに疑心暗鬼である。

 個人的な出自の関係から、思い付くのは石器や土器に関連するアイデアばかりだが、それ以外にも、木器の樹種鑑定や、動物骨の同定など、可能な領域は多方面にわたるだろう。
 勾玉作りや火起こしだけではない、考古学という学問独自の手法や考え方を学び解明していくアプローチがまだまだあるに違いない。


タグ:実験
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廣田吉三郎

考古学は、誤解を恐れず言えば「方法の学」なのかもしれないと思います。私の経験では、様々な資料から考えられる(想像される?)当時の暮らしぶりを体験する事よりも、どうしてそんな事が分かるの?なぜ石器(道具)だとわかるの?どうしてこんな風に掘るの?などの質問が多く、考え方や認定プロセスに興味のある人が多いと感じています。
現説などで「これは〜時代の〜です。」また「この穴は〜です。」と言う説明に対し、「なぜそう考えられるのか?」と疑問を持ったまま帰られる人も多いでしょう。「何か」ではなく『なぜそう考えられるか』を説明する努力が欠けているようにも思えます。
by 廣田吉三郎 (2008-11-06 01:23) 

五十嵐彰(伊皿木蟻化)

我が亡き師の愛読書は、ファーブル昆虫記とシャーロック・ホームズだったそうです。そのこころは、観察と推論こそが考古学という学問に必要不可欠であるということではなかったかと勝手に解釈しています。
単なる過去に関する知識ではなく、どのようにしてそうした事柄が導き出されたのか、考古学独自の思考方法を追究することが今ほど必要とされている時はないように思います。
今まで営々と積み上げられてきた第1考古学の成果について、「なぜそのように考えることができるのか」という問いを絶え間なく提出しその答えを求めていく。このことを通じて、はじめて考古学という学問の特性、すなわち第2考古学という世界がはっきりと姿を現わすことになるでしょう。
by 五十嵐彰(伊皿木蟻化) (2008-11-06 19:00) 

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