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小川2008『焼塩壺と近世の考古学』 [全方位書評]

小川 望 2008 『焼塩壺と近世の考古学』 同成社.

四半世紀にわたる焼塩壺研究をまとめた学位請求論文に加筆補綴がなされた書である。

「(前略) とくに「遺跡」については五十嵐 彰氏をはじめ多くの議論がなされているところではあるが(五十嵐2007)、ここでは「遺跡」の語に関してそうした議論があることを指摘したうえで、その代案がない現状を踏まえ、調査・報告のなされた単位を基準とする一般的な用語として「遺跡」の語を用いることにする。」(12.)

「議論」とは、互いに自分の説を述べ合い、論じ合うこととされている。ところが、「遺跡」についてどのような論者がどのような説を述べかつ互いに論じ合ったのか、ちょっと記憶をたどっても思い浮かべることができない。「互いに」というぐらいだから、一方向ではない、最低でも一往復以上の意見交換があってはじめて「議論」と言いうるのではないだろうか。

本書(小川2008)は、現在の「日本考古学」において、どのように受け止められるのだろうか?
ちょっと想像してみる。
まず近世を専門とする研究グループが発行している媒体に書評が掲載される。
あるいは東京(江戸)地域をカバーしている研究グループが発行している媒体に書評が掲載される。
時代(時間)と地域(空間)で区切られた座標軸における反応、評論形態。
何と「第1的」であろうか。

それでは、本書を「第2的」に受け止めるとは、いかなることなのか。

「さらにこの焼塩壺の刻印は、生産者等を示すものであるとはいえ、陶器碗などに押捺されたものとは大きくその性格を異にしている。陶器碗の刻印は、その碗そのものの生産者を識別するために押捺されたものであり、たいてい高台脇などに小さく目立たないように捺されているのに対し、焼塩壺の刻印は高さのあるコップ形の製品では身の胴部に、低平な鉢形の製品では蓋の上部中央に大きく捺されているのが普通である。つまり、焼塩壺の刻印は、壺そのものの生産者を示すものではなくて、その内容物を識別させるための商標としての性格を具えたものといえるのである。」(13.)

なるほど、「泉州麻生」は、私たちが着ているポロシャツの胸に刺繍されたワニだのペンギンだのと同様の、あるいは街中を走り回っている車のフロントグリルに取り付けられた「T」だの「H」といったアルファベットをデザイン化したマークと同様のものだったのか。

こうした特異な遺物を対象とした考古学的な研究は、「成形技法や形態との対応関係をもとに組列を組むことによって、より細かな段階設定が可能になり、またそのことから逆にそれらを一連の系譜に連なるものであることを確認」し「設定された個々の遺物群を時間軸上に配して、共伴資料を中心に同時期性を確認し、より詳細な焼塩壺の動態の抽出を試み」るのは、もとよりそれだけに留まらない可能性、すなわち第1考古学的な編年研究と共に、第2考古学的な検討が欠かせないと思われるのである。

「『意味の論理学』の翌年に出版される『プルーストとシーニュ』第二版でドゥルーズは、有名な「書物=機械」論を提示し、書物の問題はそれが機能するかどうかだと述べる。そのためには書物は自閉したものであってはならず、読者を通じて書物の外部にある社会機械と欲望する機会にプラグを接続し、思考を刺激するシグナルを交換、交流させなければならないだろう。肝心なことは、書物が「あなたにとってどう機能するのか。もし機能しないならば、もし何も伝わってこないならば別の本にとりかかればいい。この別種の読書法は強度による読み方であり、つまり、何かが伝わるか、伝わらないかだ。[・・・]これは電気に接続するタイプの読み方である。[・・・]一冊の本は、はるかに複雑な外部の機械装置の内の小さな歯車にすぎない。そして書くということは、その他もろもろの流れの内の一つにすぎず、他の流れに対していかなる特権ももたない」」(『ドゥルーズ キーワード』103.)

本書を第2考古学的なプラグに接続する先とは。

「考古学の研究者が普通に遭遇する資料は、暦年代不明のものが多いが、もし歴史時代の暦年代が明らかな資料について型式分類を行なうことができれば、型式が暦年の経過とともに変遷してゆく状況を的確に知ることができ、先史時代の資料を取り扱う際にもよい参考となるはずである。」(横山浩一1985「型式論」『日本考古学 1 研究の方法』:58.)
「人間の行為が化石化した実体としての考古学資料は、先に述べたように断片として我々に提示される。それ故、それらの断片に、様々な方法を用いて分類や分析を加えた上でないと、有効な人間活動に関する情報とはならない。このプロセスの多くが考古学独自の研究法と呼ばれるものであり、型式学、編年学、分布論、層位論などは総てそのために発達してきたものといえる。ところで、これらの諸方法が、考古学資料から有効な情報をとりだすにさいして、どれほど有効な方法であり、またとりだされた情報(結果)そのものが、歴史の復元に対して、どこまで有効なものであるのかを確かめる必要は全くないものであろうか。」(鈴木公雄1988「近世考古学の課題」『村上徹君追悼論文集』:205-6.)

小川2008で示された焼塩壷のそれぞれの単位は、果して「型式」なのだろうか。
そして考古学的な「型式」というのは、「どれほど有効な方法であり」「どこまで有効なものであるの」だろうか。すなわち、「考古学独自の研究法」である「型式学」は、焼塩壷という「商標」が記された資料、すなわち「商品」に対して、適用可能なのだろうか。
こうしたことを「確かめる」責務は、私たちに託されている。

付言するならば、近世において焼塩壷が担った役割は、近世以前あるいは近世以後にはどのようであったのだろうか。
山口2006「台所の一万年 -食べる営みの歴史と未来-」などを通過した後には、特にこうしたことが気になる。
夏の現場の休憩所の机の上には、ナトリウムの錠剤が入ったプラ・ボトル(塩壷)が置かれていた。


タグ:近世 型式
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