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デジタル・データ調査(その後) [考古記録]

2006年3~4月にかけてなされた「埋蔵文化財センター・デジタル・データ調査(JAD2)」の中間報告がアップされた。
http://www.chiron-training.org/go_sugimoto/digital_survey
合い言葉は、「日本考古学を面白くしよう!」である。

是非、新プロジェクト「ACT考古学」の提案書をお読みいただき、一人でも多くの方に積極的に参加していただければと、願う次第である。

「岩崎 よくキーワードということを聞きますが、これはいったいどういうものなんですか。
 及川 タイトルや著者名から探すということは、探したい文献がある程度はっきりわかっているということですね。そうではなく、どのような文献があるかわからないが、自分の専門分野に関連した文献にどんなものがあるか見たいというような場合、探す手がかりとして、タイトルや著者名だけでは不十分なわけです。」(及川昭文・岩崎卓也・菊池徹夫・茂木雅博1985「座談会 考古学におけるコンピュータの利用」『考古学調査研究ハンドブックス3研究編』雄山閣:145)

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新地平4 [考古記録]

シンポジウム 縄文集落研究の新地平4
-竪穴住居・集落調査のリサーチデザイン-
2006年10月14日(土)
セツルメント研究会
駒澤大学(東京都世田谷区)
「縄文時代中期の集落およびその基礎となる竪穴住居跡調査・研究方法について、最近の調査例からのケーススタディを紹介するとともに、近年盛り上がっている盛土研究とか階層性とかを別として、やや停滞気味の縄文集落論・環状集落論にカツをいれ、調査現場からの縄文集落研究を展望する。全点ドット調査・微細遺物回収に代表される遺漏なき情報収集と、同時存在遺構把握なくして明日はなし。」

山梨の前哨戦である。
まぁ、敵情というか現状を視察に出掛けた訳である。

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全国デジタル・データ調査 [考古記録]

ちょっとしたトラブルでお手上げ、せっかく書き上げた文章が二度と戻らぬ闇に吸い込まれたら1日立ち直れない典型的な「コンピュータ嫌いのアナログ人間」なのだが、現在イタリアにいる友人に誘われて表記のアンケート調査に関わることになった。近日中に、全国の埋蔵文化財関連機関に送付する予定である。是非、皆さん御協力下さい。

なお、その彼がアンケート調査専用の素晴らしいウェブ・サイトを用意してくれた。そこから、自由にアンケート用紙もダウンロードできる。組織に関わっている・いないに関わらず、考古学に関心のある方はだれでも歓迎。個人用のアンケートに記入して、一人でも多くの方が返送していただけますよう。

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考古学性とは(24) [考古記録]

「破壊」(fracture)には、そして「破壊」された破片を再びつなぎ合わせる「接合」(refitting)には、大きく分けてそれぞれに対応する二つの類型が設定できる(五十嵐1998d「考古資料の接合 -石器研究における母岩・個体問題-」『史学』第67巻第3・4号:105-128、五十嵐2002b「旧石器資料関係論 -旧石器資料報告の現状(Ⅲ)」『東京都埋蔵文化財センター研究論集』第19号:33-72)。
第1の類型は、「割る」(knap)である。一般的には、ある意図をもってなされる破壊行為をさす。具体的には、石の塊を「打ち割る」ことで、目的とする剥片や石核を得る。石の打ち割りである「割り」によって、剥離面という特殊な破壊面が生じる。剥離面とは、一方に「核」(negative surface)、他方に「片」(positive surface)という凹凸関係を有することを特徴とする。そうした石核と剥片あるいは剥片と剥片といった剥離面での接合が、「1類接合」である。
第2の類型は、「折る」(break)である。一般的には、意図せずに生じる破壊行為をさす。具体的には、剥片や石器などが二つに「折れる」ことである。石の「折れ」によって、折れ面という破壊面が生じる。石器破片あるいは剥片破片といった折れ面での接合が、「2類接合」である。

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考古学性とは(23) [考古記録]

「破片性」について考えるということは、破片のよって来る由縁を考えるということ。すなわち、「接合研究」である。

接合研究、これも今の第1考古学全盛の日本考古学では、とかくないがしろにされている領域である。
遺物を掘り出して、水洗いして、注記したら、必ず行う欠かせないプロセスなのに。
壊れた欠けらを手にして、完全な形をイメージする。どういったもののどの辺の破片だろうかと考えるのが、極端なことを言えば、考古学の第一歩なのである。
複数の壊れた欠けらがある限り、誰でも無性にくっつけたくなる。最初のうちは、ボンボンくっつく。しかし、ピークを過ぎると、それなりの目を持っていないとくっつかなくなる。

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考古学性とは(22) [考古記録]

破片性は、資料の定量分析を巡る問題に直結する。
「個別の考古誌(遺跡調査報告書)にもあるいは石器研究の入門書にも、石器資料に関する計測(measurement:石器をどのように測るか)の項目はあるが、計数(calculation:石器をどのように数えるか)の項目は見当たらない。」(五十嵐2002c:p.29)

何故だろうか?

一つは、あらゆる考古資料に認められる「完形志向」であり、いま一つは石器資料の特性についての配慮不足、すなわち「石器-土器同一視」である。
「石器について個体数に関する議論がなされていないのは、石器の個体数概念(何をもって一個体の石器とみなすのか)について自明である、との前提が作用しているものと思われる。「1個の石器は1個の石器であり、1個の貨幣は1個の貨幣であるということには何の問題もない。」(オルトン1987:171頁) しかし、本当に石器と貨幣を同列に論じることができるのだろうか。」(同:p.31)

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考古学性とは(21) [考古記録]

転がっているボンネットやライトの破片だけから、自動車メーカーから製造年式までが判る、などと考えること自体が無理なのである。
それぞれに、すなわち破片の度合い(破片度)に応じて、判明する度合いも異なるのが普通ではないだろうか。
<もの>の分類体系には、<もの>の破片性に応じた階層があって、然るべきではないか。

例えば、車体の構造が判る程度の破片であれば、車種(ワンボックスかセダンか)までが判るとか。
塗料の破片とかガラスの破片などからは、国産車か外国車といったことまで判るのかも知れない。

ところが、現在なされている考古学分類、型式論議にそうした識別レベルに応じた階層性が考慮されているものが、どれほどあるだろうか?
ということ(かっこよく言えば、階層的分類体系)を常々考えていた。

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考古学性とは(20) [考古記録]

フラグメンタリティ(fragmentality)とは、何か?
それは完全な形のもの(完形品)に視点を据えるのではなく、完全な形の部分である破片を中心に思考を組み立てること、完全な形の部分をなす<破片性>という意味を考えることである。
グローバリゼーション=globalisationに関連してフラグメンテーション=fragmentation=断片性ということが言われるが(例えばWAC2006:S15のセッションサブタイトル!)、フラグメンタリティ=fragmentality=破片性とは次元が異なる。

地中から出てくるもので、完全な形のものが「ごろごろ」出てくるということは、まずない。まずないからこそ、完全な形のものがでたら、「おーすごい」と強烈な印象が植え付けられるぐらいだ。日常的には、破片が、土器の破片(土器片)、石器の破片(石器片? 剥片片?)、瓦や茶碗のかけらが、出てくるのが当たり前である。

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考古学性とは(19) [考古記録]

帰納的分類と演繹的分類という原則を踏まえた上で、私たちが行っている分類という行為、似ているものを集めて、似ていないものと区別すること、どこからどこまでが似ていると考えるのか、区分単位内における偏差と、それらがどれほど他の区分単位と異なると考えるのか、区分単位間での差異について、考えていかなければならない。

そうした区分原理について考える際に手がかりとなるのが、諸賢も参照されているD.L.クラークのMonothetic GroupとPolythetic Groupである(David L.Clarke1968 Analytical Archaeology. Methuen.)。林は前者を「単相組成」、後者を「多相組成」と呼んだ(林謙作1990「縄紋時代史6 縄紋土器の型式(1)」『季刊考古学』第32号:p.87)。佐藤は「一元決定的分類」と「多元決定的分類」とした(佐藤啓介2001「分類理性批判」p.7)。あるいは「単一配列分類」と「多配列分類」とした(佐藤啓介2004「考古学における型式学」『進化学会シンポジウム「非生命体の進化理論2』)。

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考古学性とは(18) [考古記録]

「ある縄文時代の集団は、長二センチ前後の平基三角形無茎石鏃、長二・五センチ前後の凹基無茎石鏃、長三センチ前後の凸基有茎石鏃等の打製石鏃を装備している。また弥生時代のある集落遺跡の住居は、円形八本柱、円形六本柱、隅丸方形四本柱等々の竪穴住居址で構成されている。」(近藤1976:p.25-26)

「研究者が研究対象をどのように認識しているかという点については、どのように区分しているかという単位区分の問題と関連して、区分した単位にどのような名称を付与しているか(命名行為)という点からも検討が必要である。」(五十嵐2004d「考古記録」『現代考古学事典』p.125)

分類した単位にどのような名称を付けるのか、その意味について考える分類単位名称論を論じた文章は、多くない。ここでは、そうした数少ない論考について見てみよう。

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