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考古学性とは(23) [考古記録]

「破片性」について考えるということは、破片のよって来る由縁を考えるということ。すなわち、「接合研究」である。

接合研究、これも今の第1考古学全盛の日本考古学では、とかくないがしろにされている領域である。
遺物を掘り出して、水洗いして、注記したら、必ず行う欠かせないプロセスなのに。
壊れた欠けらを手にして、完全な形をイメージする。どういったもののどの辺の破片だろうかと考えるのが、極端なことを言えば、考古学の第一歩なのである。
複数の壊れた欠けらがある限り、誰でも無性にくっつけたくなる。最初のうちは、ボンボンくっつく。しかし、ピークを過ぎると、それなりの目を持っていないとくっつかなくなる。

そうした日々が続いている時、みんなが帰った現場で、一人接合を試みる。
そして・・・
翌日の朝、「もう、つきません」と断言していたあの人の驚く顔が楽しみで、自然と顔がほころぶ。

そんなこんなが「接合」である。

 ただし、なんでもかでも滅多矢鱈にくっつければ良いというものでもない。
どのようなものをくっつければ、どのようなことが判るのか。
そこのところを良く見極めておかないと、プラモデルに夢中になっている小学生と変らなくなってしまう。

「物は、いつの日か必ず壊れる。壊れた物は、必ず接合することができる。考古学が対象とする資料は、壊れて廃棄された物である遺物や廃棄された構造物である遺構が中心である。遺物と遺構からなる遺跡とは、言い換えればそのほとんどが破損品の集積なのである。・・・
完形品と破損品とでは、それぞれ有する情報の質が異なる。物の形自体が有する情報量という点からすれば、形が完全な完形品は、形が不完全な破損品に優る。しかし破損品同士が接合すれば、接合品は完形品の有さない別種の情報を保持することになる。すなわち何時、何処で、如何にして壊れたかといった当時の人間行動に関する情報を導き出すことが可能となる。」(
五十嵐1998d「考古資料の接合 -石器研究における母岩・個体問題-」『史学』第67巻第3・4号:p.105)

破片が接合するには、破片が存在しなければならない。破片が存在するには、もとのあるものが壊れて、複数の破片に変化しなければならない。
全ての出発点に、「壊れること」すなわち物理的な「破壊」(fracture)がある。

 


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