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考古学性とは(22) [考古記録]

破片性は、資料の定量分析を巡る問題に直結する。
「個別の考古誌(遺跡調査報告書)にもあるいは石器研究の入門書にも、石器資料に関する計測(measurement:石器をどのように測るか)の項目はあるが、計数(calculation:石器をどのように数えるか)の項目は見当たらない。」(五十嵐2002c:p.29)

何故だろうか?

一つは、あらゆる考古資料に認められる「完形志向」であり、いま一つは石器資料の特性についての配慮不足、すなわち「石器-土器同一視」である。
「石器について個体数に関する議論がなされていないのは、石器の個体数概念(何をもって一個体の石器とみなすのか)について自明である、との前提が作用しているものと思われる。「1個の石器は1個の石器であり、1個の貨幣は1個の貨幣であるということには何の問題もない。」(オルトン1987:171頁) しかし、本当に石器と貨幣を同列に論じることができるのだろうか。」(同:p.31)

土器についての個体数カウント(計数)は、口縁部なり底部なりを選択して、数えれば問題ない。一つの胴部に二つの口縁部を有する「双口土器」とか、一つの口縁部に対して二つの底部を有する奇怪な土器を想定しない限り。
土器の破片資料については、過半を有する口縁部破片あるいは底部破片をカウント対象とすればよいだろう。

しかし、石器については、そうはいかない。
「破損に伴う再生加工が想定される場合に、破損した資料をも器種認定の対象とすれば、本来単一である個体に対して破損・再生という行為に関わるだけの器種が認定されてしまうことになる(ダブル・カウント)。これは、縮小(reduction)という石器の有する資料特性に起因するものである。」(同)

土器の口縁部が欠けてしまえば、土器としての命はおしまいである(もちろん、欠け方の度合いによるが)。
ところが石器の先端部が欠けてしまっても、その部分を修復して、新たな先端部を作り出すことはいくらでも可能なのである。すなわち再生、やや小さくなっての生き返りである。その時、その石器は、昔の「先端部」破片と、今の「先端部」の2つの「先端部」を持つことになる。そして、その先端部がまた欠けてしまったら・・・
尖頭器好きの研究者は、とかく破片ですら対象としたくなるという誘惑があるものだが、そこはぐっとこらえて、尖頭器の先端部をもカウントして、「尖頭器の点数・・・点」としてはいけない、という提言なのだ。

シッポの先っぽだけでは、トカゲの正確な数は判らない。
これを「トカゲのシッポ定理」としよう。

土器の修復・再生は、常に欠けた部分の補充・穴埋めというマイナスをプラスで補って、本来の形、プラス・マイナス・ゼロに立ち返らせるという行為である。
それに対して、石器の修復・再生は、欠けた部分に手を加えて、マイナスにマイナスを重ねて、形として縮小したゼロ、新たなゼロを作り出すという行為である。

壊れれば、その時点で命が終わる土器。
壊れても、小さくなって生まれ変わる石器。

ここに、土器破片と石器破片の決定的な違いがある。


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