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考古学性とは(17) [考古記録]

第2考古学的視点の特徴として、物事の基底に遡って考究するというのがある。すなわち、考え方の手順として、常に「そもそも・・・」(at all?)という発想が大切である、ということである。

それでは、型式概念の成立基盤、そもそも<もの>を分類するということは、どのような営為なのか?

ここはひとつ、「考古学的分類とはどのような分類なのか、それを解明する手がかりとなる諸概念や論理をまず明らかにすること」とされた佐藤2001(佐藤啓介2001「分類理性批判 -『型式学の哲学』へ向けての覚書-」(現在の格納アドレス不明)を導きの糸として、みてみよう。

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考古学性とは(16) [考古記録]

近藤1976の後半である第三章は、「考古資料の分類概念」と題されている。所謂「型式論」(タイポロジー)と称される分野の議論である。
しかしここで述べられているのは、私たちに馴染みがある相対編年の手段・方法としての型式論ではない。考古学の分野でなされている多くの型式論議、モンテリウス由来の古典的型式論は、型式変遷の順序、順序づけられた型式の連なり、型式組列に主眼が置かれている(田中 琢1978「型式学の問題」『日本考古学を学ぶ1』、横山浩一1985「型式論」『岩波講座 日本考古学1』など)。
しかし、近藤1976後半では、その前提としての概念間の相互規定の問題が取り上げられている。

「・・・考古資料は個別性と共通性を一身にかねそなえたもの、すなわち特殊と普遍の統一物であるといってよい。考古学は、この共通性・普遍性をとらえて、無言で無限な個別的資料に秩序をあたえ、発言の条件をつくりだす。この物的特徴にみられる共通性は、ふつう型式とよばれている。」(近藤1976:p.25)

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考古学性とは(14) [考古記録]

机の上に遺物を置いて、実測をしているとする。
その遺物は、加曾利Eでも、畿内第三様式でも、くらわんか茶碗でも、益子の汽車土瓶でも、統制陶磁器でもいい。
ある時、実測をしている遺物と、昼休みにお弁当を食べた時に一緒にお茶を飲んだ湯飲みが、区別つかなくなる瞬間。
遺物と身の回りの<もの>たちが、融解していく、眩暈のするような思い。

博物館の展示を見て回る時、旧石器から縄紋・弥生と、詳細な説明を追いながら歩を進める。古代・中世・近世とだんだん身近になってきたと思った瞬間、展示も説明も断ち切られてしまう。

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考古学性とは(13) [考古記録]

遺構に代表される<場>と遺物・部材に代表される<もの>の相互関係を幾つかの視点を交差させながら、解明していかなければならない。
<もの>は、<場>から取り出しうるので、「発掘」というその状況的属性を確認する限定的時間枠の後に於いても、その内包的属性を検討しうる。「発掘」という場面からの「遅延性」が特質である。すなわち、発掘後に誰でもじっくり<もの>を手にとって観察しうる。
一方で、<場>である遺構および<もの>の状況的属性すなわち「空間的諸関係」は、「発掘」という限定的時間枠においてのみ現出する「即時性」が特質である。すなわち、実際にその状況を観察しうるのは、「発掘」という場面に限られるので、発掘後は、記録された画像・映像・図面・データという限定された側面のみになってしまうという情報量としての縮減性が宿命である。

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考古学性とは(12) [考古記録]

第二章第3節は、「関係」と題されている。近藤1976資料論の真骨頂の部分である。この部分が更に発展して、本ブログ「近藤1981」【05-09-27】で取り上げた「発掘の話」の前半部分に繋がっていく。

「・・・遺物は一定の場所と関係なしに遺物たりうることをのべたが、実はそれは、ことの主要な面であるとしても、考古資料としてはひとつの面にすぎない。それはほんらいもうひとつの側面をもつ。・・・
これを実体としての遺物そのものに対し、その諸関係とよぼう。
・・・遺物の関係的側面は、遺物そのものに劣らない資料的価値をもち、ともに人間行為の産物であることに変りなく、ひとしく考古資料である。異るところは、ひとつは実体としてのものそのものであり、他は関係という状況である。したがって、諸関係を認識しそれを客観的に記録する能力が遺物調査の前提となる。」(近藤1976:p.20-21)

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考古学性とは(11) [考古記録]

「それでは住居址の中にみられる炉は何であろうか。それもまた一定の場所たとえば住居の奥の中央につくられるという選地がおこなわれ、はじめからその地点と結合して設けられ機能したものであるから、柱穴や周溝とともに遺構というほかない。ところが、その炉が地面を浅く凹めその縁に数個の石を配置した構造であったとすると、その個々の石は何であろうか。その石は付近の河原で拾われ運ばれておかれたもので、ほんらい炉ではない。その位置や機能とは関係ない存在であった。ただそのように使われたにすぎない。したがって個々の石は遺物である。そうした遺物としての石のいくつかが、炉をつくろうとして凹みをほった人達によって地面に配列されると、それらは全体として凹みとともに炉という場所的構造体を成立させたことになる。石という遺物が凹みという遺構とともにところをえて炉という遺構を形づくっているのである。したがって住居址は、こうした炉・柱穴・周溝・竪穴などの遺構から構成されているので、その個々を強調すれば遺構複合体とよびうるものである。しかしこの場合、炉にしろ柱穴にしろ、住居址という一種の完結的遺構の一部にすぎないので、むしろ部分的遺構と称すべきであろう。」(近藤1976:p.19-20

やや長い引用となったが、遺構概念のポイントが述べられている箇所である。「原始史料論」としては、ほぼ完璧といってよい記述である。

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考古学性とは(10) [考古記録]

近藤1976の第二章は、「考古資料の構造」と題されている。考古資料は、「遺跡」のうちに構造体をなしており、その要素として「遺物・遺構・関係」が挙げられている。第1節は「遺物」、第2節は「遺構」である。

遺物とは、何か?

「ほんらい特定の場所と直接的な関係なしに機能を発揮しあるいは役割を果たしえたと考えられるもの」
「つまり、特定の空間的位置をはなれても、そのものとしての性質においていささかも変りがないものである。いわば「動産的」考古資料である。」(近藤1976:p.18)

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考古学性とは(9) [考古記録]

小野山1985が「多くの教示をえた」(p.39)とするのが、近藤義郎1976「原始史料論」『岩波講座 日本歴史25 別巻2 日本史研究の方法』9-36である。もちろん私も「多くの教示をえた」どころか殆ど全てをここから学んだ。第2考古学の震源地と言ってよい。
そして本ブログ「遺構-遺物概念(続)」【05-09-20】において、「「原始史料論」を改題した「考古資料論」ではなく真の意味での「考古資料論」を構想すべき時である」と自らの課題を示しておいた。

「・・・考古資料は、自然物に対する改変行為の産物というその成立事情の本質から沈黙をよぎなくされている。しかし沈黙したままでは歴史の資料たりえないから、研究するものが代弁する、というより資料と研究者との共同発言がおこなわれる。そのため、さまざまな技術的操作が資料と研究者との間に必要となる。」(近藤1976:p.16)

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考古学性とは(8) [考古記録]

小野山1985 第二章3節は、「遺跡・遺物の再考」と題されている。「せんぶつ問題」として論じた部分である(五十嵐2004f「痕跡連鎖構造 -遺構・遺物概念の再構築を経由して-」『山下秀樹氏追悼考古論集』279-288、本ブログ「遺構-遺物概念」【2005-09-19】参照)。
遺構・遺物という伝統的な二項体制の変革を企図したもので、私としてはそれなりの覚悟と思いを込めた提案だったのだが、目立った反応はみられない。というより、目立たない反応すら目にすることができない。

今回、ここで論ずるのは、その際には述べ得なかった、しかし初めて小野山1985を読んで以来、約20年間、心に引っ掛かっていた文章についてである。

「遺物の定義のなかに、そのものが本来の機能を担っているという条件を入れると、寺院で現在使用中の古い梵鐘は考古資料のなかに含めることができなくなるが、これはいかにも不自然である。」(小野山1985:p.26)

どうだろうか? 皆さんは、引っ掛からないだろうか?

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