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21世紀の「原位置論」 [考古記録]

「原位置論」といえば、麻生1969「「原位置」論序説」『上代文化』第38号と同1975「「原位置」論の現代的意義」『物質文化』第24号。
最近の若い方々は、どれほどご存知だろうか?

「原位置は出土状態そのものである。その道具が使用されていたあるがままの出土状態、そのものが使用されて機能を果たしていたであろうと思われるあるがままの状態でなければ、本来の原位置の意味とはならない。
さらに原位置の意味は、考古学的出土状態から直接判断することは非常に難かしく、ましてや考古学的出土遺物からも、そくざに判断しにくい。原位置の意味、それは、あるがままの状態、本来の機能を果たしている状態であったか、二次堆積の状態であったか、現在の考古学研究では、考古学的出土状態から直ぐさま認定することは困難である。その道具が本来使用されていた状態のままで出てくれば、大変好都合で、“原位置”としては、本来の狭い意味での使用法となるのである。」(麻生1975:1.)

として縷々述べられているのだが、結局は3次元分布図(ドットマップ)を作成し、そこから解析をなすという言わば、今では当たり前?(当時は先駆的)なことであり、あるいは「包含地、包含層の意味を解明するために、ひとつひとつの土器片の出土状態を細かく記録した。土器面を上にしているか、下にしているか、横にしているかに注意をはらった。」(麻生1969:5.)といったある意味で密着思考的な袋小路に入ってしまったが故に、「原位置論」自体が発展せずに、現在は忘却されているのではないか。
しかし、ここには、まだ救い出しうる、というより、新たな光を当てる、いやむしろ開拓しなければならない領域が残されているようである。

そもそもの始まりは、本ブログにおける「部材論争」の過程で析出されてきた「本来の位置」という考え方である(「原位置」論本説【06-11-27】、「本来の位置」考【06-12-05】、「本来の位置」再考【06-12-16】参照)。

3年前の到達点を確認しておこう。

「本来の位置を保った構造物の一部を「残存物」と呼ぼう。
「本来の位置を失った構造物の一部を「分離物」と呼ぼう。
「本来の位置があるものが「構造物」であり、その残存形態が遺構と部材であり、本来の位置がないものが「道具」であり、その残存形態が遺物である。」(「「原位置」論本説」より抜粋)

遺物には、本来の位置(原位置)はない。なぜなら可動性・動産すなわち本来の位置を持たない道具であることが、遺物の定義要件であるから。
であるから、本来の位置を有するのは、不動性・不動産である構造物を構成する遺構および部材ということになる。そして「穴」に代表される遺構は、本来の位置を失うことがない(移動することがない)ことが前提であるがゆえに、本来の位置(原位置)が問題となるのは、部材ということになる。

柱穴に直立したまま検出された角材とゴミ穴に放り込まれて見出された角材。
これらはやはり区別しなければならないだろう。
前者を「残存物」として、後者を「分離物」として。

問題の焦点は、非加工物すなわち加工を施さずに自然物をそのまま用いた部材である。
例えば、石囲炉に用いられた炉石。住居跡という場における特定の場所から配置された状態で見出されたが故に炉石という「部分的遺構」の構成要素として認定された訳である(近藤1976:20.【05-12-05】も参照)。同じものが包含層から単独で検出されたなら、それは単なる礫として処理されるだろう。されざるを得ない。
同じことは、自然石を用いたカマドの「袖石」あるいは「礎石」などについても言えるだろう。

ある状況下において、「残存物」として見出されるが故に、部材として認定される。しかし全く同じものが異なる状況において、「分離物」として見出されれば、単なる遺物として扱わざるを得ない。
これが、自然物をそのまま部材として用いた資料の特性(特異な性格)なのである。

そしてこうした特性は、特殊な一部の遺物にも及んでいる。
例えば、「編物石」と呼ばれる遺物。
古代の住居跡からしばしば検出される「棒状の自然礫」。
「住居跡から同サイズの棒状礫が多数見出される」という出土状況に依拠した遺物認定。
全く同じ資料が単独で地表面に転がっていても、決して誰も取り上げたりしない。
これが石鏃や土器といった製作痕跡による形状が認定根拠となっている遺物との決定的な差異である。

こうした考察から見出される一つの見通しとは、
部材における本来の位置(原位置)とは、ある種の使用の痕跡(「使用痕」)といっていいのではないか、いわざるを得ないのではないかということである。


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アヨアン・イゴカー

包丁も台所で発見されれば調理道具であり、寝室で発見されれば凶器と看做される可能性がある、と言う理屈ですね。
by アヨアン・イゴカー (2009-08-09 03:12) 

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