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「本来の位置」再考 [考古記録]

本来の位置がある構造物には、本来の位置を保つもの(残存物)と本来の位置を失ったもの(分離物)がある。
そして、様々な部材は、それが構造物のどこに位置するかによって、残存の仕方、すなわち本来の位置を保ちやすいか、それとも失いやすいかが定まってくる。
地上部分、それも地表から上空に向かって離れれば離れるほど、本来の位置を保ち続けるのは、困難になる。それは、重力という物理法則に逆らう営みだからである。だから屋根材である瓦などは、屋根に敷かれた「本来の位置」を保ちながら機能を失うこと、言い換えれば「本来の位置」を保ったまま地中から見出されることは殆どなく、多くが「分離物」として見出されることになる。
地下部分、それも地表から地中に向かって離れれば離れるほど、本来の位置を保ち続けるのは、容易になる。それは、地上における改変行為の影響を受ける確率が低下するからである。だから埋設物である土管や鉄管などは、埋設された位置を留めたまま、言い換えれば「本来の位置」を保ったまま地中から見出されることが多く、「残存物」として見出される。

従来の遺構-遺物定義によれば、遺構⇒不動産、遺物⇒動産であるから、本来の位置を保つ残存物→不動産→遺構、本来の位置を失った分離物→動産→遺物という連想が働くことになる。
だから、地上部分に位置する部材である瓦は、遺物扱いに、地中部分に位置する部材である土管は、遺構扱いにされてきたのではないか。

埋甕や木樋が遺構扱いされ、瓦や碍子が遺物扱いされてきたのは、それらの設置場所に起因する残存形態、あるいはそれらが有している形状・大きさなどから、私たちが抱く先史的遺構・遺物イメージに安直に結び付けてきたことによるのではないだろうか。
すなわち、瓦はバラバラになって発見されるし、小さいし、バリエーションは豊富で、それぞれの紋様に型式学的方法が適用可能である。対して、間知石や胴木は大地に密着して見出されることが多く、大きいし、単純で、型式学的方法は多くの場合適用不可である。だから、何となく前者は「遺物扱い」に、後者は「遺構扱い」とされてきたのではないか。

しかし、私たちが目の前の考古資料を考えるときに根幹に据えるべきは、たまたま現在そうある状態、すなわち現在の位置(まさしく「現位置」)、福田さんの言う「一時的所産」ではなく、過去の機能していた状態、すなわち過去の状態(「原位置」)、福田さんの言う「二次的所産」なのではないのか。

私たちが<遺構(動産):遺物(不動産)>と言う時、それは過去の状態(本来の位置)を指して言っているのか、それとも現在の状態(残存した位置)を指して言っているのか、その点がはっきりしていなかった、ごっちゃにしていたのではないか。

その辺のところを、しっかりと考えなければならない。


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