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「遺構論、そして考古時間論」 [拙文自評]

五十嵐2006d「遺構論、そして考古時間論」『縄文集落を分析する』山梨県考古学協会 2006年度研究集会資料集:64-83.

開催主旨:今日、各地で数多くの集落遺跡が調査され、報告書が蓄積されつつあり、もはやすべてに目を通すことは難しいといわれる。こうした中、これまでの縄文集落研究では、どのような分析方法によって、何が明らかにされてきたか。縄文集落を明らかにするには、どういう分析が必要だろうか。分析から解釈への過程を再検討するとともに、現場調査での記録化、報告書のあり方を再考し、集落分析に耐える報告とは何か、考えてみたい。

日時:2006年12月10日
場所:帝京大学山梨文化財研究所
主催:山梨県考古学協会

縄文研究に乗り込んでの初めての発表である。

以下は、討論の場に臨むにあたって、宿舎の温泉に浸かりながら考えた内容である。

考えてみれば、というより考えてみなくても、「時間」というのは、考古学という学問の常に変わらぬ中心的テーマである。言い換えれば、「時間」を考慮することなしに考古学は成立しえない、考古学研究者である私たちの殆ど全ての活動が、「時間」を巡るものである。型式論も層位論も。
しかし、正面から「時間とはどのようなものなのか」「時間をどのように計るのか」「同じ時間(同時)と異なる時間(異時)をどのようにして判断するのか」といった議論すなわち「時間論」が正面から取り上げられることはなかった。
かつて菊池徹夫氏が1971年に「考古学における<時>の区分について」『史観』第84号と題した文章を発表したが、私の問題領域には殆ど重ならなかった。
しかし、近年そうした問題が浮上せざるを得ない研究領域がある。
すなわち、縄紋集落研究である。
例えば、谷口康浩氏は、「集落研究の方法論的問題」として「集落研究における「時間」の問題」を取り上げた(谷口2005:14)。そして集落景観を復元するにあたっても、常に同時存在住居、各遺構間の相対的な時間関係の把握が最重要課題となっている。
土器型式論や層位論、各遺構論と共に、時間論を位置づけなければならない。それも、縄紋時代という枠組みの中に、土器型式論や遺構論や墓制論や生業論や集落論などと並列に時間論を位置づけるのではなしに、○○時代といった時間軸に制約されない、資料論として、ものを語る型式論、場のあり方を語る層位論・遺構論、場とものを論じる接合論などと共に時間論が位置づけられなければならない。
まず縄文時代があって、様々な議論があるのではなく、様々な議論の一部として縄文時代を位置づけること。
例えば、塚田-芹沢論争の10年前に塚田-栗原論争というのがあった。ほぼ完璧な塚田1971において、一点だけどう考えても瑕疵としか思えない箇所があった。
「一括遺物から最も新しい遺物を摘出し、この層の形成は摘出した遺物の時代かそれ以前であると考えるのが常道である。」(塚田1969「下総考古学研究会のあゆみ」『考古学研究』第16巻第2号:18)
今回の発表は、そうした基礎的な時間認識から総体的な時間論を構築するための第一歩として、遺構論から製作と廃棄の同時・異時、包む-包まれる関係としての鈴木・林テーゼの提唱、重複痕跡を読み解くために原則としての<TPQ>と<TAQ>、プラスのパリンプセスト(加重複)とマイナスのパリンプセスト(減重複)を論じた。
今後は、更に今回は省略に従ったもう一つの柱である接合論を組み込みつつ、「時間を結晶させるプロセス」(ギャンブル2004:199)を明らかにしていきたい。


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