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塚田(光)1980 [論文時評]

塚田 光1980「山内清男著『日本先史土器の縄紋』の新刊紹介(芹沢長介)を読んで」『考古学雑誌』第66巻 第3号:95-104.(塚田1982『縄文時代の基礎研究』:187-197.)

山内清男1979『日本先史土器の縄紋』先史考古学会
芹沢長介1980「山内清男著『日本先史土器の縄紋』」『考古学雑誌』第66巻第1号
そして、塚田1980である。
その精度といい、舌鋒の鋭さといい、「ピカイチ」と称せられる論評である。
時に、塚田氏46歳、急遽される直前の仕事である。
対するに芹沢氏61歳、現職の東北大学教授であった。
批判精神とは、まさにかようにして示されるものであるということを、読み返すたびに教えられる。

「山内博士の縄紋原体の研究に対して、ニコルソンの報告は比較して勝るとも劣らない研究の実体があるという前提での発言であろう。「先取権」とはどういうことなのか、少なくとも相互に研究の実績がなければ、こういう指摘は無意味なことである。
芹沢氏のような著名な学者に対して、ニコルソン報告をよく読んでこういうことを書いているのかといっては大変失敬なことであるが、上述した2つの文章をこまかく検討すると、原典に当っていないのではないかという疑問が幾つも出てくる。」(96)

芹沢1980において、ニコルソン報告(Nicholson1929)が山内1932よりも早く、先取権が問題になる、と示唆した点に対する反論である。山内清子氏から提供された草稿、ニコルソン報告自体の検討、ニコルソン報告が書かれた当時のナイジェリア国情の背景を踏まえた位置づけがなされている。

「ここで改めて芹沢氏にお願いしたい。ニコルソンとは、どの分野の学者なのか、彼の生涯の研究業績にはどういうものがあったのか。さらにそれらの研究をあとずけてみた上で、ソコトの報告はどういう意味があったのか。この報告の全訳を明示した上で、学術研究上「先取権」を問題にする基本がどこにあるのかを具体的に説明願いたい。」(101)

しかし、その後、芹沢氏から「具体的」な説明がなされることはなかった。
芹沢氏自身が言明し、塚田氏も芹沢氏に期待した、『日本先史土器の縄紋』を「英語に翻訳して出版し、ひろく欧米の考古学者に読ませるようにする」という「当然の責任」も、果たされることはなかった。
「塚田-芹沢論争」は、決して終息などしていない。
両氏がこの世を旅立たれた今、残された私たちに課題が積み残されている。

塚田氏が亡くなられた年に大学に入学した私は、当然お会いする機会はなかった。しかし残された文章を読むと、非常に親近感を覚えるのは、何故だろう。今、塚田氏が生きておられたら、絶対、ブログなどから日本考古学に対して厳しいそして積極的な発言をされていたことだろうと夢想してしまう。

私も、塚田氏が亡くなられた年齢に近づいた。

最後に、山内氏33歳の言を、自戒を込めて引用しておこう。
「八幡氏の所論もこの方面における一投石と見られないでもない。しかし氏の独断、用語に関する不用意、奔放なる想像は甚だ奇怪であると云う印象を与えるにすぎない。好古青年の夢との距離は僅少であらう。方今社会、権力等厳つい言葉と合せて、泰西文士の口調を模倣し、徒に標語を作成し、自己陶酔的作品を発表する徒輩があるが、八幡氏の如き責任あるべき学者が、一脈相似た傾向を示されるのは甚だ心外である。同時にこの所論の発展又は廃棄に当っては公明なる手段によって発表されることを期待する。」
(山内清男1935「八幡一郎 北佐久郡の考古学的調査」『人類学雑誌』第50巻 第2号:76)


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福田敏一

五十嵐さんの言う「批判精神」に強い違和感をいだき、また次の点に関してだけはヘラヘラ笑って済ますことができないので、一言述べます。
東京都埋蔵文化財センターにおける約10数年にわたる臨時職員解雇反対闘争(現在も継続中)を闘ってきた私達の組合(正職5名・臨職50名)に対して、一貫してセンター当局と一体となって差別・敵対的行為を繰り返してきた五十嵐さんも属する御用組合(正職50名?、正規職員しかは入れない差別的で、かつ組合員に課長・課長補佐までいる組合は、私の理解では御用組合以外の何者でもないので、こう呼びます。決してレッテル張りではありません)の行動を鑑みるとき、五十嵐さんの言う「批判精神」が如何なるものであるのか、非常に疑問です。
ここ10数年のあいだ、貴組合は、私達の度重なる共同行動・討論の場の設定の要請にもかかわらず、共闘を拒否(静観?)し、センター当局の労務政策に追従、現状追認の事なかれ主義を貫いてきました。私達の数回に及ぶ無期限ストにも、センター当局といっしょになって、スト破り、ピケットライン突破策動、誹謗中傷という破廉恥な行為を繰り返してきました。
まともな組織なら,当然のことながら内部討論もしくは内部批判が行なわれ、何らかの形で共闘という形がとれたことと拝察いたします(解雇容認なら話は別ですが)。また、五十嵐さんが貴組合の内部で、どうような問題提起をされたのか否か、あるいは内部批判をされたのかどうかは知りませんが(もし、していたのなら指摘して下さい。謝罪いたします。)、「批判精神」とは、けっして学問上のあれやこれやではなく、基本的には自分の存在拠点における日々日常における精神のありようだと愚考いたします。
「批判精神」に関して、五十嵐さんが賞賛する言葉や文字や論理上の「精度」や「舌鋒の鋭さ」は、それはそれで重要な要素ではありますが、やはり二義的なものに過ぎず、そもそも、私も尊敬する塚田さんの凄さの根本には、何の考古学上の職業組織にも属さず、おのれ一匹の度量と力量で権威に立ち向かっていった反骨精神があったのではないか、と思います。
臨職の人たちはすべて解雇されてしまいましたが(この点に関しては私個人も自己批判すべき点が多々あります)、今からでも遅くありません。センター当局の今後の施策にかんして、ともに「批判精神」をもって積極的に対峙してゆきましょう。おのれの足場に対する「批判精神」は、決して考古学の論文と無縁なものではないはずです。
by 福田敏一 (2006-12-11 11:21) 

五十嵐彰

人生の生き方に関するご教示、受けとめさせて頂きます。
by 五十嵐彰 (2006-12-11 21:21) 

カラス天狗

我が身に置きかえて、ただ、今、いろいろと考えます。
決定的なことにならないこと・・・「批判的」であることが、対話する回路を閉ざすことにならないことを希望します。
by カラス天狗 (2006-12-11 21:41) 

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