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考闘委1971『全国通信』第3号 [全方位書評]

全国考古学闘争委員会連合1971『全国通信』第3号、関東考古学学生連絡協議会編集局

「5・15関考協(関東考古学連絡協議会)討論集会報告」(5・15討論集会実行委員会):1-4.

「5・15関考協討論集会は、5月3~4~5日にわたって展開された日本考古学協会解体闘争の地平をふまえて現在的な闘争を展望すべく設定されたものである。討論は文化財問題を含めた協会解体闘争の再度の位置付の確認から開始された。
その発足時より権力に保証された半封建的機構として無媒介的に存立していた日本考古学協会は、69年10月25日協会闘争・文化財破壊等を契機、媒介とし『研究者意識』を唯一その基盤においたブルジョワ利害関係から少数ボス支配=中央集権の解体、研究者の地域的分散化といった一定程度の流動化をみせている。
それは、日共=文全協一派を頂点とする部分による「社会的責任の遂行」といった欺瞞的近代化路線(改革原案の提出-採択)の推進であり一方、右翼反動による積年の「発掘公団構想」の実体化である。その内実は、日共=文全協の文化財保存運動を票田化という日共集約に向けた国民運動路線の一環として位置付け、純学問的研究を保証する考古学界のヘゲモニー掌握とを二重写しにした所の日共文化運動のブルジョワ改良主義の一環としてある飛鳥保存・風土記の丘構想・国立民族歴史博物館構想のまえに運動実体として包括されてしまっている。右翼反動の権力との同化はいうまでもない。しかしこの中にあって動揺をみせている地方研究者・研究団体の動きを見落とすことはできない。

我々はこのような考古学・文化財をとりまく状況にあって、まさに階級的視点をもったところの反権力闘争として個別考古学という一領域において、民族全体主義的イデオロギー再編を粉砕すべく、それを間接・直接を問わず、補完的質しかもたぬ日共=文全協・右翼反動-協会総体に対して大衆的な地平での闘争宣言と展開を5月3~4~5日に貫徹したのである。さて5月協会解体闘争の地平を我々闘争主体個々は充分に深化認識する中から、現在抱えているところの問題、すなわち日共=文全協とのイデオロギー闘争、協会解体、それらの基盤である地域に於ける実質的解体と地方研究者との連帯、民族全体主義的イデオロギー再編の状況に於ける対権力との直接的対決等々を内実的に実践的に保証する闘争の展開に関する問題に入っていった。
関考協再編として関考協個別組織の構成に関する問題が一面あるが、それを保証する実践としてこの頃語られる「地域への志向」を焦点に討論は進められた。その中で(1)評議会運動 (2)科学運動論が提起された。(1)は既に4・22~24に提起されている如く、権力問題としての普遍的質をもった文化財を媒介に地域に於ける住民・労働者との連帯をはかっていくもので戦略的な意味をもっている。(2)は地域という戦略的位置付けは具体的に展開されていないものの、民科の焼き直しである文全協運動を根底的に包括する闘争原点の構築と闘争基盤の普遍化を目指した科学論を中心にすえた運動体の実体化であろうと思われるが現実的に、我々闘争主体の自己拡大という面では具体化されうるが戦略的意味を含んだところの運動体としては明確化しえない。それが、飛鳥現地闘争・成田ニュータウン(千葉県総合開発)文化財闘争を媒介に展開されたが、それらを批判的にふまえる中からの原則面としては、支援闘争・啓蒙活動ではなく、共に闘う姿勢であり、それを保証するのは我々の日常的基盤での闘争であることである。更に、現実的〇〇(読み取り困難)での学生という限定、個別考古学領域を突破した地平にあるというのは、我々が矛盾の集中した現象の頂点を対象とした闘争で、その本質を先取りし得たからにほかならず、それ故に現在、我々に要請されているのは、敵対物の微々細々な部分にまで食い込みうる実質的闘争の展開である。そこで地域への志向性は一定程度語られているが、しかし我々が民族全体主義的イデオロギー再編に対する権力との直接的対決する時点での反権力という普遍的レベルの闘争を、考古学・文化財領域で展開する際、個別闘争の位置付けは問題として残るであろう。但し、対研究室闘争を含んだ大学解体闘争の徹底的貫徹が我々の基本的原則として忘れられてはならないのである。そしてそれは協会解体闘争のスローガンに貫徹されている再度の個別闘争の徹底化をふまえつつも学内に於ける広範な共闘、運動体をかちとっていくと共に、考古学闘争として、1)卒業生の組織化 2)地方研究者・研究団体との接触並びに連帯 3)地区闘争の構築 4)我々自身が核となる媒介物を創出する(Etc.自主発掘構想)。1)、2)は対文全協・対協会の考古学・文化財を共通項とした我々の闘争の浸透であり大衆運動の展開の一つである。3)は評議会運動と重複するが考古学・文化財に直接的に関わっている人間に限らず、総体的基盤をかちとっていくものである。つまり反権力の普遍性をもって現在的には学園闘争自体を地区的に再編し、地域闘争の核と位置付けるものである。一方我々自身の流動化による将来的な闘争を保証するものとしても位置付けられる。4)は今回の討論には提出されなかったが、同様の地平での提起であることから一応、明記しておく。
再度、問題点を整理してみよう。
大衆運動としての地域への志向の背景は、権力問題の普遍性をトータルな面として、民族全体主義的イデオロギー再編・対協会・対日共=文全協を把握し、闘争を展開せんとするものであり、又、その意味に於いて、我々の独自の運動体の構築を貫徹するのである。それ故に、具体的・実質的闘争の展開にあたって「地域への志向」の必然性が、現段階で提起されているのである。その大衆運動の問題点は、従って我々の到達した「反権力の普遍的地平での広範な闘争の即時的全面展開として我々の闘争を位置付けてしまうのか」、「その地平をふまえつつ具体的な媒介なり基盤としてあるところの考古学領域で再度の個別闘争を徹底化するのか」というその辺の問題になってくると考えている。
この問題は、考古学・文化財闘争という個別闘争の原則に関わる重要な意味を含んでいる。それ故に我々は充分な内容展開をもって問題を処理・解決していくべきであろう。討論は未だ充分でないにしろ一定程度、問題点を抽出・確認しつつ、討論集会を終えた。
最後に、今後の闘争を活発化かつ永続化するための関考協事務体制=任務分担の確立する問題が提起され、次の如き原案が提出された。
関考協は個別闘争主体によって構成され、事務的集約機関として各大学組織は支部形態をとる。
事務局ー支部の代表者で構成され、支部間の連絡体制、事務上の企画等々を担当。
編集局ー「全国通信」の編集・発行を中心に情宣活動を行なう。なお「全国通信」は全国考闘委連合の理論機関紙として昇華していく。
救対局ー一連の救対活動と救対ニュースの発行(10・25裁判闘争etc)
会計局ー財政全般
関考協は上記の形態で運営していくことを確認した。」

『全国通信』は、『プロレタリア考古』(第1号:1973-6/1~第19・20合併号:1975-9/1)の前身である。第1号はいつで、終刊がいつなのか詳細不明である。考闘委では、闘争対象として日本考古学協会と文化財保存全国協議会という二正面作戦であったことがよく分かる文章である。遅れてきた者としては、もう少し何とかならなかったのかという思いも否めないのだが、これまた詮無い話しである。今の若い人たちにとっては、「発掘公団」だの「救対」など詳細な註を付さないと訳が分からないだろう。48年前の「歴史的文書」である。

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考闘委の学生たちは、その後どのような人生を歩んだのでしょうか?
by お名前(必須) (2019-05-11 12:29) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

私もそうした事柄について知りたいのですが、なかなか情報が開示されていません。この記事で紹介したガリ刷りの資料も、今年退職された方から譲っていただいたもので、未だ全貌は明らかでありません。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2019-05-13 20:06) 

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