SSブログ

今こそ問う 朝鮮文化財の返還問題 [研究集会]

今こそ問う 朝鮮文化財の返還問題 -『南永昌遺稿集 奪われた朝鮮文化財、なぜ日本に』出版記念講演会-

日時:2021年 6月26日(土)14:00~16:30
場所:朝鮮大学校 記念館 4階講堂(東京都 小平市 小川町 1-700)
主催:朝鮮大学校 朝鮮問題研究センター(KUCKS)

講演1:朝鮮社会科学院・考古学研究所との古代遺跡共同発掘事業に参加して -最近の高句麗古墳発掘の成果をふまえて-(河 創国)
講演2:文化財返還問題について(五十嵐 彰)

会場参加は限定25名、オンライン参加はおよそ100名とのこと。
雑誌社による参加報告あり。
以下は、私の配布資料。

1. 楽浪古墳(王盱墓)⇒東京大学文学部(遺稿集:136-147. 252-256.)
  1925:石巌里205号墳(王盱墓)発掘
  1926:東京帝国大学 史学会 第27回大会 楽浪郡王盱墓発掘品展覧会
  1930:考古誌『楽浪』刊行
2.小倉コレクション ⇒東京国立博物館(遺稿集:228-233.)
  1941:日本考古学会 第46回総会 小倉武之助所蔵品展覧会
  1981:東京国立博物館に一括寄贈
3.八紘之基柱(あめつちのもとはしら)⇒宮崎県
  1940:紀元二千六百年記念事業として建設
  1946:「八紘一宇」文字板・武人像撤去
  1964:「八紘一宇」文字板・武人像設置
4.返還原理 あるべき<もの>をあるべき<場>へ
5.第1原則:現地主義 あるべき<場>とは 現地性とは
6.第2原則:時効不成立 不法と不当の違い 道徳上の罪
7.第3原則:無償返還 オークションに出品された盗品
8.メッセージの変容 コルストン像 福島県双葉町
9.ひと=もの=場の三角形 所有権 戦利品 
  メッセージの変容に即した<もの>の扱いを!

2年前の10連休に訪れた「祖国統一三大憲章記念碑」のスライドからスタートした。
ピョンヤン近郊の楽浪古墳群を見学する際に通りがかった壮大なアーチ状の記念碑だが、なぜか正面からの撮影が拒まれたというほんのささいな、しかし後から考えると色々な思いが湧き上がってくる経験であった。

1925年に東京帝国大学文学部が発掘した石巌里205号墳(王盱墓)の調査最終盤である11月25日に発掘責任者であった黒板 勝美が「私たちは骨董的な趣味で発掘したのではなく、研究のために発掘したので報告書が刊行されて平壌に博物館が出来れば、出土品はいつでもお返しします」と述べていたが、1930年に報告書が刊行されて平壌に博物館が出来たにも関わらず、いまだに出土品が「お返し」されないのは、自分たちが「骨董的な趣味で発掘した」ということを証明しているのではないか?

第1原則:現地主義
出土遺物の所有権は、調査者や調査組織ではなく、現地の人たちが有している。
現在の所有者は、単なる借用者に過ぎない。

第2原則:時効不成立
不法ではない、すなわち合法であっても不当であるということがある。
時間の経過に従って法律上は時効が成立したとしても、道徳上はむしろ逆にその罪は増し加わる。

第3原則:無償返還
返さなくてはならない<もの>に対価を求めるのは、その不当性を不問に付すことになる。
時効という考え方と共に戦利品という考え方についても考え直さなければならない。

「こんなものを持っている」という誇りや驕りに対して、「すごいねー」とただただ感嘆するのではなく、「ひどいねー」と私たちが近代という植民地的な差別と抑圧の時代を経てきたことを反省する契機となすように世界は変わりつつある。
不当に得た利益は必ずや償われなければならないし、不当に被った被害は必ずや贖われなければならないからである。

文化財返還とは、実は「問題」というよりフェミニズムやブラック・ライヴズ・マターとも通底する私たち一人ひとりが解放されることを目的とした「運動」ではないのか。

「北の民衆が閉鎖社会から解放されないかぎり、在日朝鮮人も解放されない。北の民衆が閉鎖社会にとじこめられているかぎり、在日朝鮮人も、サハリンの朝鮮人も、中国の朝鮮人も、中央アジアの朝鮮人も、そして南の朝鮮人も、やはりとじこめられているのだ。だが、これまで、わたしは、北の民衆の苦悩を感じとる想像力をうしなってはいなかったか。そのことによって、わたしは、自分自身がとじこめられていることを忘れて日々を生きてはいなかったか。北の民衆の日々の生活を思い感じとることができず、場所的にだけでなく、精神的にも北の民衆とはなれたところで生活してきたわたしの日常のあり方が、かくも長いあいだの閉鎖、そして分断を許してきたのではないか。(中略)
20世紀の前半期に、日本の炭鉱、ダム、街……で殺された朝鮮人の多くは、いまは、その名前も遺骨もうしなわれている。もはや故郷に帰りつくことのないそれら数知れない同胞の遺志にかなう統一を。
そのような質の朝鮮統一は、侵略によって経済成長してきた帝国主義日本の基礎構造(天皇制・資本制)をゆるがす。」(キㇺ チョンミ(金 靜美)1996『故郷の世界史 -解放のインターナショナリズムへ-』現代企画室:312-313. 初出1990「閉鎖社会からの解放、そして南北統一」『民濤』第10号)

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。