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五十嵐2019c「旧石器研究における接合の方法論的意義 -「砂川モデル」の教訓-」 [拙文自評]

五十嵐 2019c 「旧石器研究における接合の方法論的意義 -「砂川モデル」の教訓-」『日本旧石器学会 第17回研究発表 シンポジウム予稿集 旧石器研究の理論と方法論の新展開』:62-65.

シンポジウム当日、会場に着席して渡された予稿集を開いてまず驚いたのは、事前に校正指示を出しておいた箇所が全く反映されておらず、初校状態のままであったことである。
故に、この場にて以下の訂正をお願いすることとなる。
 62頁・左段・下から12行目:…として提示いるのならば… → …として提示されているのならば…
 63頁・左段・上から7行目:(剥片・加工石器」 → (剥片・加工石器
そのほかにも何箇所か指示していたのだが、レトリカルな部分なので、省略する。
しかし、こちらとしては編集担当者の指示に従って校正を提出した時点で、当然修正されているものと信じ込んでいるのだから、そして再校がないのならば、なおさら編集担当者は修正箇所について最低限確認する責務があるのではないか? 閑話休題

「日本で旧石器を研究する場合、方法論に関心がある人にとって「砂川」という言葉には特別な意味がある。だから「砂川」と直接関わる「個体別資料分析法」あるいは「砂川3類型区分」に根本的な欠陥があるとしたら、事は重大である。」(62.)

 1.はじめに
 2.石器製作工程は、常に前半と後半に区分されるのか?
 3.一つの原石から産み出される石核は、常に一つなのか?
 4.「砂川モデル」では、石器製作の実態を説明できないのではないか?
 5.石核を残滓として、石核があれば製作行為の痕跡と言えるのか?
 6.石器製作の工程連鎖は、製作廃棄の連鎖だけなのか?
 7.石器資料の製作と搬入を区別するには、どうしたらいいのか?

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五十嵐2019b「考古学における解釈のあり方について」 [拙文自評]

五十嵐 2019b 「考古学における解釈のあり方について -緑川東を読み解くために-」『考古学ジャーナル』第728号、特集 縄文人の心性と世界観:5-8.

初『ジャーナル』である。編集部にお願いして、何とか恥かしい写真の掲載だけは回避させてもらった。
名前のローマ字表記については、文科省の通達を添えて編集部に変更を依頼したのだが、受け入れてもらえなかった。早急な検討を望む。

「今回は緑川東の大形石棒を事例として、その解釈のあり方について時間論・部材論・ジェンダー論という3つの観点から確認する。」(5.)

2016年から引きずっている「緑川東問題」に関する2019年時点での総括である。
以前より緑川東問題について構想していた時間論・部材論・ジェンダー論を示したベン図を提示することができただけで満足である。

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五十嵐2019a「旧石器接合個体2例」 [拙文自評]

五十嵐 2019a 「旧石器接合個体2例 -練馬区比丘尼橋遺跡C地点-」『研究論集』第33号、東京都埋蔵文化財センター:83-90.

現在整理作業中の練馬区比丘尼橋遺跡C地点の接合個体の一部を紹介した7頁ほどの「資料紹介」である。
2019年3月の時点で365個体の接合資料が得られているが、その中から注目すべき2例を紹介した。

1つ目は、Ⅳ層から出土した斧形石器に関連する接合個体である。斧形石器と言えば、前半期(Ⅹ層からⅨ層、せいぜいⅦ層)と相場が決まっているのに、これは後半期のⅣ層、それも平坦な裏面に接合する小形調整剥片が3枚、更に表面に残る礫面を除去しようと企図した裏面からの剥離によって意図しない末端肥厚剥片(ウートラパッセ)が生じて、器体の大半を損壊し破棄されたという「レア」ものである。
「アチャー」という旧石器人の悲嘆が、ビシビシと伝わってくる資料である。
実は本稿の挿図のために苦労して接合状態の実測図を仕上げた後に、表面に更に1枚調整剥片が接合することが判明したが、既に間に合わず。
「つきました!!」と嬉しそうに報告してくれる作業員の方に対して、実測・トレースをやり直さなければという思いが頭を駆け巡りつつ、「よかった!!」と心中とは相反する笑みを浮かべつつ応対する複雑な心境。

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タグ:接合 旧石器
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2018c「鉛筆で紙に線を引く -考古学的痕跡-」 [拙文自評]

2018c「鉛筆で紙に線を引く -考古学的痕跡-」『現代思想』第46巻 第13号(2018年9月号 特集=考古学の思想)青土社:101-113.

遥かな過去を掘り起こし、まだ見ぬ未来を創造する。
考古学はその発見のたびごとに人類史を書き換え、私たちの人間や社会をめぐる常識を揺さぶり続けてきた。
本特集では、考古学の最前線から、現代思想やイメージ論への拡張的な側面まで、その尽きせぬ魅力を掘り起こしていく。(出版社宣伝文より)

書店発売は、8月27日予定とのこと。

デリダの灰に始まり、インゴルドの線を経由して、ショーバン先生のことばに終わる。
思想・哲学をメイン・フィールドとする完全アウェイの試合で、持てるもの全てを出し尽くす。
さて、その採点結果は?

一言で言えば「縦横無尽」。英語で言えば'boundlessly'か。
大胆なサイドチェンジ、オープンスペースへのロング・フィード、2列目・3列目からの駆け上がり、ヒールとスルーを交えた多彩なワンツー、流動的な全員攻撃そして全員守備、これぞ「リビング・フットボール」。

途中から様々なブロッブ(blob)が結びつきながら、思いもよらない化学反応を示し始めた。
あるいはバラバラだったピースが然るべき場所に納まっていく、とでも言おうか。
第2考古学の目標である、本質的で根源的な事柄に少しでも接近すること。
果たして?
確かに言えることは、一つ。
ここに一つの痕跡を記した、ということ。
後年、何処かの、誰かが、その痕跡を確かめてくれるだろう。

振り返れば(後知恵的な気もするが)、以前にも引用した以下の文章に導かれて、という気がする。

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タグ:痕跡
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2018b「考古累重論」 [拙文自評]

2018-5-26「考古累重論 -<場>と<もの>の相互関係-」『日本考古学協会第84回総会 研究発表要旨』:50・51.

「考古学における層位論に関連する文章では、「下層が古く堆積し、上層は新しく堆積した」という地質学の「地層累重の法則」に言及して「下層の遺物は古く、上層の遺物は新しい」と述べられることがある。しかし前者の法則から本当に後者のような論述を導くことができるだろうか? そこには「日本考古学」独特の論理の飛躍あるいは逸脱があるように思われる。考古資料を、<場>と<もの>の相互関係として捉えてみたい。」(50.)

ということで、まず型式論における「一括遺物」を「単層の場合」と位置付けて「面と点の関係」を確認し、次に層位論における「累重関係」を「重層の場合」として「<場>と<もの>の関係」から、両者を統一的な視点から認識した場合に、現在の「日本考古学」の言説状況をどのように評価できるかについて考えた。

昨年本ブログにおいて提出した夏休みの宿題【2017-07-22】とその暫定的な回答【2017-07-29】について、もう少し考えを深めた結果である。

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2018a「「生ける歴史」とは何か -渤海国半拉城址発掘を中心に-」 [拙文自評]

2018-5-1「「生ける歴史」とは何か -渤海国半拉城址発掘を中心に-」『韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議年報』第7号:8-10.

「「死せる歴史」ではない「生ける歴史」として過ぎ去った時代をどのように評価するのか、私たちの植民地支配に対する歴史的な責任が深く問われている。」(9.)

最近記した3本のブログ記事を元に、昨年亡くなられた先学に対する拙い献呈文とした。

偶然出会った対談記録、そこでは当時の満洲国の文化財担当者によって、関東軍が遺跡の発掘調査を秘密裡に強行したことが回顧されていた【2018-02-17】。回顧者は自らを「不逞な思想を持っていた」、「当時の軍は始末に負えなかった」と述べていた。早速本人の当時の著書を取り寄せたところ、そこには「軍によって文化財が保護されて時局に翼賛した」とか「満洲国の建国は歴史の必然である」といった、対談で述べられていたことと全く異なることが記されていた。

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五十嵐2017c「接合空間論」 [拙文自評]

五十嵐 2017c 「接合空間論 -<場>と<もの>の認識-」『理論考古学の実践』Ⅰ 理論編、安斎 正人 編、同成社:137-164.

「本稿では、接合という考古学的な空間事象が示す意味について考える。まず多様な接合様態について、水平方向の離散関係と垂直方向の重複関係に区分して、その全体像を確認する。次に石器および礫資料の実際の接合分布状況について、10m以上の長距離接合事例を中心に概観する。その際には特に「離散単独」という分布形態に着目する。さまざまな接合分布形態の内実を明らかにするために、異なる<場>から出土した2枚の剥片という最も単純な仮想例に製作と移動という基本モデルを組み合わせて実際の接合資料を説明する手立てとする。異なる場所から出土した資料が接合することによってもたらされる<場>と<もの>の相互関係が紡ぎだす豊かな語りについて考える。」(139.)

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「返還考古学」という新しい枠組みへ [拙文自評]

五十嵐2017b「「返還考古学」という新しい枠組みへ -第8回世界考古学会議で考えたこと-」『韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議年報2017』第6号:9-13.

本稿は、2016828日から92日にかけて京都・同志社大学今出川キャンパスで開催された第8回世界考古学会議(WAC8)において文化財返還問題がどのように論じられたのかについて述べるものである。2016831日から921日にかけて発表した拙ブログの各記事(第2考古学)20161010日発行の『東京の遺跡』第106号(東京考古談話会)所収の「WAC-8が浮かび上がらせた世界の中の「日本考古学」」(106-34)と題する短文、2017128日に北海道大学アイヌ・先住民研究センターで開催された先住民考古学ワーキンググループ2016年度第1回ワークショップにおいて「返還問題から見る先住民考古学の位相 -返還考古学という視座-」と題して行なった口頭発表を基にしている。」(9.)

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WAC-8が浮かび上がらせた世界の中の「日本考古学」 [拙文自評]

五十嵐 2016e 「WAC-8が浮かび上がらせた世界の中の「日本考古学」」『東京の遺跡』第106号、3-4.

「また研究発表のあり方についても、強い印象を受けた。もちろん各研究者の発表を聞くのが主眼なのだが、イメージとして発表はあくまでも議論の材料に過ぎず、より重視されているのは発表後の発表者と聞き手の間でなされる議論のように思われた。あらかじめコメントを述べる人が決められており、当たり障りのない質問がなされて無事?に終了するのが一般的な「日本考古学」との大きな違いである。」(4.)

こうした議論に参入するには、英語力はもとより、研究というものに対する心構え、研究姿勢というものから鍛え直さなければならないだろう。
トレーニングとしてのディベートというスキルが決定的に欠けているお国柄で教育を受けた者は、自らが意識的に身に付けていかなければならない。

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タグ:WAC
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五十嵐2016c「緑川東問題」 [拙文自評]

五十嵐 2016c 「緑川東問題 -考古学的解釈の妥当性について-」『東京考古』第34号、東京考古談話会:1-17.

「2012年6月30日、多摩川中流域左岸からおよそ500mの青柳段丘面に位置する緑川東遺跡第27地点の「敷石遺構SV1」と名付けられた遺構の中央部から、4本の大形石棒が並んだ状態で確認された。
この発見は「これまでの石棒研究の「常識」を覆す」(清水2013d:101.)と評されたが、私もこうした事例は単に石棒研究に限られない「前代未聞」「百年に一度の大発見」と考える。だからこそ緑川東遺跡の4本の大形石棒をどのように評価し、その意味についてどのように解釈するのかという点について、様々な立場から多様な議論がなされることを望んでいる。本論は、そうした問題提起を目的とする一つの試論である。」(1.)

これからは、「6月30日」を「石棒の日」として提唱したいくらいである。
『東京考古』に投稿したのは、17年前の「旧石器資料報告の現状」(五十嵐1999『東京考古』第17号)以来である。
事ここに至るには、それなりの経緯があった。

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