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五十嵐2022a「多摩ニュータウンNo.234遺跡」 [拙文自評]

五十嵐 2022a「多摩ニュータウンNo.234遺跡」『たまのよこやま』第128号:6.

所内報(東京都埋蔵文化財センター報)の連載記事「1/964」に「何か書いて下さい」と頼まれて記した短文である。
連載の趣旨が、表題の下に記されている。

「多摩ニュータウン地域では、964ヶ所もの遺跡が確認されています。その中から調査担当者の記憶に深く残る遺跡について、リレー方式で振り返っていきます。」

ということで私が選択したのは1994年に調査した「No.234」という小さな「遺跡」である。
今回の私の担当で、リレーしてきて51番目になる「長寿番組」である。
シリーズの副題には、「多摩ニュータウンの発掘調査を振り返る」と記されている。
今まで記されてきた50回にわたる文章は、おそらくそれぞれの担当者が記憶に残る「遺跡」を一つの単位として、選択した「遺跡」の内容を記したものである。
しかし私の文章はそうした個別の「遺跡」の内容もさることながら、数字が与えられた「遺跡」の存立根拠そのものを問う内容となった。いや、そうならざるを得なかった。
長い間お世話になった組織に対する私なりの現役最後の「恩返し」である。

「…まずNo.234遺跡とNo.237・962遺跡あるいはNo.234遺跡の南東方向に広がるNo.235遺跡が区切れるのか、すなわち別の「遺跡」なのか、それとも一体とすべき同じ「遺跡」なのかといった問題を解決しなければなりません。そしてそのためにはそれぞれの時代あるいは時期のセトルメント・パターンとして操作可能とするために、各時代・時期ごとの分布状況を比較する必要があります。なぜなら、現在の「遺跡地図」は複数の異なる時代・時期の痕跡(遺構・遺物)を重ね合わせて表示された包蔵地「区分図」であるためです。すると問題は、「遺跡」を区切るとはいったいどのようなことなのか、果たして「遺跡」を数えることができるのかといった疑問にまでつながってきます。この文章のシリーズ・タイトルである「964」の意味にまで遡及する根源的な問題(遺跡問題)です。」(6.)

リレー方式で語り継がれてきたシリーズのタイトルに「いちゃもん」をつける前代未聞の文章である。
しかし相手もさるもの、そうした挑戦に答えるかのように選ばれた本号の表紙には「黄色いピンはすべて遺跡。多摩丘陵と人との関わりを見てみよう」というキャッチ・フレーズが記され、多摩丘陵のジオラマに「964」箇所の「遺跡」位置が「黄色いピン」で表現されたアップ写真である。

「黄色いピンはすべて遺跡」? 本当にそうなのか?
これはA4版で僅か8頁の広報誌で繰り広げられている人知れぬ「暗闘」である。

今回の文章は、以下に示すようにここ20年に渡る知的格闘の末に記されたものである。

【2004年】
「まずは、考古学的「遺跡」(学問としての「遺跡」概念)と埋文行政的「遺跡」(行政システムとしての「遺跡」概念)を区別していく必要があろう。すなわち前者については考古学の研究対象としての「遺跡」という用語を、そして後者については埋蔵文化財行政の保護対象としての「埋蔵文化財包蔵地」という用語を当て、両者を明確に使い分けていくことである。(中略)
本来、考古学的「遺跡」概念は、リゾーム状の広がりを有する複数の平面群が幾重にも重複した構成体として認識されるものである。それに対して行政的「埋蔵文化財包蔵地」概念は、そうした重複するリゾーム状の特異点(結節点)から目立つ部分を便宜的に切り取った区分単位と言えよう。」(五十嵐2004「近現代考古学認識論 -遺跡概念と他者表象-」『時空をこえた対話』:341.

【2005年】
「重要なのは<遺跡>それ自体の在り様を究明すること以上に、<遺跡>と呼ばれることになった考古資料の存在状態を巡る考古学という学問世界あるいは埋蔵文化財という行政的対応の在り方を問うことである。(中略)
どのような「もの」が、どのような「場」に、どのように存在しているか、それをわたしたちがどのように認識し、誰に対して、何のために、どのように表現していくのか。(中略)
<遺跡>とは、現代社会における様々な葛藤の中から必要に応じて生産され用いられている「記号」である、という認識が必要である。」(五十嵐2005「遺跡地図論」『史紋』第3号:104.)

【2007年】
「ある開発地域内における時代別の<遺跡>数が、示される場合がある(例えば舘野2006など)。そこで示される各時代別の<遺跡>数は、ある便宜的な空間範囲内に分布する「離散的重複遺跡」において検出された時代ごとの痕跡数を数え上げたに過ぎない。(中略)
同一場における「平面としての遺跡」の重複については「複合遺跡」として認識されているにもかかわらず、「円筒モデル」に基づく「離散的重複遺跡」では、それらを構成する「平面としての遺跡」が部分的にではあれ重複する状況(重なり合いにせよ切り合いにせよ(五十嵐2006b))は、あらかじめ可能性として排除されているのが特徴である。」(五十嵐2007「<遺跡>問題 -近現代考古学が浮かび上がらせるもの-」『近世・近現代考古学入門』:247.)
「原理的に<遺跡>範囲を決定することは、困難である。困難なものをあたかも可能であるかのように思い込みかつ語り続けている錯視、無意識のうちに語る自らの欲望について、注視していかなければならない。現在の日本社会で流通している<遺跡>概念は、本来存在しているものをあるがままに区分した自然なカテゴリーではなく、学問的検討を加えて承認された考古学的なカテゴリーでもない。「周知の埋蔵文化財包蔵地」という法制用語に裏打ちされた政治的なカテゴリーである。」(同:254.)

私に本稿の執筆を依頼した担当者が、私の記したこうした過去の文章をどれほど読み込んだ上で執筆を依頼したのか定かではないが、いずれにせよこうした歴史的な経緯を踏まえれば、先に挙げたような文章が紡がれるのは必然であるということも理解して頂けるだろう。


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