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五十嵐2021d「「戦利品」という考え方」 [拙文自評]

五十嵐 2021d「「戦利品」という考え方 -「八紘一宇の塔」と文化財返還の意義-」『思想運動』第1067号:10.

「<もの>の価値には、美術工芸的なあるいは壮大なとか希少なといった、その<もの>自体が有する価値と共に、その<もの>がたどった経緯にまつわる価値がある。他の人には何の価値も見出せなくても、当人にとっては親の形見であるといった点に大きな意味が込められている場合がある。その入手の経緯が、敵を打ち負かして手に入れたという点に意味を有しているのが、「戦利品」というカテゴリーである。その<もの>自体の価値よりも、入手の経緯に価値を置く<もの>、それが「戦利品」である。」(10.)

6月26日の講演を聞かれた方からの寄稿依頼に応じたエッセイである。
26日に少し言い足りなかったことを記した。


従来の「略奪文化財」という用語を、もう少し広い用語である「戦利品」に置き換えてみる。
するとそこから見えてくる世界が、また少し容貌を変えてくる。
例えば、東京都千代田区の吹上地区の南端部にある「御府(ぎょふ)」と呼ばれる建物群である。日本近代における対外戦争の度ごとに「戦利品」を収納する建物が構築された。「天皇の戦争宝庫」である。

「御府に収蔵されていた膨大な戦利品・記念品はどうなったか。これらは「輝ける戦勝」における「栄光の記念品」であったが、敗戦によって「略奪品」に一転する。連合国最高司令部(GHQ)は日本の非軍国主義化を進めるため、全国にある戦利品の一掃を日本政府に指示した。(中略)
(1947年)5月8日、「終戦事務連絡委員会連絡事項 第165号」が通達される。「戦利品に関する報告要求の指令(終連報甲第393号)に関し関係者と連絡の結果、1937年7月7日以降の戦利品、掠奪品に就き提出する如く要求ありしを以て先日の打合せの際の地域に満洲国を加へられ度い。尚各省管轄の地方機関に就ても調査し5月20日迄に終連へ提出あり度い」(中略)
この「掠奪品押収指令」は当然、戦利品の「宝庫」である御府にも及んだ。『昭和天皇実録』によると、GHQの覚書からほぼ一か月後の46年5月16日に御府は廃止された。1896(明治29)年10月の振天府造営から50年、御府はその歴史の幕を閉じた。(中略)
『実録』は「収蔵の兵器類については同月28日及び6月17日、進駐軍将校による検分が行われた。以後、兵器類は日本鋼管株式会社川崎工場において溶解作業が行われる」と記している。(中略)
昭和天皇の戦争責任はデリケートな問題だった。天皇を戦争責任から切り離すため、天皇=平和主義者というイメージ作りが行われていく。「軍国主義的遺物」である御府が皇居のなかに残留していることは不都合なことあった。明治以降の戦利品・記念品を含めて、すべては消去されねばならなかったのだ。」(井上 亮2017『天皇の戦争宝庫 -知られざる皇居の靖国「御府」-』ちくま新書:207-209.)

GHQは「全国にある戦利品の一掃を日本政府に指示した」が、全く「一掃」されなかった。
それは「戦利品」という言葉の意味が敵から獲得した武器や武具・兵器の類に限定して捉えられていたからである。しかし実は、占領地や植民地でなされた発掘調査の出土品などの文化財も「戦利品」なのである。

「<もの>自体の価値よりも<もの>がもたらされた経緯が重視され、<もの>を見る人に過去の栄光をアピールする。戦いに勝った証しとして勝者が敗者から奪い取った<もの>が、「戦利品」という言葉と共に検討もされずに広まっている。戦いに勝てば負けた人の持ち物を奪ってもいいという私たちの男根主義的価値観を考え直さなければならない。「過去の栄光」と考えていた事柄が、実は「過去の恥辱」であったことに気が付かなければならない。」(10.)

以下は、「略奪文化財」に「戦利品」という用語を使用した先駆的な事例である。

「”先住民アイヌ”との認識から出発する「日本人研究者」が、「アイヌ民族」のその”生”の歴史と文化の伝統を共感をもって創造できるはずがない。明らかに、「日本人の歴史」を誇示しつづけていく為の道具としての「考古学研究」でしかない。「アイヌ民族」の墓をあばき、人骨を持ち去り、生活用品や用具まで洗いざらい取り上げ”研究材料”と称する大義名分で「アイヌ民族」の”生”を抹殺してゆき、「日本人」=「大和民族」の高度に発達した文化と社会を誇示する道具に使ってきたのが、現在の「北海道考古学」である。あるものは博物館へ、あるものは大学研究室へと「日本人」の戦利品として略奪された。
東大の文化人類研究室へいけば、「アイヌ民族」の骨が暗い棚にほこりをかぶっている。北大北方文化資料館、道内各資料館、博物館にも数多くの戦利品が山積みされているのである。」(坂口 孝1975「「日本考古学協会北海道大会」を撃つ! -<埋蔵文化財の危機>と研究者意識-」『プロレタリア考古』第19・20号:1-3.)

「戦時期に武力や政治力を背景に占領地や植民地からもたらされた数多くの不当な文化財を、本来の所有者である元の場所に暮らす人びとに戻すという文化財返還は、植民地経営を経験した帝国国家の後裔国が、自らのたどってきた近代という時代を反省的に振り返り、「戦利品」のような私たちに抜き難く残り続ける植民地主義的な考え方を捉え直す、痛みを持ったしかし希望に満ちた世界的な運動(ポストコロニアル・ムーブメント)である。」(10.)

ある<もの>が生み出される時に、たまたまある楽曲がシンクロしているという場合がある。有名なところでは、1974年に発見された古人骨「ルーシー」である。
本論は、たまたまなぜか「Viva la Vida」だった。これから、この曲を聴くたびに2021年の夏を思い出すだろう。
そう言えば、7月31日に札幌駅から大乗寺に向かう道筋で、「Viva la Vida」という看板を掲げた料理店が目の前を通り過ぎた。何という偶然だろう。


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