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五十嵐2021b「練馬区 比丘尼橋遺跡C地点」 [拙文自評]

五十嵐2021b「練馬区 比丘尼橋遺跡C地点」『東京都遺跡調査・研究発表会46 発表要旨』:6-9.

例年行われている東京都遺跡調査・研究発表会も、今年は口頭発表はなく紙上発表のみである。
2014年から2020年まで足掛け7年にわたって行われた調査についての発表である。
担当者のセンスなのだろうか、表紙のデザインも垢抜けていて、嬉しい限りである。
但し分布図の挿図では二色刷りが認められず、やや分かりずらいのが残念である。

「遺物の平面分布については、一定の基準で集中部区分を行ない、石器分布について基準を満たさず集中部を形成しない資料については「石器集中部外出土石器」としました。石器集中部外出土石器のうち、加工石器を区分図として提示しました。集中部を形成しない散発的な出土状況ですが、礫資料分布図と重ね合わせてみると、その多くが礫集中部と重複しています。」(6.)

これだけ読めば何のことやら専門家以外には訳が分からないだろうから、少し基本的なところから説明してみよう。

まず旧石器<遺跡>を調査すると、石器やら焼礫やらの破片がごっちゃになって出てくる。時たま1kg以上の大きな礫も混じっている。それらをグリッドごとに通し番号を付けて出土位置を計測して取り上げる。回収後に室内で洗浄・注記・分類・計測という基礎的な整理作業がなされる。
その段階で多くの場合に、石器・礫という2つの種別が区分されて、さらにそれぞれがチャートや頁岩・黒曜岩・砂岩といった石材ごとに区分されていく。

それ以降、遺物レベルでは石器の石材ごとの接合作業、加工石器の実測作業、あるいは礫の接合作業と進んでいく。
分布図のレベルでは、垂直方向の遺物分布を基にした遺物群区分(従来の用語で言えば「文化層区分」)、そして遺物群ごとに集中部区分がなされる。
この際に注意すべきは現場レベルでは集中部は区分できないということである。

旧石器の遺物集中部をあたかも縄紋時代以降の竪穴建物のような遺構として扱い、現場レベルで「1号遺物集中部」などと呼称している場合があるが、これは悪しき慣習としか言いようがない。この点については、また別途述べる機会もあるだろう。

ここでの焦点は、現場では石器も礫もごっちゃになって出てくる、だから両者を区別することなく、というか区別できずに「遺物集中部」として大雑把に認識せざるを得ない、にも関わらず室内整理作業では、石器は「石器集中部」、礫は「礫集中部」と全く別個の単位として扱われているということである。
そして最終的な考古誌レベルでも石器と礫とは章立てからして別立て、石器集中部と礫集中部の相互関係は読者が石器集中部と礫集中部のそれぞれの全体図を重ね合わせなければ確認できないといった状況が多いのではないか。

さらに冒頭引用文で示したように石器集中部を形成しない単独出土の石器については、せいぜいそれぞれの出土状況が提示されればまだましな方で、単独出土石器と礫資料との関わりなどが示されている考古誌は殆どないのではないだろうか?

こうしたことはそれぞれの接合資料についても、同様である。

「一見すると石器集中部に囲まれた空白の空間に長距離接合個体の単独資料が分布しているようですが、礫資料の分布を重ね合わせると当該エリアには礫集中部が広く分布していることが分ります。」(6.)

数点の石器が散在しているだけのように思えた空間が、接合資料の接合線、そして礫資料分布を重ね合わせると、ある特定の活動がなされた有意味な空間が浮かび上がる。

報告書は使えるとか使えないといったレベルでの議論とは、異なる問題がある。
私たちがなすべき資料の読み取りは、潜在的にまだまだ数多く残されたままである。

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橋本

図を分けてスッキリ見栄えをよくしても、カラーでわかり易くすることは、いまだに当たり前ではないようです。
by 橋本 (2021-03-05 23:57) 

五十嵐彰

3次元空間の<場>にいろんな<もの>がいろんな状態で出てくるのを2次元で表現するにはどうしたらいいのか、このことを考えるだけで「考古誌学」は十分成立すると思うのですが、そうしたことに関心を抱く考古学者は殆どおらず…
by 五十嵐彰 (2021-03-06 09:17) 

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