SSブログ

五十嵐2021a「石核とは何か」 [拙文自評]

五十嵐 2021a「石核とは何か -砂川モデルを問う-」『東京の遺跡』第118号:3-5.

「私たちが日常的に「石核」と呼んでいる存在形態は、石器資料の中でどのような位置を占めているのだろうか? こうした問いを深めることは、石器資料論の核心である。
「石核とは何か」を問うことは、日本の旧石器時代研究における砂川モデルの方法論的意義を問うことになる。」(3.)

「石核とは何か」
何とストレートな、そしてある意味で大上段な、しかし今まで誰も発することのなかった問いなのだろう。
誰もが言及しない極めて当たり前の事柄を、筋道立てて論じることが、今、求められている。
「石核が問題の核心である」(The core is the core of the problem)とは、我ながら驚くべき結論である。

「剥片もしくは石刃を取去った後の石。英語ではコア、仏語ではナクラスとよばれる。剥片もしくは石刃を取去った後の残りかすとして扱われるが、しばしば副産物として、石器として使用される。」(藤本 強1979「石核」『世界考古学事典 上』:602.)

「多くは礫をそのまま用いて、調整を加えて石核とするが、なかには瀬戸内技法第2工程に代表されるように剥片を素材とするものもある。」(藤原 妃敏1983「石核」『日本考古学小辞典』:182.)

「石器をつくる時、剥片や石刃をはぎとった残りの部分」(1991「石核」『広辞苑』第4版:1441.)

「打撃あるいは押圧をあたえて破砕や剥離が生じたとき、かけらの側を剥片、残った礫の中心部側を石核と呼びならわしている。」(稲田 孝司2002「石核」『日本考古学事典』:489.)

「…打ち割りの終了時には、必ず石核が残される。つまり、表皮の部分は作業のはじまりを、石核は作業の終了を示すのである。」(野口 淳2009『武蔵野に残る旧石器人の足跡 -砂川遺跡-』:34.)

石の塊を打ち欠く。最初は表皮の付いた剥片が剥がされる。最後に石核が残される。
この誰もが首肯せざるを得ない(と思われている)石器資料論の不変的(と思われている)定理をいかに覆すことができるか?

「表皮の部分は作業のはじまりを示す」という点について、礫塊段階での分割石核についてはそれぞれの分割された個体について作業のはじまりを示しても、礫塊単位としての母岩のはじまりを示すとは限らない。
なぜなら、表皮のある剝片によってある分割個体の剝片剥離作業のはじまりが示されても、他の分割個体は剝片剥離作業すらはじまっていない、ある分割個体の剥片剥離は他の分割個体の剝片剥離が終了して石核が廃棄された後に開始されるということが十分想定できるからである。

同様に「石核は作業の終了を示す」とされる場合の「作業」とは、何を対象とした、どのような作業なのかが問われている。
礫塊石核を対象とした剥片剥離作業なのだろうか?
それとも礫塊石核から剥離された剥片を素材とした剥片石核をも含んだ剥片剥離作業なのだろうか?

「「一母岩・一石核」を前提とした砂川モデルにおいて、単一の礫塊石核が存在することで判断される「作業の終了」は、その母岩を用いた礫塊石核を打ち割る作業の終了を意味する。ところが「一母岩・多石核」である剥片石核の場合には、剥片石核の存在はその特定の剥片石核を打ち割る作業の終了を意味するだけで、あるいは剥片石核を生み出した礫塊石核の存在は剥片石核の素材を産み出す礫塊石核を対象とした打ち割り作業の終了を意味するだけで、剥片石核を含む母岩全体の打ち割り作業の完了を何ら意味していない。「一母岩・一石核」と「一母岩・多石核」では、作業の終了という意味が異なるのである。」(4.)

砂川モデルの根幹は、接合資料および非接合の同一母岩資料によって母岩単位の前半・後半といった製作工程を判断することである。
しかし非接合の同一母岩資料では、同一母岩から産み出された剥片石核ごとの製作・搬入を判断できない。
なぜならばある礫塊石核から産み出された剥片石核群から産み出された剥片群は、すべて同一母岩であり、接合しない限りどの剥片がどの剥片石核から剥離されたかについては判断できないからである。
非接合の同一母岩資料をもって、その母岩資料の製作・搬入を判断できるという前提は、剥片石核の存在を無視しない限り成立しない。
ある剥片石核と同一母岩の非接合剥片があっても、「類型A」すなわちその剥片がその石核から剥離されたとは言えない。もちろん「類型B」についても同様である。
「類型A」・「類型B」の判断には接合資料が欠かせない。むしろ接合資料のみで判断すべきである。

【結論】
非接合資料を含む同一母岩資料を前提とする砂川モデルは、「一母岩・多石核」に対応できないという方法論的に致命的な欠陥を有する。

「今からおよそ30年前に「個体別資料分析」と呼ばれていた母岩識別について、「有効性と限界について、明確な研究戦略上の位置付けを与える必要性があるように思える」(五十嵐1992:17頁)と控えめな表現で述べた事柄について、ようやく一つの答えを出すことができた。」(5.)

30年に及んだ「砂川闘争」、ようやく最終局面を迎えつつあるようだ。

nice!(2)  コメント(5) 
共通テーマ:学問

nice! 2

コメント 5

橋本

確かに、別々の石核を中心とする接合資料は、接合しなければ母岩が同じとはわかりません。母岩の数を知るために、石核を数えても、折角の苦労が錯覚ということになりかねませんね。
by 橋本 (2021-02-26 12:42) 

五十嵐彰

今まで砂川モデルは、母岩識別を前提に語られてきました。その母岩識別は、「一母岩・一石核」(礫塊石核)を前提としています。すなわち、砂川モデル=母岩識別=一母岩・一石核です。
しかし実際は「一母岩・多石核」(分割石核・剝片石核)が普遍的に存在するにも関わらず、砂川モデルで語られることはありませんでした。なぜならば母岩識別では、「一母岩・多石核」を語ることができないからです。実態に即した新たなモデルが必要です。すなわち、新砂川モデル=接合資料=一母岩・多石核です。
by 五十嵐彰 (2021-02-26 17:03) 

橋本

前提を考え直すことによって、ひとつの母岩をひとりが消費したのか、分け合ったのかということも、より深く考えさせられます。生活、意識の一端が詳らかにされるきっかけになればと思います。
by 橋本 (2021-02-26 20:33) 

五十嵐彰

石器資料を通じて石器製作者の生活や意識の一端を明らかにするのが第1考古学だとすれば、石器資料を説明する前提を考えることを通じて私たち考古学者の生活や意識の一端を明らかにするのが第2考古学です。なぜ半世紀近くも砂川モデルの前提を考え直すことができなかったのか、という根本的で本質的な疑問です。
by 五十嵐彰 (2021-02-27 08:55) 

橋本

人間ってどういう生き物なのか考える、ひとつのモデルになりそうです。
by 橋本 (2021-02-27 09:57) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。