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織田1990『システム論とフェミニズム』 [全方位書評]

織田 元子1990『システム論とフェミニズム』勁草書房

「実際問題としては、現代の男女関係を理解するのに、女性抑圧の起源までふまえて理解する必要はない。
「男が悪い、いや、女が悪い」という形で循環論に陥ったなら、個々の事例で議論するのをやめて、それらを包囲している大きな現実に、つまり、父権制社会とそのイデオロギーというコンテクストの位置から事態を眺めればよいのである。」(112.)

会議の休憩時間に喫煙所で子飼いの子分から聞かされた組織運営の愚痴を知り合いに話しているぶんには、これほど大きな問題にはならなかっただろう。
しかしプレスが入った公の場において、国際的なイベントを開催する一国を代表する組織の長が、自分の組織の女性は場をわきまえているが、他の女性はわきまえずに長々と発言すると非難する。
女は男よりも劣るというあからさまな価値観の表明である。
これでは、場をわきまえずに発言しているのは誰であるか明白であろう。

そもそも自らの発言を撤回する会見で、謝罪の言葉をメモを見ながら棒読みというのは、謝罪する相手に対して失礼ではないのか?
不倫などの不祥事が発覚した芸能人やスポーツ選手が謝罪会見の場でこうした対応をしたら、どうなるだろうか?

「システムは、変わらないときには、一人や二人の進歩的男女の力ではどうにも変えられないのに、いったん変わりはじめると、逆に、一人や二人の保守的な男女の抵抗によってはどうにも止められない。それがシステム変換というものであり、これまで「時代の流れ」と呼ばれてきたものである。そしてこれが社会にとっての「真の変化」である。
父権制は男の利益のみを図る社会システムであるが、これを変えようとして、「悪いのはあの男、この男」という形で個人を告発していくことは、他の男への見せしめ的効果はあっても、「そういう男を相手にした女が悪い」ということで片付けられる可能性もあり、必ずしもフェミニズムにはつながらない。しかしそれは、個人は無力だということではなく、むしろ個人から変わるべき部分もある。男のばあいは、まず、男性優位という既成事実に対する安易な適応をやめること、女のばあいは男の好みへの卑しい迎合をやめることであろう。フェミニストが人類から放逐してしまわなければならない本当の「悪」は、既成の社会規範に対する個々人の無反省な適応行動である。」(116.)

「ん?と思ったが、指摘する機を逸してしまった」というのでは、てんでダメな訳である。
「ん?」と思うだけではなく、そこから更に一歩踏み込んで、異議を唱える。
睨まれても、すごまれても、発言の機会が与えられるまで、手を挙げ続ける。
これは生半可な精神力では、貫徹できない。
普段から、そうした事態に遭遇した場合を想定した訓練、すなわち問題の所在の言語化とそれを表現する瞬発力を鍛えておく必要がある。

人種差別から性差別や職業差別まであらゆる差別の根は奥深く、この世から差別を根絶することは不可能かもしれない。
誰も差別されないといった社会を実現させることは、人間の本性からいって不可能なのかもしれない。
むしろそうした不可能と思える社会を目指して歩き続けることこそが、私たちに課せられた役割なのだと思う。

日本社会における性差別、究極的には天皇制にまで行き着かざるを得ない。

「「本質」や「真理」は、それが所属する論理階型にレベルの差がある。社会・文化のシステムは不変ではなく、あるシステムのもとで絶対と見えた「本質」も、別なシステムでは全然「本質」でなくなる可能性があるが、また相変わらず「本質」であり続けるような「本質」もある。それゆえ現存の体制とは違った体制をめざす社会運動家や思想家は、何が現体制に本質的で、何がそうでないのかについて絶えず問い続ける義務がある。
世界が地球規模で激しく変化している現代には、フェミニストは相反する二つの性質 -柔軟さと頑固さ- の両方を兼ね備えねばならない。体制に押しつぶされないためには適当に妥協する柔軟さが要るし、体制を攻撃して変えていくためには断固妥協しない頑固さが要る。しかし、これら正反対の性質を使い分けるためには、問題の所在とそのレベルを見抜く的確な判断力が必要であって、結局のところ、これが一番重要な能力である。」(viii-ix.)


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橋本

システムを神輿だとすれば、担ぎ手が同じでは再生するばかりです。これからの担ぎ手が、表面的な分類にとらわれない人に育ってくれる社会の一員でありたいです。
by 橋本 (2021-02-13 19:50) 

五十嵐彰

海洋放出が取り沙汰されているようにコントロールできていないものをアンダー・コントロールと言い繕って始めた帰結が、アブソリュトリー・インアプロプリエイト(完全に不適切)ですから、なるべくしてなったということでしょう。
by 五十嵐彰 (2021-02-14 09:07) 

橋本

継続性や組織力が道を誤ると" "付きです。
by 橋本 (2021-02-14 10:57) 

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