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平野2018「「明治維新」を内破するヘテログロシア」 [論文時評]

平野 克弥2018「「明治維新」を内破するヘテログロシア -アイヌの経験と言葉-」『現代思想』第46巻 第9号:48-71.

各所で引かれているので読んでみたが、良かった。

「歴史を解釈し叙述することは、パズルのようにバラバラになったピースを組み合わせて既成の認識対象を再現したり描きなおすことではないだろう。それは、目の前に動かしがたく立ちはだかる(あるいはそのように思える)現実の生成の過程を解きほぐす作業であると同時に、その過程で逸脱し、排除され、沈黙させられ、あるいは遺棄されていった人びとの生きざまや言葉から、支配的構造や論理 -国民国家、帝国、植民地主義、資本など- に統合できない生の様式を「メシア的」(ベンヤミン)に探りあてることでもあるだろう。」(50.)

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加藤2022「記号化による文化遺産の植民地化」 [論文時評]

加藤 博文2022「記号化による文化遺産の植民地化 -収奪される地名・記憶・歴史-」『記号化される先住民/女性/子ども』青土社:81-109.

「世界考古学会議の第1回の大会では、考古学者による解釈が持つ歴史的・社会的な役割、そして政治性についての再評価が行われ、次のような問いかけがなされた。
・考古学の研究によって恩恵を受けるのは誰か?
・考古学者は、他人の過去を管理する権利を持つのか?
・西欧の考古学理論や手法は、過去の解釈にとってベストな方法なのか?
・調査の対象とされる先住民族に対して考古学はどのような(プラスの意味での)効果を与えることができるのか?
・先住民族へのダメージを抑止するための理論の構築や、方法の転換の取り組みは可能か?
この世界考古学会議から発せられた問いかけは、それまでの西洋中心の思想的な枠組みにとらわれていた理論や方法論を見直す契機となり、またその後の考古学と先住民族との関係を考える上でも重要な指標となった。」(83-84.)

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鈴木1967と大井1988 [論文時評]

20年(two decades)の時を隔てたエールの交換

・鈴木 公雄 1967「大井晴男著 野外考古学」『史学』第39巻 第4号:131-138.

「いかなる学問にあつても、その学問がどの様な資料に立脚し、いかなる研究の目的と方法を持つものであるかと云う、学問としての体系、理論がある。(中略)戦後の日本考古学は各分野に躍進を重ね、その成果は戦前のそれをはるかに凌駕し、質量共に誇るべき研究業績がつみ重ねられてはいるものの、考古学研究の基礎を形成すべき研究法、概論については、かならずしも活発な著作活動が行われていない現状にある。」(131.)

こうした現状分析が述べられたのは、今から55年前のことである。
半世紀以上の時を経ながら、こうした文言に修正を加える必要性を余り感じない点に「日本考古学」の深刻な病状が表れている。

何よりも驚くのは、こうした書評を記した評者は当時若干29才!、書評対象となった著者は33才!であり、書評対象となった概説書を刊行したのは32才の時であったことである。

2022年の「日本考古学」において20台の評者が4才年上の著者を批評するといったことが想定できるだろうか。
何よりも30前後(アラサー)の研究者がこうして丁々発止のやり取りを行なうということ自体に当時の学的活力を感じずにはいられない。
自らの30前後に何をしていたのかという悔恨と共に。

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鶴田2022「考古学における史料批判」 [論文時評]

鶴田 典昭 2022「考古学における史料批判」『研究紀要』第28号:9-15. 長野県立歴史館

「歴史研究における史料批判は文献史料にかかわる方法論である印象が強い。2000年に発覚した旧石器時代遺跡捏造事件を契機に、考古学における史料批判の重要性が見直されているが、普遍的な方法論として定着していない。私の知る限り、考古学の概説書にも史料批判の項目は認められない。考古学の研究対象の多くは埋蔵文化財であり、発掘された遺構・遺物に嘘はない、ということが根底にあるように思う。考古学では、発掘調査により遺跡は消滅してしまうため、発掘調査報告書、出土遺物、記録類を手掛かりに研究をおこなうが、発掘調査及びその発掘調査報告書に対して史料批判は必要である。そこが抜け落ちていたために、旧石器時代遺跡の捏造が長年発覚しなかった原因でもある。旧石器遺跡事件は、検証発掘を経て決着を見たが(日本考古学協会2003)、考古学の論考に史料批判が定着したとは言えない。遺構・遺物から歴史事象を読み解くのであれば、それらがどういうものでなにを示すものであるのか、ということを検証しなくては、歴史記述の素材である史料とはならない。考古資料における史料批判について考えてみたい。」(9.)

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梅原1947「近年我が學者の行ふた支那の考古學調査に就いて」 [論文時評]

梅原 末治1947「近年我が學者の行ふた支那の考古學調査に就いて」『東亜考古學概論』星野書店:109-121.

「以上南京に於ける調査に較べて事変以後行はれ出した積極的で且つ規模の大きい考古學的工作は、蓋し山西省雲岡石窟寺の徹底的な調査と保存の事業であらう。雲岡の石窟が支那北魏時代佛教藝術の清華として洛陽龍門の窟佛寺と並称せられるものである事は餘りにも有名であり、その一斑も既に伊東(忠太)博士・故シャバンヌ教授等の著書に依つて廣く世に知られてゐる。處が十数年前からこの有名な窟佛の佛頭が心なき人々に依つてうちかゝれて北京の古美術市場に現はれ出し、為に中華民國要路の人々が同國の古美術を保存する見地からこれが防止に関心する様になつたが、種々の事情でなほ思はしい効果を挙げ得ない憾が多かつた。支那事変の発生後日本の軍当局は早く同じ見地から特に軍隊を派遣して、これが防止に萬全の策を講ずると共に、進んで學者側の窟佛全般に亙る徹底的な調査計画に援助を與へたので、この事業は着手された昭和十三年から年を重ねて段々と規模を大きくして、昭和十九年の夏に及び、全部の半ばに近い調査を遂行する事が出来たのは特筆大書すべきである。本調査は我が外務省對支文化事業や現地の蒙彊自治政府後援の下に、京都東方文化研究所の附帯事業として水野清一君の指揮監督の下に行はれつゝあるものである。」(111-112.)

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春成2003「考古資料の偽造と誤断」 [論文時評]

春成 秀爾 2003「考古資料の偽造と誤断」『国立歴史民俗博物館研究報告』第108集:219-242.

「2000年11月、日本考古学は「前・中期旧石器遺跡」捏造事件の発覚という、未曽有の学問的・精神的打撃をうけた。事件発覚前に一部の研究者から疑いがかけられていたにもかかわらず、奏功せず、新聞社が隠し撮った映像によって初めて捏造を認めなければならなかった。日本考古学には偽造を見抜く鑑識眼、つまり資料批判の精神とそれを議論する諸条件が十分に発達していなかったと認めるほかない。」(219.)

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ルアレン2013「遺骨は語る」 [論文時評]

アンエリス・ルアレン(中村 歩 訳)2013「遺骨は語る -アイヌ民族と人類学倫理についての考察-」『グローバル化のなかの日本史像 -「長期の一九世紀」を生きた地域-』岩田書院:289-314.

文末に「本論文は2007年12月の "Bones of Contention: Negotiating Anthropological Ethics within Fields of Ainu Refusal" Critical Asian Studies 39(4)をオリジナルとしている」と記されているように、日本語訳では原著論文からの意訳と大幅な削除がなされていて注意が必要である。例えば原著論文の119あるFootnotesは69の註に(58%)、61あるReferenceは46の参考文献に(75%)切り縮められている。
筆者の所属は、カリフォルニア大学サンタバーバラ校である。

「アイヌ解放運動は、日本国家に対してというより、「アイヌ学者」に対して異を唱えることで始まった。アイヌ学者はアイヌ民族に「滅び行く民族」という烙印を押しただけでなく、理由も示さぬままアイヌから採血し、墓地から遺体を掘り起こし、頭蓋骨を取り出したため、アイヌ社会からならずもののレッテルを貼られた。掘り出された頭蓋骨は帝国主義体制の下、愛国心昂揚のため研究に供されたが、以後も列島住民との比較のために使用され続けている。
アイヌ民族自身が専門知識を身につけていくのにつれて、かつてとは異なり、学者とアイヌ民族やホストコミュニティとの社会的距離感は変わってきている。運命の裏返しのように、研究者は自分がホストコミュニティからノーと言われる弱い立場に身を置いていることに、ようやく気づいた。今日、研究倫理に関心の高い研究者は、アイヌ民族自身による研究計画とその実施をサポートしており、その上で初めて自分自身の研究に取り掛かっている。」(289-290.)

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山田2021・2022「ウサギ・石器・イヌワシ?」 [論文時評]

山田 しょう 2021・2022「ウサギ・石器・イヌワシ? -青森県尻労安部洞窟の語るもの-」『旧石器考古学』(前編)第85号:65-84. (後編)第86号:21-36.

「本州北端の小さな洞窟の調査が持つ考古学・人類学上の意義を検討するのが本稿の目的である。(中略)
そもそもここにある動物遺体は人間による狩猟の結果なのだろうか。これについての調査者の説明は、懐疑的な研究者を納得させるに十分なものだろうか。
この資料の「乏しさ」は、動物遺体の由来の検討と、洞窟を利用した狩猟採集民の行動の復元に、決定的な制約を課しているように見える。しかし責任を全て遺跡に帰すことは公平ではない。この等閑視の状態は、出土資料がほとんど石器のみである日本の旧石器時代の遺跡への適応によって生じた、このような資料への私たちの適応力の乏しさをも映し出している。」(前編:65.)

2001年から2012年まで12年間なされてきた発掘調査の成果を報告した『尻労安部洞窟Ⅰ』(2015)に対して2年越しで成された考古誌批評である。
導かれて批評対象である考古誌を改めて読み返しながら、批評文を読み進める。
読者に対して批評対象まで遡って読ませるのが、力ある批評文である。

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加藤2022「杉並区向ノ原遺跡の近代遺構と遺物」 [論文時評]

加藤 秀之 2022「杉並区向ノ原遺跡の近代遺構と遺物 -久我山高射砲陣地と関連して-」『東京都埋蔵文化財センター 研究論集』第36号:31-46.

「久我山陣地は、戦争末期に高度1万m上空を飛行するB29を撃墜するために開発された「15糎高射砲」が唯一設置された高射砲陣地として、ミリタリー系雑誌などに取り上げられることも多いが、その構造は明らかにされていないのが現状である。
本稿では、向ノ原遺跡で検出された近代の遺構・遺物を再確認し、現状での久我山陣地の構造を把握することを目的とする。」(32.)

B-29による「帝都空襲」を防ぐために急遽開発された新型高射砲2基が唯一配備されたのが、久我山高射砲陣地であった。15糎高射砲とは、今でいうアメリカがウクライナに供与しているM777榴弾砲や防空ミサイル・スティンガーのようなものである。
言い伝えには聞いていたが子どものころ遊んでいた、そして小学校の運動会の会場にもなっていた馴染みの場所の地下に「こんなもの」が埋まっていたとは! 心底、驚いた。

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及川2022「「遺構」論の今」 [論文時評]

及川 良彦2022「「遺構」論の今 -「遺構」とは-」『セツルメント研究』第10号、セツルメント研究会:3-36.

コロナ以前の2019年12月に開催された研究集会「縄文研究の地平2019 -層位/分層、遺物ドット・接合からみた遺跡形成-」における報告が、口頭発表時の事例部分を前半として「遺構の研究略史と定義」という後半部分が加筆されて刊行された。

「…五十嵐は従来の「遺構」と「遺物」という考古学の概念、あるいは「遺構」+「遺物」=「遺跡」とする認識を再検討し、新たな概念である「部材」を導入し、さらに考古学的痕跡研究の枠組みを示している。現在最も踏み込んだ用語概念を組み上げつつある。」(28.)

こうした認識(実際は口頭発表では示されなかった後半部分も含めて)が層位や遺物ドットや接合といったやや異質な論題群の中でなされたというのが、3年前の現実であり3年後の現実である。
研究集会のそれぞれの発表は、何やら「寄せ集め」といったイメージが否めない。
本来は「遺構論」だけを取り上げても、十分に1日を費やすに足るテーマのはずである。
考古学という学問の中心的な概念である「遺構」を語り尽くす機会が訪れるのは、いったいいつのことだろうか。

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