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山田2021・2022「ウサギ・石器・イヌワシ?」 [論文時評]

山田 しょう 2021・2022「ウサギ・石器・イヌワシ? -青森県尻労安部洞窟の語るもの-」『旧石器考古学』(前編)第85号:65-84. (後編)第86号:21-36.

「本州北端の小さな洞窟の調査が持つ考古学・人類学上の意義を検討するのが本稿の目的である。(中略)
そもそもここにある動物遺体は人間による狩猟の結果なのだろうか。これについての調査者の説明は、懐疑的な研究者を納得させるに十分なものだろうか。
この資料の「乏しさ」は、動物遺体の由来の検討と、洞窟を利用した狩猟採集民の行動の復元に、決定的な制約を課しているように見える。しかし責任を全て遺跡に帰すことは公平ではない。この等閑視の状態は、出土資料がほとんど石器のみである日本の旧石器時代の遺跡への適応によって生じた、このような資料への私たちの適応力の乏しさをも映し出している。」(前編:65.)

2001年から2012年まで12年間なされてきた発掘調査の成果を報告した『尻労安部洞窟Ⅰ』(2015)に対して2年越しで成された考古誌批評である。
導かれて批評対象である考古誌を改めて読み返しながら、批評文を読み進める。
読者に対して批評対象まで遡って読ませるのが、力ある批評文である。

「最も基本的な問題は、ウサギをはじめとする動物遺体が人間の狩猟によるものか、他の肉食動物の活動など、何らかの自然の要因によって堆積したものかである。まず、この点について批判的に検討することから始めよう。「批判的」とは「否定的」という意味ではない。」(前編:69.)

最後の一文はある意味で「言わずもがな」である。しかし付け加えざるを得なかったという筆者の心境もよく理解できる。それは、日本社会ではこうした批判的な作業に対してとかく否定的に受け取る人が多数存在するであろうことが、私の僅かな経験からも首肯されるからである。

まずは原報告である『尻労安部洞窟Ⅰ』から問題とされた箇所。

「観察の結果、本洞窟の更新世動物遺体群にそうした資料(消化液の酸の溶解作用によって表面にわずかな窪みが形成された資料、いわゆるペレット:引用者)は見出せなかった。それらも勘案すれば、同遺体群が猛禽類などの餌残滓である蓋然性は低いと考えざるを得ない。」(『尻労安部洞窟Ⅰ』:92.)

それに対して批評者は、「考えざるを得ない」と表現された「必然」ともいうべき原報告者の文言に異を唱える。

「…調査者は、ペレット由来の骨に存在するはずの消化痕がない(pp.92,280)、ウサギに獲物が偏っている(pp.92,95)という理由で、イヌワシの関与をあっさりと退けている。筆者はイヌワシの生態を考えると、その関与の可能性はそう簡単には退けられないと考える。」(前編:70.)

そしてイヌワシの棲息環境、イヌワシの捕獲動物、他の猛禽類の生態などについて概観した上で、獲物の偏り・ペレットの不在について検証し、欧米のタフォノミー研究を詳細に検討する。

「食べることと全てを呑み込むことは当然別であり、呑み込まれた骨と呑み込まれない骨を区別して考える必要がある。消化痕は前者において生じる(猛禽類ではペレット、哺乳類では糞(scat)に含まれる)。」(前編:74.)

「イヌワシの場合、70%またはそれを超える歯が呑み込まれず、呑み込まれた歯の多くは、強い消化液によりエナメルを喪失し、堆積中に失われるので、結果としてかなりの数の無消化痕の歯が残るかもしれない。」(前編:81.)

実際に『尻労安部洞窟Ⅰ』「縄文時代以降」の「鳥類遺体群の形成過程」という箇所では、「洞窟の上部やその周辺に生息した大型のタカ類やフクロウ類が吐き戻したペレットが堆積に一部含まれる可能性も極めて高いといえるだろう」(203.)と記されている。
それにも関わらず結論では「それら(ウサギの遊離歯:引用者)については、大型のタカ類やフクロウ類が吐瀉したペレットに由来するとおぼしき消化痕も認められないことから、人の猟果に由来するとみて間違いない」(280.)とされている。

「間違いない」とは、「確実である」との意である。

「Stiner(2008)の解説がタフォノミーの方法の要点をよく示している。そなわち、痕跡からそれを生じた原因を診断するが、原因は一種類のみではないかもしれない(等結果性:equifinality)。観察された事例についての可能性のある説明の範囲を、段階的な仮説検証によって絞らなければならない。競合する説明を排除するために、明確な一連の証拠を様々な判断基準と照合することが不可欠である(p.2116)。」(後編:26.)

ここでは動物遺体のタフォノミー(化石形成)について述べられているが、同じことが一般的な考古資料の解釈の場面(遺跡形成)で、例えば「緑川東問題」についても当て嵌まることは明らかである。

「この洞窟の資料の形成過程と意味を、かなり想像力を働かせ、2回にわたりあれこれ検討したことによって、石器と動物遺体の関係の解明をいささかでも前進させることができただろうか。筆者の議論は調査者や読者を納得させるものだろうか。動物遺体に人為由来が含まれることの幾つかの肯定的兆候と、想定される人間活動の人類学的意義を指摘することはできたとしても、タフォノミーに関する多くの問題の存在が浮かびあがり、懐疑的な研究者はいっそう疑念を膨らませたかもしれない。しかし、こうした検討を重ねることによって、この洞窟とその資料について、より適切な問いをすることが可能になる。資料の持つ意味を単純化したり曲げることなく、納得のいく解釈を見出す可能性が、より大きくなる位置に近づけるのである。」(後編:35.)

周到な配慮のもとに吟味された表現によって問題の所在と今後の展望が示される。

尻労安部洞窟に示される動物遺体だけでなく、緑川東の大形石棒も、旧石器資料の母岩識別についても、あらゆる考古資料にかかわる「私たちの適応力の乏しさ」(前編:65.)すなわち批判的な検証作業の乏しさに起因する「資料の持つ意味を単純化したり曲げる」ような解釈を指摘して十分に「納得のいく解釈を見出す」ことが、第2考古学の主要な論点であることを再確認することができた。

「納得のいく解釈を見出す」ためにも、『尻労安部洞窟Ⅰ』最終ページに掲載された心温まるイメージ図に、崖上のイヌワシが書き加えられることを望む者である。あるいは実際に書き加えられなくとも、本批評を踏まえた者たちは、それぞれの心象にそれらが浮かび上がることになるだろう。

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五十嵐彰

「あの人」だったら、どのような対応を取るだろうかということを考えています。「資料の持つ意味を単純化したり曲げるような解釈」の例として、大形石棒(緑川東)や母岩識別に加えて、粗雑な剥片や石核がゴロゴロ出る頁岩原産地遺跡を前期旧石器とするか縄紋とするかが問われた事例(富山)を付け加えるのを忘れました。
by 五十嵐彰 (2022-06-26 05:56) 

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