SSブログ

鶴田2022「考古学における史料批判」 [論文時評]

鶴田 典昭 2022「考古学における史料批判」『研究紀要』第28号:9-15. 長野県立歴史館

「歴史研究における史料批判は文献史料にかかわる方法論である印象が強い。2000年に発覚した旧石器時代遺跡捏造事件を契機に、考古学における史料批判の重要性が見直されているが、普遍的な方法論として定着していない。私の知る限り、考古学の概説書にも史料批判の項目は認められない。考古学の研究対象の多くは埋蔵文化財であり、発掘された遺構・遺物に嘘はない、ということが根底にあるように思う。考古学では、発掘調査により遺跡は消滅してしまうため、発掘調査報告書、出土遺物、記録類を手掛かりに研究をおこなうが、発掘調査及びその発掘調査報告書に対して史料批判は必要である。そこが抜け落ちていたために、旧石器時代遺跡の捏造が長年発覚しなかった原因でもある。旧石器遺跡事件は、検証発掘を経て決着を見たが(日本考古学協会2003)、考古学の論考に史料批判が定着したとは言えない。遺構・遺物から歴史事象を読み解くのであれば、それらがどういうものでなにを示すものであるのか、ということを検証しなくては、歴史記述の素材である史料とはならない。考古資料における史料批判について考えてみたい。」(9.)

著者によれば「考古学の概説書にも史料批判の項目は認められない」とのことだが、たとえ項目としては認められなくても、言及している事例は多いだろう。一つだけ引いておこう。

「このようなサンプリング方法について、従来の日本考古学はあまり注意をはらってこなかったが、今後はこの点を改良し、考古学の方法として定着させていくことが必要とされる。また、考古学資料の解釈の基となるサンプリング方法を明示することは、とり扱う考古学資料の信頼度を検討する手がかりを与えることでもある。従って、この問題は文献史学の基本的方法の一つとされる「史料批判」に共通した性格をもっているといえよう。」(鈴木 公雄1988『考古学入門』123.)

筆者は今井 登志喜1953『歴史學研究法』において「遺物遺跡が史料の中に含まれる」とされていることを根拠として「多少違和感が残るが」資料ではなく、史料を用いている(14.)。
とするならば、「遺物遺跡は史料の中に含まれ、史料はさらに資料に含まれる」とも言いうるのではないだろうか。これは「考古学は歴史学の補助学ではなく、歴史学が考古学の補助学である」(岡本1994『異貌』第14号:2-13.)という主張に通じるものである。

「それぞれの変換過程において必然的に情報の欠落・歪曲が生じるエントロピー的な不可逆的変化が生じざるを得ない。変換過程のスタート時(本来遺跡地に存在していた状態)とゴール時(読者が考古誌に記載された情報を基に再構成した状態)の落差が、少なければ少ないほど理想的な記録化といえよう。こうした考古記録の変換過程に関する議論が、報告書を「読み解く」作業(史料批判)である。<変換1>の結果であり<変換2>の基点でもある考古誌は、文字通り考古学という学問営為の結節点である。」(五十嵐2004「考古記録」『現代考古学事典』:124.)

ここでは考古誌を読み解く作業を「史料批判」としたが、実はそれに留まらず読み解いた結果をまとめた論文を読み解く作業も、論文をまとめた概説書を読み解く作業も、すべからく「史料批判」であろう。

「考古資料を記録する、過去を書き記すということは、現在の見方で見えるものを特定の仕方で取り上げ、提示するということである。<第2考古学>を主題とする研究は、考古資料が記録される過程<変換1>を明らかにすることで、考古資料の特性を明らかにする。さらに考古誌の構成を分析する過程<変換2>を通じて、考古記録が「テクスト化される過程」が明らかになる。「わたしが-そこに-いたから、わたしが-知っている」というイメージが報告者の考古記述を権威化させている要因である。「報告者を尊重する日本の旧石器研究の風土の中では議論をよぶ」という発想自体が問われているのである。
考古記録をめぐる諸研究すなわち<第2考古学>は、その性格上「批判考古学」とならざるを得ない。「記録保存」という慣用語の背後に広がる領域について、考古誌を作成するという自らの表徴行為として捉える自省的な認識が、考古学の新たな可能性を生み出す。」(同:125.)

今あらためて読み返してみて、クリフォード&マーカス1996などに大きく影響を受けた様子がありありと伺える肩に力が入った文章である。

「史料批判とは、収集された多くの史料が、証拠物件として役立つかどうか、また、役立つとしてもどの程度にやくだつかを考察することである。言い換えれば、遺跡におけるどのような遺構・遺物が、どのような歴史事実を示す史料となるのか、ということを見定めるということだと考えている。」(13.)

筆者は、史料批判として弥生時代の竪穴住居跡について異なる遺構の重複か、それとも一つの遺構の拡張なのかという判断の違い、あるいは報告から漏れ落ちたある土器の再発見について述べている。こうした事例も、また数多くあることだろう。
他にも旧石器研究における石器製作工程を前半と後半に二区分する砂川モデルとその基礎となる同一母岩(かもしれない)資料区分に関する議論、あるいは敷石遺構から出土した4本の大形石棒について既存の敷石遺構の再利用なのかそれとも当初からの特殊遺構に設置したのかを巡る議論も同様である。

ある石製品に付着した黒色の物質が墨なのか、それとも現代の油性マーカーなのかが問題となっているような<もの>に即したレベルから、<遺跡>とは何かといったレベルに至るまで、<もの>の在り方を巡る私たちの解釈レベルに関わる論争は、縄文土器の中から見つかった宋銭をどのように考えるかといったことが論じられた頃から連綿としてなされてきたのではないか?


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。