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五十嵐2022g「文化財返還問題について」 [拙文自評]

五十嵐 2022g「文化財返還問題について」『朝鮮大学校学報』第32号、朝鮮大学校朝鮮問題研究センター編集(kucks@korea-u.ac.jp):121-130.

2021年 6月26日に朝鮮大学校で開催された『南永昌遺稿集 奪われた朝鮮文化財、なぜ日本に』出版記念講演会「今こそ問う 朝鮮文化財の返還問題」での発表内容である。

かつて「考古学研究における植民地主義の心性が今なお濃厚に残存している」(2006「歴史共同研究の趣旨説明」『朝鮮大学校学報』第7号:38.)と指摘されて大きな衝撃を受け、文化財返還に踏み込む契機となった冊子に私なりの応答を示すことができた。
しかし16年前に指摘された事柄については、この間の経緯を鑑みても総体的な状況に大きな変化は見いだせず現在もそのまま首肯せざるを得ない点を遺憾とする。

「私が考えている「文化財返還問題」は、占領地や植民地で不当に取得された文化財を本来あるべき場所に戻す運動です。はじめに返還に関わるいくつかの事例を紹介して、こうした文化財返還に関わって私たちが踏まえるべき原理と原則、そしてそれらが提起する<ひと>と<もの>そして<場>を巡る相互関係について考えます。」(1.)

・東京大学文学部の「石巌里205号墳出土遺物」(1-2.)
・東京国立博物館の「小倉コレクション」(2-3.)
・宮崎県の「八紘之基柱」(3-4.)

第1原則:現地主義
「「あるべき<もの>をあるべき<場>に戻す」際の「あるべき<場>」とは、いったいどのような<場>なのでしょうか。現在の日本では「文化財保護法」という法律によって発掘調査で出土した資料は出土した現地の教育委員会が保管することになっています。出土遺物の所有権は、発掘調査をした調査者や調査組織が有するのではなく、出土した場所の人たちが有しているという考え方です。
正式な手続きをへて現地の人たちの了解のもとに持ち出された発掘資料ですら、整理作業が終われば現地に戻しているのです。それならば不当に持ち出された資料は、なおさら現地に戻されなければなりません。」(5.)

第2原則:時効不成立
「「時効」とは、占有や所有という状態が一定期間継続することをもって、その状態に適合した法律上の権利が発生する、本来その人の<もの>ではなくても長期間所有していれば、その人の<もの>になるという考え方です。日本では「民法162条」に規定されています。法律上では、こうした時効が成立しますが、不当に持ち去られ不当に持ち込まれた異国の文化財については該当しないと考えます。なぜならば当時は不法ではない、すなわち合法的であったとしても道徳的に不当な場合があるからです。「不法ではないが不当である」ということについて、不法(illegal)と不当(unfair)の違いについて考えなければなりません。」(6.)

第3原則:無償返還
「「文化財返還」は、本来の持ち主ではない単なる借り主が本来の持ち主に借りていた<もの>をお返しするという極めて当たり前のことです。「無償返還」は、図書館から借りた本を返す際には、借りた人は図書館に借りた本の代金を求めたりせずにタダで返すという当たり前のことです。本来ならば定められた借用期限を超過していれば、逆にこちら側が延滞料金を支払うべきなのです。
返さなくてはならない<もの>に、値段をつけてはいけません。不当に持ち出された<もの>に値段をつければ、それはその<もの>が持ち出された不当性を不問に付すことになります。不当に持ち出された<もの>は、無償で返さなくてはなりません。」(6-7.)

メッセージの変容
「<もの>に込められたメッセージそして<もの>に対する私たちの見方が変わるということについて考えます。東京大学の「楽浪遺物」も東京国立博物館の「小倉コレクション」も、当初はその漆製品や金製品の素晴らしさが古代の栄華を示すとして、何の疑いもなく誇らしげに展示されていました。しかし入手から100年近くが経過した現在では、それらの<もの>に対する私たちの評価、私たちの眼差しが大きく変わりつつあります。ある<もの>については、当初のプラスのメッセージが、時代の推移とともにマイナスのメッセージに変容しているのです。」(7.)

<ひと>・<もの>・<場>
「異国由来の文化財を考えるときに、<もの>があった<場>に暮らす<ひと>、<もの>を持ってきた<ひと>、持ってきた<もの>が置かれた<場>、置かれた<場>に関わる<ひと>という「<ひと>・<もの>・<場>」の相互関係について考えなければなりません。」(9.)

まとめ
「<ひと>・<もの>・<場>」の関係を考えることで、華やかで賛辞だけの文化財認識の裏にある歪んだいびつな関係性を知り、その歪みやいぶつさを見直して本来あるべき姿を取り戻すにはどうしたらいいのかを考えることによって、<もの>を見る私たちの眼差しが少しずつ変わっていきます。「大英博物館」と呼ばれている「ブリティッシュ・ミュージアム」も「ルーブル博物館」も「エルミタージュ博物館」も「スミソニアン博物館」も、そして「東京大学」も「東京国立博物館」も「宮崎県」も「こんなものを持っている」→「すごいねー」とただ賛美するだけの時代から、「こんなものを持っている」→「ひどいねー」と自らが歩んできた近代という時代を振り返ることが求められています。私たちは、そうした「振り返り」が必須となっているポスト・コロニアルな時代を生きています。」(9-10.)

「私は「文化財返還問題」よりは「文化財返還運動」と呼んだ方が、より適切ではないかと考えています。「文化財返還」という問題は、人間としての根源的な理性に関わる問題であり、フェミニズム運動やブラック・ライヴズ・マター運動とも軌を同じくする世界的な運動だからです。」(10.)

B5版 150頁の本誌半分がハングル文字表記による論稿で私にはチンプンカンプンである。
本誌はかつて朝鮮語版と日本語版の2種類が刊行されていたようだが、日本語で記された本論についてもせめて要旨だけでも朝鮮語で記さないと本国の人たちに理解してもらえないのではないかと危惧しているのだが。


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