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尾田2022「旧石器研究における石質資料の導入とその意義」 [論文時評]

尾田 識好 2022「旧石器研究における石質資料の導入とその意義 -母岩資料分析の課題解決に向けて-」『研究論集』第36号:1-18. 東京都埋蔵文化財センター

「本稿では、これらの問題の根底をなす「個体別資料」(「母岩別資料」)の分類に関する問題に焦点をあてる。「曖昧」、「不確実」と指摘されることがあるその分類に対して、北海道の旧石器研究で既に実施されている石質分類の本格的な導入を提案する。石質資料を主体とした分析の有効性と限界を述べたうえで、石質資料から母岩資料を推定するための資料操作の方法と基準を検討し、その課題解決を図る。」(2.)

「「曖昧」、「不確実」と指摘されることがあるその分類」とは、「「個体別資料」(「母岩別資料」)」のことだが、「「曖昧」、「不確実」と指摘されることがある」とはどういう意味だろうか。
「「曖昧」、「不確実」と指摘されることがある」が、「「曖昧」、「不確実」と指摘されないこともある」ということなのだろうか。
すなわち誰か「「個体別資料」(「母岩別資料」)」の分類は、「「曖昧」ではない、「不確実」ではない、すなわち「明瞭」で「確実」である」と述べている研究者がいるのだろうか。
「「曖昧」、「不確実」とされることがあるその分類」と「「曖昧」、「不確実」とされるその分類」と「「曖昧」、「不確実」なその分類」とでは、それぞれ僅かな語句の違いであるが、それぞれの隔たりは当初考えていたよりも遥かに大きいことが徐々に分かってきた。

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木下1928「売りに出た首」 [論文時評]

木下 杢太郎 1928「売りに出た首」『アルト』(1949『売りに出た首』角川書店:39-40.所収)

「ところでその中(山中商会1928『支那古陶金石展観』:引用者)に天龍山の石仏の首が四十五個あるのだとよ。目録の序に「就中学界に宣伝せらるる天龍山の石仏彫刻のコレクションの如きは本展観の出品中最も誇とする處のものにして……宛然彼の天龍山石窟を茲に移したるが如き観ある云々」と書いてあるのは過言ではない。
四十五個といへば、天龍山の彫刻像の殆ど全部と云ってよい。かうも一つの手に全部揃ったことは蒐集者の非常な努力と謂ふべく、せめてそれが散らばらないで、一つの国民的の博物館(なるべくは日本の博物館に欲しいが、とてもそんなわけには行くまい。個人の金持に分配せられるよりもアメリカあたりの金のある美術館に皆買占められた方が好い)に集めとられて欲しいことだ。

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金丸2002「曲論の系譜」 [論文時評]

金丸 裕一 2002「曲論の系譜 -南京事件期における図書掠奪問題の検証-」『立命館言語文化研究』第14巻 第2号:123-138. 立命館大学国際言語文化研究所 編

「曲論」とは、「正しくないことを正しいかのように言い曲げる論」である。

「この小論では、近年の「南京大虐殺事件」(以下「南京事件」と略す)時期に頻発した、日本による掠奪問題をめぐる研究に焦点をあわせ、幾つかの新しい「神話」が創作される過程を詳細に検証してみたい。その際、考察の対象は文化財、とりわけ図書・雑誌に対する「掠奪」の問題に限定していく。」(123.)

筆者が1997年12月に台北で開催された「南京大屠殺六十周年国際学術シンポジウム」に出席して趙 建民の発表を聞いたことが、本論形成のきっかけであった。

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梶村1982「海がほけた」 [論文時評]

梶村 秀樹 1982「海がほけた -山口県長生炭坑遭難の記録-」『在日朝鮮人史研究』第10号、在日朝鮮人運動史研究会(1993『梶村秀樹著作集 第6巻 在日朝鮮人論』明石書店:108-126.所収)

「太平洋戦争の始まる直前の頃、山口県宇部市の長生炭坑(当時の吉敷郡西岐波村、床波駅の南0.4km、山口市と宇部市を結ぶ県道から0.5kmの地点)で大きな事故があった。長生炭坑も、沖の山、東見初等、宇部炭田の他の炭鉱と同様に海底炭鉱であったが、岩盤が崩れて海水が侵入し水没してしまったのである。何百人という規模の犠牲者を出し、しかもその大半は朝鮮人労働者であったと思われるが、当時事故の公表は一切禁じられ、その事実すら殆ど知られていない。
縁あって、この事故を直接体験し、九死に一生を得た李鍾天氏のお話を聞くことができた。」(108.)

地道な市民運動がなされている。
取材レポートが公開されている。

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木村2007「文化遺産イデオロギーの批判的検討」 [論文時評]

木村 至聖 2007「文化遺産イデオロギーの批判的検討 -近代西欧の廃墟へのまなざしを手がかりに-」『ソシオロジ』第51巻 第3号(158号)3-19.社会学研究会

「…文化遺産イデオロギーとは、本来様々な可能性に開かれているはずの「痕跡」から見知らぬもの、理解できないものといった異質性・他者性を排除し、そこから近代的社会秩序あるいは自己の同一性を維持するための肯定的価値づけのみを取り出していく「同一化思考」のことなのである。」(7.)

世界遺産選定にあたって「国の名誉に関わる」などと発言している人は、アウシュヴィッツ=ビルケナウなど「負の世界遺産」など想像できないだろう。
ある立場の人たちからすれば、こうした事柄は「自虐史観」による産物以外の何ものでもないだろうから。

どうしても「佐渡金山」を世界遺産に登録したいのならば、「花岡鉱山」と組み合わせた構成資産化が唯一の方策だろう。
「佐渡金山」については、新潟県相川町(現 佐渡市)1995『佐渡相川の歴史 通史編 近・現代』が基本文献である。

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池田2000「物神化する文化」 [論文時評]

池田 光穂 2000 「物神化する文化 -文化遺産のグローバルな流通について-」『三田社会学』第5号:17-28.

「事物の社会分析は、社会的な想起とは何であるか、想起にもとづく個体の行動はいかなるふうに社会に影響をもたらすのか、ということを我々に教えてくれる。事物は審美的な観想の対象となることをやめて、我々の記憶に直截的に訴えかける政治的な事物として立ち現れる。本稿では、遺跡や考古学遺物そのもの、あるいはそれらの文化表象の地球規模での流通という経験的現象を検討することを通して、事物が歴史的に与えられてきた価値というものが社会的合意を得られなくなってきた現代的状況について把握し、かつその理由を探求する。」(18.)

「事物の社会分析」は、第2考古学にとって中心的課題である。
中南米をフィールドとする文化人類学者の意見を見てみよう。

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Ertl & Yoshida 2020, 2021 Archaeological craftwork [論文時評]

Ertl, John & Yoshida Yasuyuki 2020, 2021 Archaeological craftwork: ethnography of archaeology at Suwahara site, Hokuto city, Yamanashi 2019, 2020(山梨県北杜市諏訪原遺跡における考古学の民族誌2019, 2020)『慶応義塾大学日吉紀要. 人文科学』第35号:137-170. 第36号:37-76.)

金沢大学で意欲的な試みをされていたコンビの最新作である。
遠くからその作業を見守っていたが、より近くに場を移された。お会いできる時を楽しみにしている。

ただし全文が英文である。海外に向けて発信するには英文が最適である。しかし日本国内に向けて、例えば『考古学ジャーナル』や『縄文時代』といった刊行物に親しんでいる人たちに対しては、筆者たちが意図する内容が届く可能性が日本文と比較して格段に低下するのは否めないだろう。

Ethnography of Archaeological Excavation, Laboratory Analysis, and Site Development と題する科研(基礎研究(B) 文化人類学・民俗学関連)5ヵ年計画(研究期間:2019-2024)の経過報告である。

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吉田2021「世界の趨勢から見た、先住民族の権利保護及び謝罪の理由・意義」 [論文時評]

吉田 邦彦 2021「世界の趨勢から見た、先住民族の権利保護及び謝罪の理由・意義 -民法の観点から(人類学との学際交流を踏まえつつ)-」『北大法学論集』第72巻 第1号:1-48.

本稿は、2020年6月26日開催「北大遺骨返還謝罪要求教員有志勉強会」および7月11日開催「先住民族問題研究会」における報告に基づく。

「北大は、琴似コタンのアイヌを駆逐して、同大学ができていることを記そうとしない。しかもアイヌ遺骨盗掘について、謝罪しようとしない。これに対して、今アメリカ合衆国の著名大学で、奴隷制との関わりで(広い意味での)補償がなされているのと、対照的である(少なくとも、過去の奴隷制との関わりの不正義の事実を明らかにし、関係者の名前を削除したり、紋章を変えたり、さらには、関係者(子弟)に「優遇措置」(affirmative action)を行うなど)。「教育機関」として、どうしてこれを機に新たな動きを起こさないのか。何故、過去の不正義に未だ目をつぶろうとするのか、ここでは批判的に考えてみたい。」(7.)

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小松ほか2013「痕跡学序説」 [論文時評]

小松 研治・小郷 直言・林 良平2013「痕跡学序説 -痕跡を読み、痕跡に語らせる-」『富山大学 芸術文化学部紀要』第7巻:70-85.

「…今から取り組もうとしている課題は「人を内面(だけ)で判断してはいけない」という論旨を主張する。つまり、「人を「行動の結果」から考察してみようとするアプローチである。もう少し具体的に言えば、人が行動した結果としてしばしば残す痕跡に注目し、その痕跡ができる理由を探ろうとする試みである。」(70.)

研究対象が人の「行動の結果」でしかない考古学は、すなわち痕跡学である。むしろ痕跡学であらざるを得ないのは、当然と言えば当然であろう。
だから「行動考古学」などというジャンルも提唱されてきたのである。
そして外面(行動の結果としての痕跡)から何とか人間の内面にまで至れないかと苦闘している訳である。

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東海林2016「ある狛犬の叫び -文化財まで奪う戦争-」 [論文時評]

東海林 次男 2016「ある狛犬の叫び -文化財まで奪う戦争-」『東京の歴史教育』第45号、東京都歴史教育者協議会:53-58.

【靖国神社・狛犬】
「石獅子:其形内地の製と稍異なれり。是そ廿七八年の役に遼東より捕獲し来りたるものなり。當時之を引き来るには、軍役夫中より獅子運搬組といふを編成し、新に堅固なる車を造り、各個分離して運搬せり。其の車は紀念として、諸社寺に分納し、現に上野の大師堂にも其の一輌を蔵せり。」
(1898『風俗画報 臨時増刊「新選東京名所図会」第17編』)

「獅子据石一對 明治27・28年役の戦利品なり」
(靖国神社 編1911『靖国神社誌』)

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