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木村2007「文化遺産イデオロギーの批判的検討」 [論文時評]

木村 至聖 2007「文化遺産イデオロギーの批判的検討 -近代西欧の廃墟へのまなざしを手がかりに-」『ソシオロジ』第51巻 第3号(158号)3-19.社会学研究会

「…文化遺産イデオロギーとは、本来様々な可能性に開かれているはずの「痕跡」から見知らぬもの、理解できないものといった異質性・他者性を排除し、そこから近代的社会秩序あるいは自己の同一性を維持するための肯定的価値づけのみを取り出していく「同一化思考」のことなのである。」(7.)

世界遺産選定にあたって「国の名誉に関わる」などと発言している人は、アウシュヴィッツ=ビルケナウなど「負の世界遺産」など想像できないだろう。
ある立場の人たちからすれば、こうした事柄は「自虐史観」による産物以外の何ものでもないだろうから。

どうしても「佐渡金山」を世界遺産に登録したいのならば、「花岡鉱山」と組み合わせた構成資産化が唯一の方策だろう。
「佐渡金山」については、新潟県相川町(現 佐渡市)1995『佐渡相川の歴史 通史編 近・現代』が基本文献である。

「…廃墟趣味は当時の人々の時間意識に変容をもたらした。廃墟が過去の対象として注目され、その過去が現在と連続したものとみなされると、廃墟は歴史的・考古学的な価値を持つようになるのである。」(9.)

1872年、後に「高輪築堤」と呼ばれる<遺構>が海浜に構築されていた時、そこから5kmほど横浜寄りの場所では、後に「大森貝塚」と呼ばれる縄紋時代の<遺跡>が開削工事に伴って破壊されていた。
「高輪築堤」を構築した人たちも、「大森貝塚」と呼ばれる場所を削平して路線を敷設した人たちも、後にそこが<遺跡>と呼ばれるようになるとは夢にも思っていなかった。
「高輪築堤」は2019年に地中から現れた「廃墟」が「過去の対象として注目され」、「大森貝塚」は1877年に横浜から新橋に向かう車中のアメリカ人乗客によって「過去の対象として注目され」た。
「大森貝塚」発見の契機となった鉄道開削部分は「高輪築堤」あるいは「新橋停車場」と一連の「遺構」であるが、現用の鉄道施設であり「過去の対象として注目され」ていない。

「そもそも廃墟それ自体は何の意味ももたない「痕跡」である(第二節)。だが(定式化された)廃墟趣味や文化遺産といった価値の枠組に沿って、そこからある一つの意味が取り出され、権威づけられると、それは近代的な自己や国家の同一性を補償し、それを正当化するものとなる。こうした文化遺産による価値の同一化メカニズムは、19世紀においては帝国主義を正当化し、それを支える国民という主体を形成した(第三節)。そして現在においてはそれは他者の生やその生産物を「文化」として対象化し、それを「観光のまなざし」によって消費することによって、後期資本主義のシステムを支え、それを無意識に受容する消費者としての主体を形成する(第四節)。そして、この文化遺産による価値の同一化を『コモン・センス」として自明化してしまう今日の文化遺産イデオロギーは、その負の側面(他者の生の抑圧、「文化」としての消費)を覆い隠してしまうだけでなく、まだ現実に生きられている多様な経験を固定化・画一化してしまう危険をともなっている。だがそれにもかかわらず、そこには特定の権力主体が存在しないため、批判することがきわめて困難なのである(第五節)。」(15-6.)

「さらにこの本稿の試みは、たんに現代日本の文化遺産についての考察にとどまらない。文化遺産イデオロギーの根底には、アドルノの指摘した同一化思考、すなわち自己と他者を二分し、他者の固有性や多様性を理解可能な形に変換し、抑圧的な仕方で自己に取り込むという思考形式が存在する(第二節)。それは本稿でみてきたように、近代社会から現代社会に至るまで、形を変えながら存在し続けているモダニティの一様式なのである。つまり、文化遺産イデオロギーを批判する本稿の試みは、このモダニティの負の側面をいかに変革することが可能かという課題へと繋がっているのである。」(16.)

「軍艦島(端島)」や「佐渡金山」が引き起こしているトラブルは、「他者の固有性や多様性」を抑圧的に抑え込んで自己の栄光のみを称揚したいという単純な文化遺産イデオロギーの発露である。
独善的な日本イデオロギーと「モダニティの負の側面」を視野に入れる世界標準とのギャップが、様々な軋轢を生んでいる。

「高輪築堤」や「ウポポイ」は、文化遺産イデオロギーと資本論理のせめぎ合いという「モダニティの一様式」である。
保存か開発かといったある意味で単純な構図の前者から、国家イデオロギーにおける先住民遺産の評価という現在進行形の後者に至るまで、各所で様々な軋轢が生じている。

個々の研究者レベルでの意識は別として、報じられる政策決定の場面では無批判な過去への賛美である「帝国主義的ノスタルジア」にいまだに充溢しているようで、世界とのあるいは東アジアとの軋轢もピークアウトを迎えるのはいまだ先のことと見なさざるを得ない。


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