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池田2000「物神化する文化」 [論文時評]

池田 光穂 2000 「物神化する文化 -文化遺産のグローバルな流通について-」『三田社会学』第5号:17-28.

「事物の社会分析は、社会的な想起とは何であるか、想起にもとづく個体の行動はいかなるふうに社会に影響をもたらすのか、ということを我々に教えてくれる。事物は審美的な観想の対象となることをやめて、我々の記憶に直截的に訴えかける政治的な事物として立ち現れる。本稿では、遺跡や考古学遺物そのもの、あるいはそれらの文化表象の地球規模での流通という経験的現象を検討することを通して、事物が歴史的に与えられてきた価値というものが社会的合意を得られなくなってきた現代的状況について把握し、かつその理由を探求する。」(18.)

「事物の社会分析」は、第2考古学にとって中心的課題である。
中南米をフィールドとする文化人類学者の意見を見てみよう。

「遺跡の発掘をめぐる国際協力は、文化を担う主体が植民地体制のもとで遂行していた宗主国による文化遺産の物理的および学問的収奪という忌まわしい過去のイメージを清算し、遺跡に表象される文化とそれを担う主体のアイデンティティ(同一性)を確認する作業である。と同時に、それをもとにした文化操作の分業体制を確立させようとする動きであると解釈できる。遺跡に眠る文化遺産を固有の領土にむすびつけられた「資源」という経済的比喩により近づけるならば、遺跡の発掘のための交渉は、あたかも森林伐採権あるいは石油採掘権(concession)の取り引きのようであり、文化主権を損なわず学術成果を共有し、かつ現地側への援助を誘導するというさまざまな駆け引きを観ることもできる。」(20.)

「宗主国による文化遺産の物理的および学問的収奪という忌まわしい過去のイメージを清算」するのは、「遺跡の発掘をめぐる国際協力」だけではないだろう。
むしろ「宗主国による文化遺産の物理的および学問的収奪」の結果として宗主国の博物館や美術館にもたらされて現在も引き続き収蔵されている「収奪文化財」(私はこれらを「瑕疵文化財」と呼称しようと考えている)をそのままにしたままなされる「遺跡の発掘をめぐる国際協力」は、「反省なき再演」と指弾されても反論できないのではないだろうか。

筆者は「考古学遺物の社会的文脈依存性」という項目で、言語学者グレマスの「意味の四角形(semiotic rectangle)」という論理図式を援用して、文化遺産としての遺跡(A1)を説明している(以下では、マクロン付き「S」を表示できなかったので、「S」を「A」に置き換えた)。
すなわち文化遺産としての遺跡(A1)の反対概念(相反項)には「現代建築モニュメント」(A2)、現代建築モニュメントの欠如概念(矛盾項)には「文化遺産としての考古学遺物」(Ā2)、文化遺産としての遺跡(A1)の欠如概念(矛盾項)には「現代の宝飾品」(Ā1)が置かれている(23.)。

「私が新たに導入したいのは、異所性(heterotopia, heterotopy)という分析的診断用語である。もともとこの用語は、医学の分野で「内臓が本来の場所とは異なる所にある異常」のことである。異所性の概念は、生命体の個体発生過程において臓器が配置する本来の場所は決まっているという前提にもとづくものである。これをヒントにして、事物の系列(Ā)が本来置かれるべき社会的文脈の系列(A)と含意関係をもつ場合と矛盾項の関係をもつ場合について考察してみよう。」(23.)

「遺跡から発掘された考古学遺物が研究室に持ち込まれ分析の対象になったり、また学問上の評価が確立され考古学の博物館に収蔵、展示されるような関係(Ā2とA2の関係)がある。これは、考古学遺物が本来あるべき場所(埋蔵されていたオリジナルの場所)から離れて存在している異所性(矛盾項の関係)である。つまり考古学博物館は異所性が弱いが、現代美術館には異所性がより強くなるという具合である。本来の場所である考古学博物館にあるべきような彩色土器が、脱コンテクスト化された状況である政府の迎賓館や現代美術のギャラリーに存在することを想定すれば、この事態は容易に推測できる(これはA2とĀ1の関係にあたる)。異所性の強度が強いということは、遺物にとっては疎外状態にあるということである。」(24.)

「異所性」というのは、考古学博物館であれば弱く、現代美術館では強いといった所蔵組織の性格の違いよりも、「本来あるべき場所(埋蔵されていたオリジナルの場所)」が植民地あるいは占領地であれば、かつての植民地あるいは占領地に所在する組織では弱く、かつての植民地宗主国にある組織では強いというべきではないだろうか。
だから「ロゼッタストーンのように歴史的に組織的な盗掘の結果掘り起こされた場合でも、事物の異所性よりも固有の価値に力点がおかれることもある(これはA2とĀ2の関係に移行することを意味する)」(24-25.)のではなく、「盗掘の結果掘り起こされた」「ロゼッタストーン」が旧宗主国の首都の博物館という本来あるべき場所ではない土地(A2)にある盗掘品(Ā1)であるならば、「固有の価値に力点」を置いて評価するよりも、本来あるべき場所(A1)に返還することで「事物の異所性」を解消して、「ロゼッタストーン」本来の価値(Ā2)を取り戻すべきではないだろうか。

「事物の異所性」の強度を評価する際には、本来あるべき場所にある<もの>がどのようにして本来あるべき<場>ではない場所に運ばれたのか、その搬出・搬入の経緯が大きな意味を有する。
すなわちアメリカ合州国ニューヨークのリバティ島にある自由の女神像とフランス・パリのコンコルド広場にあるオベリスクでは、「事物の異所性」に大きな違いがあるということである。

あくまでも私なりの読み替えであり、筆者の意図は別の所にある。
また文章が発表されてから20年以上が経過している。
この間の研究蓄積を踏まえたバージョン・アップが期待される。

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